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狭山事件と女真族

私はこれらの、狭山事件に関する頁を作成している者です。

って、こないだの京都と同じで狭山事件には実は全然関係ありませんが、将軍様(知り合いのひとです。北の将軍様ではありません)のつぶやきを見て、今日本に留学して来ているある中国人の子を思い出してしまった。ここ一年以上会ってないけど、なかなかエピソードに富んだ人物なので暫くこの子の話で独り言を書いてみよう。

狭山事件と女真族?

その子の名を「氷」という。中国語読みでピンと読む。だから僕はいつも「ピンちゃん」と呼んでいた。するととても嬉しそうであった。出身は吉林省長春だ。日本の大学に留学し今は大学院に進んだ。日本語教授法を勉強している。地元的に比較的高級な飲み屋で氷と知り合った。僕はどちらかというと娘のように可愛がった。年齢的に言って、確かに早く子供がいたらこの位の娘が居ても不思議ではなかったしその頃の自分を考えるとその可能性は充分にあったのだ。

氷の日本語は発音は勿論、就中敬語の使い方が非常に綺麗で勉強も沢山したのだろうがそれ以上に育ちの良さが感じられた。きっと良いお家の子女だろうと思った。お母さんは長春で日本語の先生をしているそうである。日本語歴は長春で2年位、当時日本に来てから2年目と申していた。ひそかに氷の日本語力を試す企みを以て、電話をかけたりメールを飛ばしたりしてみたけどもう十二分にコミュニケーションが出来る。

僕も氷ぐらいの時に、日仏学院に3年ほど通ってから仕事を探しに2年弱ぐらいパリに行っていたけど、氷の語学上達力にびっくりした。外国語は電話での聴き取りや、特に日本語の場合、ひらがなやカタカナを使い分けるのなど難しいと思うので。

「日本語以外になに語ができるの」と聞くと「中国語」と答えた。「おおにしさんはフランス語以外になに語ができますか?」と聞くので「日本語」と答えると、笑っていた。なにしろほんとうに出来るのだから仕方がない。

愛新覚羅氏の起源

女真族=満州族の始祖は12世紀の初め頃「金」を建国した。版図は満州の南部、北宋を滅ぼしてからは黄河流域に達した。13世紀に入るとモンゴルと宋の残余の勢力=南宋によって滅亡してしまった。17世紀頃になると女真族愛新覚羅氏の太祖=努爾哈赤が再び女真族を統一し国号を後金と称した。他方中国本土の統一王朝であった明が李自成の乱で滅亡すると、名実共に統一王朝・清が成立した。こういう話(だけではないけド)を氷としているうちに、氷自身の出自について、じょじょにとんでもないことが解って来た。

KC3A0052.jpg 呉氷 Aisin_Gioro.jpg 愛新覚羅慧生
(……似ている)

日中の歴史のことを話したり(狭山事件のことも少しは話した)氷のことを「良家の娘さんでしょう」とか持ち上げていると話がそのまま盛り上がり「もしかして愛新覚羅一族じゃないの」と言う僕の一言からこの話は始まる。「そうかも知れない」と答えたので冗談かと思ったが大真面目である。だいたい、ネが真面目なのである。品のよさから考えるとそういうこともあるやも知れぬと思ったのでその話を聴くことにした。

彼女の父母、祖父母の代は文化大革命という今とは到底比肩することの出来ぬ困難の時代であったので、財産をあちこちに隠したり大変だったらしい。しかしこれだけだと別に普通のひとでも当時の中国ではありがちなことである。しかし決定的な証拠があると言う。それは、氷の家に先祖代々伝えられて来た「巻物」で、これも文革期には床下に穴を掘って隠匿していたとのこと。そう言われてもそれこそピンと来ないので後でその写真を見たいと申し上げた。

後日その写真を見せてもらった。氷の姉(いとこだけど氷は「お姉さん」と呼んでいる)に頼んで送ってもらった写メ~ルだ。携帯なのでズバリとしないがそれを見て圧倒的に驚愕する自分。

僕はこう見えてもなかなかの中国通である。但し中国語は喋れない。当時はただ「夜来香」と「何日君再來」を歌えただけで。それでその氷の言う「巻物」と称する画像を見るに、それはまきものではなくて旗の一種である。

満州八旗

氷が見せてくれた写真は明らかに旗である。額に入っている様子でかなり古いものと見受けられた。

満州八旗とは元来、後金及び清代に於ける軍事組織を指す。清代には高級官僚・軍人等を輩出する特権層となる。これを旗人と総称する。満州八旗には正黄・鑲(じょう)黄・正紅・鑲紅・正白・鑲白・正藍・鑲藍がある。

満州八旗出身者には高級官僚、重臣、皇妃、寵妃等、清代の歴史的有名人が名を連ねる。宣統帝(愛新覚羅溥儀)の皇后婉容(えんよう)は正白旗、愛新覺羅顯㺭(けんし=日本名川島芳子)は鑲白旗の出身と言う具合に。

そこで先の携帯写メ画像を後日、僕が所蔵している清朝歴史書をひっぱり出して調べて見るに、それは満州八旗の鑲藍旗そのものであった。当然、氷にもその調べた事実を歴史的経緯も説明しながら粒焼くとそれ以降、もともと多少とも持っていた愛新覺羅末裔としての自覚を一段と高めて確信に変わり、高慢ちきになってきた。と申すのは嘘である。そうではなく、ふと泳がせる目線の先が定まらず、白日夢を見ているような時がある。これはべつに気が変になったのではなく、己の祖先について思いに耽っているのであったろうと思う。

満州八旗について確認のためもう一度記すと、黄・紅・白・藍にそれぞれ正・鑲(じょう)=簡単に言うと正副のようなものに分かれて合計八旗となっている。太祖・努爾哈赤(ヌルハチ)が満州族統一の過程でこのように組織したことは先に述べたように。氷の家に、八旗の遺物が残されておりそれが鑲藍旗の旗である以上、氷の祖先が満州八旗のひとつ鑲藍旗人であった可能性が高くなった。

ところで鑲藍旗出身の歴史上の人物に、近代では西太后が居る。何かと誤解されている人物だと思う。

余談=西太后の場合、その字面からして垂簾政治を行った「皇太后」だと言うことが解ると思う。ほかにも中国の歴史上には悪女と呼ばれるひとは多い。但し自ら皇帝に即位したのは則天武后ただ一人である。ほかは西太后を含め陰から皇帝を操っただけだった。女帝はむしろ日本の皇室のほうが沢山居る。

中国の歴史上最も悪名高くして当然な女性は漢の高祖の妃(呂太后)呂雉(りょち)だと思う。政敵に残虐な仕打ちをしたと伝えられる。高祖劉邦の側室、戚の両手足を切り落し耳目声帯を奪い、厠の穴に放り込み、糞を食べさせて生かしておいた(司馬遷=史記による)。西太后も同じような事をしたように映画などで描かれているが、嘘である。(余談終わり)

女真族=愛新覚羅氏の末裔

ところで満州八旗の出だから即愛新覺羅氏の末裔というわけでもない。たとえば下に書いた西太后は葉赫那拉(エホナラ)氏の出身なので。

貴あれば賤ありという論からゆくならばこういうのは差別の源泉になっていると言うことになる。だけど僕が言いたいことはそういうことではない。自分がどこの何者であるのかを自覚することはアイデンティティー(自己同一性)の獲得ということになる。人間がたんにその場限りの個人であるとか、欲望のままに生きる小人(しょうじん)であることをやめ、自分と言う個人が歴史に連なるということ。

それ以来、氷は帰郷のたびに北京へ足を伸ばし、自分の先祖と堅く信じる愛新覺羅氏の霊廟にお参りをしている。満州人として当然の義務だという。ちなみに、もともと中国人なのでチャイナドレスがよく似合うと思っていたが、チャイナドレスはそもそも満州族の民族衣装だということは、きっとほとんどの人が知らないと思う。

そして(唐突に)この氷とともに満州に渡り而して氷の姉(非常な別嬪である)と祝言を挙げ五族協和、王道楽土の建設の為汗を流し働くことは、僕の大いなる夢のひとつである。然り乍らその前に、いま内地に於いて目の前にある課題(狭山事件の再審もそのひとつである)を解決する為に尽力することが、自らに課した使命であると、思うのである。

愛新覚羅婉容

1906年11月13日 満州族正白旗人 郭布爾家の娘として北京にて生まれる。
一七歳の時 愛新覚羅溥儀の妻となる。
日本敗戦後 中国共産党の捕虜となり、
1946年4月20日 吉林省延吉(現在朝鮮族自治州)の獄中に於いて阿片中毒と栄養失調で死去。遺体は現在も行方不明。

愛新覚羅婉容 愛新覚羅婉容

皇后として宮中に入る時(婚礼)の写真と思われる。

家庭教師と婉容 男物の帽子をかぶってはしゃぐ婉容

溥儀のイギリス人家庭教師レジナルド・ジョンストン Reginald Fleming Johnston
及び
婉容のアメリカ人家庭教師イザベル・イングラム Isabel Ingram と
男物の帽子をかぶってはしゃぐ婉容

紫禁城内で自転車に乗る婉容 紫禁城内で自転車に乗る婉容

紫禁城内で自転車に乗る婉容
この頃が一番幸せだったろう。

愛新覚羅婉容 溥儀と婉容
右=於天津日本租界 愛新覚羅溥儀、婉容
1924年、第二次奉直戦争による政変で紫禁城を追放された。

左様、氷の姉はこの子に似ているようである。無論阿片など吸っていない。

*本記事はツイッタ投稿を編集しただけのものです。

狭山事件第十回三者協議

2012年4月23日、狭山事件第三次再審請求の第10回三者協議が行われた。弁護団は、死体埋没の道具として有罪証拠のひとつとなっているスコップの指紋検査報告書を検察官が「不見当」としている事に対し、スコップ関係の証拠開示につき昨年10月4日に意見書を提出していた。今回の三者協議で検察官は、スコップ捜査資料や筆跡資料など19点を開示した。これで、80点近くの証拠開示が勝ち取られた事になるが、検察官は弁護団が求めている万年筆の自白図面や証拠の番号飛びの問題などについてまだ回答をしておらず、弁護団は三者協議に先だって4月19日には検察官への反論と証拠開示勧告申立書を提出していた。

翌日には証拠開示法制化を求める院内集会が開催され、冤罪被害当事者や再審弁護団、法律家が、証拠開示を保証する法律の制定の必要性を訴えた。取調べ可視化と証拠開示法制化の署名数は74万1379人に達している。

狭山事件証拠開示勧告申立書

4月19日に裁判所へ提出された証拠開示勧告申立書は、三大物証と犯行現場・出会い地点・目撃証言・手拭いなど、狭山事件の重要証拠の開示に関わる内容。同時に再審請求補充書も提出された。

更に同日、狭山事件の殺害現場とされる雑木林に近接する畑で仕事をしていたO氏の証人尋問早期実施を求める要請書を提出。再審を開始するかどうかを裁判所が決定するには、ただ弁護団から出された証拠を裁判官が密室で審査するだけでは駄目で、「証言」としての証拠つまり人証は、裁判所による尋問の形を取らなければ、証拠価値を判断する事は出来ない。第三次再審では多くの鑑定書も提出されている。これらの鑑定を行った鑑定人に対する尋問も必須だ。第二次再審迄にも、無罪の鑑定が多く提出されているが、裁判所は書類審査だけで棄却している。しかし法曹の専門家である裁判官といえども、科学鑑定の専門家ではないのだから、科学者が行った鑑定の意味と価値を判断する為には、直接、鑑定人尋問を行うべきだ。

狭山事件再審活動予定

*2月17日(金) 狭山事件の再審を考える東京集会
   18時~  台東区民会館

*2月25日(土) 全国狭山活動者会議・住民の会全国交流会

*3月22日(木) 狭山事件を考える集い 確定
  日時 2012年3月22日(水)午後6時30分~
会場 東京 日本教育会館 8階会議室
名称 狭山事件の再審を求める市民の集い
内容 弁護団報告「ここまできた狭山第三次再審」中山主任弁護人
   最近の再審の動向と狭山事件 庭山英雄弁護人
   市民の会からのアピール
   映画予告編&狭山事件DVD完成版上映

(4月下旬 第十回三者協議)

*5月頃   狭山現地調査

本年5月迄に於ける参加行事日程は上記*の通りとなっております。

可視化や証拠開示法案と狭山事件

全国であいついでいる冤罪・再審無罪の事例増加で、最高検察庁が全国の地検と高検で再審を担当した検事を集めた会議を開くらしい。テーマは、再審開始が増えては捜査機関の権威が失墜して治安維持に支障を来すから、今後は科学的な知識を増強して再審を求める弁護側の鑑定や新証拠等に対し有効な反論を構築することにある様子。冤罪が増えているからこれを防止する為の捜査体制を組むには、絶対に冤罪と言わせんように弁護側にぐうの音も出ぬほどの論証や反論で攻撃するということだ。つまり冤罪を防ごうという部分のもって行き方が本末転倒になっているのだ。

他方で民主党などは取り調べの可視化や証拠開示の法制化を実現する刑訴法改正案を既に提出し、参議院では二回可決したが衆議院がまだだ。その後政権交替した同党らが本気なら、とっとと多勢の力を利用して成立させるべきだ。数の力を使用するのは今であろう。建前はどうあれ、少数意見などふみにじり、多数でもって意見を通すのは民主主義の常道である。どうせ他のことは全部ダメなんだろうから、これだけでもさっさとやって欲しいものだ。*後記:結局これすら出来ませんでしたね。

狭山事件長兄説の謎

なんで長兄犯行説の頁ばかり見たがる時代錯誤な人が多いのか、狭山事件の謎は長男説の秘密にあった。

当サイトの長兄犯行説へのアクセス数が、何年経っても異常に多いから不思議に思っていたわけです。ところがその秘密と言うか原因が解りました。特定の語句で狭山事件検索をするとこの「長兄犯行説、狭山事件真相真犯人推理編」が検索結果トップに出てくるせいでした。僕自身がほとんどそのクエリでは検索した事が無かったから気が付かなかったのです。まあ、たいした秘密でも無かったわけですが、これで少しスッキリしました。

狭山事件長兄説の順位

でその狭山事件長兄説をはじめとした推理編の検索順位を故意に低下させ、且つサイト内リンクを殆ど削除する方策を取り、現行の狭山事件真犯人説に対する考え方を書いた頁をその代わりに作成しリンクして検索でも上位に表示してもらえるような施策を施したら、今度はそこばかり見られる有様だ。これがどういうことかと言えば「狭山事件真犯人」なる検索語句で兎に角引っかかって上位に来る頁がありさえすれば、良くまあ飽きもせず、推理マニアはそこばっかりを見るのである。

しかし今度は推理編と異なりまともなコンテンツである。だから、これはこれで良しとするが、それにつけても毎日々々、おんなじ頁ばかり見て飽きぬかね。と申すのは見てるのはほゞ同一の視聴者が目立つのでね。

ちなみに自サイト内のある頁の検索順位をわざと低下させることなど容易で、その逆は一般的に言ってなかなか難しいが、この分野では上記の如く、狭山事件推理編の代替コンテンツを元々長兄説が占めていた位置即ち「狭山事件真犯人」検索で時々変動はあるがほぼ一位の成績に充てることに成功している。無論、スパムなしにである。これには、多少の技術的要因がある。

程度の低い狭山事件頁

此のサイトにはほかにもこの類の程度の低い頁が若干ある。たとえば狭山事件で真犯人を見た情報をちょっと書いてみた所とかもそのひとつだ。よくもまあ、これだけ質の低いものを生産出来たものだと今にして思う。しかも、上の頁たるや、一応「狭山事件鑑定の検証」の範疇(元「基礎事実の検討」)にあったものだ。

しかしこうしたものも、程度が低いからと言ってただたんに削除してしまったのでは芸があるまい。おのれから見て質が低くても、現在迄にそれなりにページランクを獲得している頁は、他のもっと質が高いコンテンツのために貢献させるのが得策だ。よって、こうした頁は一応全部残しつつ、狭山事件に関わる検索に引っかからぬようにして尚且つ、トップページほかのメインコンテンツに向って頁ランクを流入させる施策を施してある。

このように、狭山事件のサイトといえども、一度頁を作って放置し内容の薄いどうでも良い頁を増産するよりは、質の低いものと高いものを見極め、それぞれに対する対策を施すことによって、全体に奉仕させる事が必要となる。これを怠っている場所は、見事に、検索には引っかからなくなる。



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