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石川犯人説という差別

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此の狭山事件を伝える場所を設けてから、あるときサーバーのログをフト眺めてみるに、ナニ何説だとか血液型がどうとかの検索行為をしている者がおるのを見つけた日には、まあ驚いたもんだったが、こうした狭山事件真犯人だのの「推理」をやりたがる輩の全員が、当人がそう意識しているかどうかなどは全く無関係に必ずそこへ向って没落する穴が、此の石川犯人説だ。

狭山事件石川一雄真犯人説

狭山事件石川犯人説は、法を全く知らず、或いは故意に無視して為されるいわゆる狭山事件真犯人推理の一種で、いまやこの事件についての推理をやる全ての者が支持している実に杜撰な考え方の事です。

法に無知な石川犯人説

そもそも「一事不再理」と、言う言葉を知っておりますかネ。裁判で、一度判決が確定したら、それ以上裁く事が禁止される、これが一事不再理の原則です。狭山事件では二審の判決が確定しています。つまり、今後事実関係が争われるとすれば、それは再審請求審の場で再審を開始するか否かについてであって、別の有罪証拠で別の有罪ストーリーを認定するか否かが争点となる事は、絶無、そういう事です。

推理をやるネット弁慶は全員、こうした法理を知らんのだそうです。知っておれば推理なんぞもう出来なくなりますからね。何故ならば、法理つまり法律の原理は、法廷に於いてのみならず、一般社会に於いても厳しく適用されるものだからです。こうした事を「常識」と、言うのですよ。

部落差別と石川犯人推理の関係

狭山事件は冤罪で「同和」がらみで「被差別部落」の問題と関係していると言われている。それはどういうことなのか。

本件のこの面、つまり狭山事件石川犯人説について、独自の論考を実施された外部サイトがありますから、リンクを張っておきましょう。しかし差別をやる売国奴にとッては、狭山事件の特別抗告棄却は、さぞ嬉しいニュースだったであらうネ。

狭山事件真犯人推理なる差別ゲーム

「それでも僕はやってない」これは、所謂「痴漢冤罪事件」の映画の題名です。ある知人の方が、この映画の制作面に関わっていらっしゃると言う事を近ごろ知っていた処、メルマガの「狭山の風」を読んでいたら、こんな記事もあった(以下引用させて頂きます)。

>映画「それでもボクはやってない」がヒットした背景に2009年までに施行される裁判員制度がある。これまでになく「冤罪」に社会の関心が集まっている。こんなゲームもあった。『逆転裁判シリーズ』(ニンテンドー)だ(中略)ゲーム「狭山事件」をつくるときがきた。ゲーム人口は膨大である。彼らの支持はこの事件を解決する大きな力となるだろう。ゲームのシナリオはこうだ。第3次で再審が認められ、事実調べが始まる。東京高裁でてごわい検察にたちむかうのは若手弁護士(あなた)だ。さあ、あなたは石川一雄さんを無罪にできるか!?

出来ます。それどころか、これがゲームである以上は、その上、つまり「では真犯人は誰か」まで行かなければ、面白くないと思われます。この事実が即ち、真犯人の推理などがたゞのゲームに過ぎないことを明らかにしてるわけですよ。そしてそうした真犯人推理に於ける説のひとつとして、真犯人石川一雄説もあるんだね。差別をやる売国奴には狭山事件は冤罪じゃないかね。

狭山事件冤罪用語のおさらい

本題の前にね、冤罪や狭山事件、あるいはもっと一般的に、刑事事件や裁判で使ういろんな言葉の意味を、ちゃんと理解しておらんと、話になりませんからチョット教えてあげますよ。

狭山事件での「怪しさ」とか「疑わしさ」とか

たとえば、大体そもそも、「冤罪論の疑わしさ」って何でしょうね。こうした言葉遣いをしている時点で、刑事裁判の法理をほゞ完全に御存知無き事が判明します。刑事事件の裁判=つまりある人物が有罪であるかどうかを決める際に、有罪の立証責任を負っているのは検察官です。立証するには、たんに怪しいとか疑わしいとかではダメで、証拠能力を有する証拠によらねばなりません。弁護する立場で無罪を訴える側から検察官の示す証拠に疑わしさを指摘するのは許容されていますが、そもそも要証事実に対する挙証責任は前述の通り検察官にあるので、検察側は弁護側に対しては、弁護側の言う事の「疑わしさ」を言うのではなくて、有罪の証拠が絶対である事を証明するだけなのです。

狭山事件の「冤罪論」とは?

それから「冤罪論」なるものは厳密に言って、刑事訴訟上、この世に存在しません。一審と二審の事実審では検察官の有罪の立証に対する弁護が、それ以降再審請求を含む事後審では「新規明白な証拠」の提出があるだけです。有罪を立証する検察官も、無罪を主張する弁護人も、共に証拠に基づいて仕事をするわけで、学問上の論争のような何々論とか、通俗な狭山事件真犯人推理みたいな何々説、なんてものは、刑事裁判のどの段階でも入る余地は全くありません。

推理マニアの世界ではこのように、用語の使い方が全くとんちんかんですね。かれらが好んで使用する用語にはほかに「証言」とか「結審」とか、まあほかにもいろいろありますが、刑訴法上の裁判用語を使う時には、わけも解らず連発すると思わぬ恥をかくことになりますから注意したほうがいゝぜよ。ト申しますかもう既に恥の書き放題の人が少なく見積もった場合で約三名、この日本にもあらしゃる様子ですがネ。

狭山事件と「同和」の関係

同和の地区だの場所だのがどうたら、埼玉県や東京や狭山市やら川越の被差別部落はどこだのの検索をする輩を時々見かける。意図するとせざるとを問わず、こうした差別行動、同和破壊行為をする者はまだ全国に散在しているようだ。だがそもそも「同和」なる言葉の意味を解って使ってる者はおらんだろう。それを教えよう。

同和とは、民族同胞の和合、融和を図る事であり、以て挙国一致、国家の進運発展に資するにある。よって同和を破壊し、国民の和合を邪魔する者は、我が國の進歩発展を阻害し国家国民の分断と弱体化を企む売国奴に他ならぬ。

終戦にあたり公布された大詔に次の一節がある。

若シ夫レ情ノ激スル所濫ニ事端ヲ滋クシ或ハ同胞排擠互ニ時局ヲ亂リ爲ニ大道ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム

此れ即、国民同和の精神を示されたものだ。つまりこれに反するものは悉く叛徒・賊軍とされる所以である。従って、私が、石川一雄氏の冤罪を雪ぐささやかな支援活動を実行し、本件再審への行動を実施し、差別者の駆除を宣するのも、この大御心を体した所為にほかならぬ。

自らの政治的・思想的バックボーンは狭山事件と国家や民族の関係性として当該頁に於いて適度に記した。但し、今日では政治的傾向や思想などたんに個人の嗜好の問題に過ぬゆえ、政治的指向性そのものを声高に主張する気は毛頭ござりません。

狭山事件有罪論者は差別者である

狭山事件は部落差別に基づく冤罪です。この要素を無視する者、黙して語らぬ者は、心中密かにか表立ってあからさまにかは問わず、能動的に部落差別を助長する差別者と見て良いでしょう。なので結論から先に、確信を持って、別の言葉で狂信的に断言すりゃ「差別者は売国奴」「良い推理人も悪い推理人も全員追放」に、なりマスネ。

今どき石川一雄氏が犯人だと本気で考えている人間など全国を探しても11人いる程度です。比較的あからさまな部落差別意識の持ち主でも「この人(石川一雄氏)は無罪だろうけど…」との前提付きで語る事が多い。頑な裁判官や検察官であっても、内心は無罪の確信があるので、再審請求を却下したり有罪を主張したりするのはたんに権威の失墜を恐れているだけで、逆に言えばその権威を担保さえされればたちどころに無罪確定でしょう。

言っときますが「私は部落の差別なんかしてない」と言ってもムダです。差別者が、差別をしていますなんて言う筈がアリマセンよ。つまり口では何とでも言えます。

此のサイトは勿論はじめから石川さんが無罪であることを前提に作っていることは表紙に記してある通りであります。このサイトを作り始めた時既に私には無罪はもはや自明のことだったのでね。これをまだ自明と見ない者は要するにたゞの差別者ってことですね。考える迄も無くそれで済ましときゃいゝ。あとは頭悪スギとか。いずれにしろ、そのテの者を説得するつもりはありませんな。有り得る関わり方は、文字通りの命のやりとりだけです。

たゞし、まだ狭山事件を良く知らないから石川一雄無罪の確信を持てない、と言う人は普通におられることでしょう。又、良く知らないどころか全然知らない方も、時代の流れとともに急増中であると思われます。むしろ現在ではこちらの人のほうが普通かも知れません。だから、何がナンでも確信の無いものは差別者だと申すつもりはありませんけど、特に再審請求に関わろうと思わなくても、1年かそこら自分の力で調べてみれば、多くのひとはまずこれは冤罪だろうと、それを確信することが出来ることでしょう。

狭山事件石川説が何故差別なのか

石川一雄氏は二審の冒頭で自白を撤回して以来ずっと、冤罪を訴え続けています。今は三回目の再審請求中ですが、ご存知の通りまだ再審開始には至っておりません。再審が開始され、そこで改めて審理が行われ、無罪判決が出なければ無期懲役囚のままです。

狭山事件の再審請求について活動する人の大多数は部落解放同盟の同盟員ですが、中にはいわば政治的に全く毛色の異なる私のような者も混じっています。つまりこのテの参加者は解放同盟のひとのように寛大でもなくやさしくもないから要注意ってことだね。且つ今や政治色の何もない一般市民とでも言うべき人々も増えて来ましたが、ある意味では再審が開始されるかまた請求が棄却されるかどうかは、法廷の論理によって決まります。つまり狭山事件の再審を支持しようがしまいが、法廷外の者は外野とも言えるのです。

その外野の一部で、再審活動を邪魔したり、石川一雄氏や支持者を誹謗したりする動機は何かあるでしょうか。無罪か有罪かは、証拠に基づいて裁判で決まることです。取り敢えず今は有罪の確定判決が継続中です。だから「石川はやっぱり犯人なんだろう」と思っても、いずれにせよ裁判で決まる(現在は決まっている最中)なわけですから、シカトして放っておけばそれで別に良いと思いますがね。

それでも外野が敢えて石川一雄氏の罪障の有無を論じたいのであれば、過去の狭山事件裁判で取り調べを受けたかそれに準ずる証拠能力を有するものを根拠とせねばなりません。

なのに敢えて証拠を捏造し、あれこれと見え見えの嘘やバレバレの物知らずを発揮してまで、コチラ側を誹謗中傷したりムダに力みアガッてまでなんとか邪魔しようとするのか、その理由、動機ですね。

狭山事件非冤罪説の動機は部落差別

私だったら関心無く放置しておくものを、しつこくデマを流布する者がごく少数ながら居るってことは、これらの動機はもう、部落差別しかありませんな。もう一度いゝますが、確定判決の有罪で良いと思うのなら別に何も言ったりしたりする必要もなく再審は棄却される可能性もあるだろうし、仮に再審が通って無罪となっても、それはそれで裁判所の判断ですから、もう文句を言う筋合いもないわけです。ソレでも、この段階からモノを言いたくてしょうがないってことは、石川一雄氏が部落民だからでしょう。違うと言ってもムダです。何故なら、部落差別にハンタイする人は全員、解放同盟員かそうでない私のような者は狭山事件の活動者になっておるからです。つまりそれの逆を言うモノ(言うだけで行動は伴わぬが=ソレとも、テロでもやってみるかね)は、たゞの差別者です。

そして、私どもが関心あるのは、裁判官と検察官、それ以外では狭山事件を知らぬ大多数の人々であって、日本中に於いて消費税の税率ほども居らぬ極少数者の推理マニアや差別者ではアリマセン。

証拠知らずの狭山事件有罪推理オタク

ところで、今やマイノリティー中のマイノリティー、真犯人推理オタクのなかでも、更に極少な含有量である狭山事件は冤罪ではないと吠える人非人が、馬鹿のひとつ覚えのように言うのが「鴨居の万年筆」のようだ。知的に劣るこれらの者は「何かと言うと冤罪説の根拠として万年筆をあげる」と白昼の寝言を発するらしいが、それは全然逆で、万年筆のことばかり言うのは石川犯人説推理マニアの笑える言い草だ。無罪の証拠と言えば「狭山事件の万年筆」しか知らぬらしい。狭山事件冤罪の証拠が有罪判決の事実認定を支えるあらゆる論点にわたって存在することを知らぬとこうなる。

無罪の新証拠は万年筆などほんのひとつに過ぎず、ざっと思いつくだけでも筆跡は申すに及ばず法医学鑑定・秘密の暴露関係=鞄、時計、車の通行と駐車・自白調書の作成過程・二審での捜査官の偽証、あるいは、狭山事件の脅迫文を書く時に漢字を拾ったとされる「りぼん」の関係、それに手拭いの新証拠等々多数があり、石川有罪推理ヲタクが万年筆を叫べば叫ぶほど、こうした他の証拠を全く知らぬことを自ら暴露している。

あとは狭山事件の筆跡

それ以外であると、所謂「狭山事件の筆跡」、脅迫文から適当なひらがなを拾ってほかの手紙の文字と並べて眺めたら「似ている」そうだ。これは、たとえば指紋やDNAが「似ている」と言って証拠になるかどうかを考えてみれば完全に馬鹿さ加減がわかる。証拠とは、似ているとか怪しいでなく、他のなにものをも除外可能な絶対的な蓋然性を有するものを言う。

「推理筆跡鑑定人」が利用し、この手合いが鬼の首でも取った如くに悶絶しつつ絶叫する「有罪証拠」のひとつに、石川一雄被告が書いた狭山事件公判中の手紙がある。筆跡鑑定の常識を知らぬと、こうなる。刑事訴訟に於ける伝聞法則の法理も知らぬようだ。

やはり、我々が相手に出来るのは裁判所と検察官のほかは、そもそも狭山事件自体を知らぬ一般の人々だけで、推理ヲタクはますます無用であることがこれによって証明される。たんに狭山事件にとって無用であるばかりか、これからのこの國自体に其の手の落ちこぼれ、回復不能、犯罪者は不要だ。

狭山事件のアリバイ工作

石川犯人説でよく出そうな話でこんなのもありますよ。石川一雄氏は逮捕まえに家族と口うらを合わせて「アリバイ工作」したんですってね。いや、よく出そうって、これは寺尾判決にそう書いてあるんですがね。工作って……アリバイ上申書に書いて主張したのは、朝9時から午後4時まで入間川のM邸で仕事をしてましたってやつね。でも工作って言うても、父や兄とそう語らっただけで、肝心の第三者のMさんとは全然口ウラ合わせてなかったもんで、すぐバレちゃったんですよね。これで工作って……ね。

それに第一、被害者は午後3時半ごろまで学校にいたことは捜査でも公判でも確実になっていて、4時までの家族だけの口ウラ合わせじゃちっともアリバイにならんのですけどね。家に帰って以降については一歩も出てませんだけで、要するに石川一雄氏本人も父も兄も、適当に朝から午後までMさん方で仕事してましたと言ってればそれでアリバイになると思い込んでたわけです。つまり狭山事件の犯行時間を、全然知らなかったと言うド素人でもスグにわかる自明の事実。本当の犯人ならばもうちッと気の利いたアリバイ工作をしてますね。

コムズカシィ証拠関係なぞ知らんでも、この単純なアリバイ小話だけ知っておれば、ああ、このひと狭山事件をやってないな、と確信するわけです。

狭山事件に共犯がいる

あと、二審28回公判で弁護側証人として出廷した拘置所の元同房者が、石川一雄氏が「出たら金を貰う」とか「狭山事件に共犯がいる」とか言いだしたんで、もう検察官も裁判長も慌てちゃって問いつめたことがあったんですが、でもこれを捉えて誰かと共犯で狭山事件をやったのではとかの真犯人説もありましたが、アナタ、もしそうなら否そうでなくとも、もし石川一雄氏が真犯人でこんなまたと無く都合のいい証言がポンと飛び出したらば、それに飛びつかぬわけはありません。この証言の時は死刑囚だったことをお忘れなく。つまり死刑から逃れたければ、単独犯でさばかれるよりも、何でもいゝから共犯説の法廷証言が飛び出せばこれを悪用しない手はありませんよ。でも石川一雄氏はこれも否定したんですよね。要するにこの証言と法廷のやり取りも、これがかえって無罪の証明であることはこれまた自明の理です。

しかしながら、その「自明の事」が、ないがしろにされていると言うのが狭山事件の現状であるわけです。この自明の事を、きちんと自明の事にする事が、当サイトの第一の目標であります。これは当然の事です。そして更にその後に、差別者の絶滅と言う事が、第二の目標になります。どのように理屈をつけて言い逃れをしようとも、石川犯人説を唱える理由は部落差別しか有り得ません。何故なら、普通以上の知能を有する者が普通に事件の事実を冷静に追って行くなら、これが冤罪であることが明らかであるからであり且つ、狭山事件に部落差別が濃厚な関連性を持つことが明確になるからです。筆者の目の黒い限り、狭山事件の再審活動と、それが終結した後の冤罪の検証と、差別者狩りは行ってゆきますよ。

その理由。
冤罪被害者である石川さんが、たとえ明日にでもその冤罪が晴れ、無罪を勝ち取ったとしても、失われた年月を取り返す事は出来ません。同じ様に、殺害された被害者も同時にうかばれません。そして、こういう世の中(こういう国)では、他のすべての事がらが、おかしな事になって行く、と言う事であります。

後年追記:現在では法改正により、殺人罪の公訴時効は無くなりました。また、誤解無きようにこれも追記しますと、現実の事件は「ゲーム」では無いので、薄弱な根拠で誰それを真犯人扱いにする「推理」もまた、冤罪を生み出すものに他なりません。

冤罪狭山事件とイヤガラセの関係は?

ある推理マニヤの言によると、狭山事件に関わると「嫌がらせ」を受けるから、このひとは匿名で行動しているそうです。でもそのご、何か嫌がらせみたいな事があったかどうかは知りませんけどね。でもだいたい、たかゞ「イヤガラセ」が怖い程度で名前を隠すなら、ハナッから関わり合いにならなけりゃイイのニ、と思いますね。今の日本人はいわゆる平和ボケしてしまって、ほんとうの怖さってもんを知らんと言われるのも、この有さまをみるとまあ、その通りだと思いましたね。

狭山事件について私がやるこうした活動をなんとかやめさせるために、ネット上でイヤガラセやなんかをしても無駄ですよ。何故ならば、そうした場所を私がまったく見ぬからです。見るヒマがありませんし、仮にヒマだったとしても見る必要性も皆無だからです。インターネットの中に存在する全てのものは、イヤでも目につく駅の看板と違って、自分が見たり読んだりしなければ別になんともありませんし、何も起りません。イヤなものをわざわざ自分から見る馬鹿は推理オタクだけでしょう。故に、此のサイトに書いてある事柄がイヤだったり不愉快に感じる人は、別にわざわざ見てくれなくてもいいですよ、ト申すより、精神衛生上の見地からもう見るのをよすことをお勧めします。そもそも此処は石川犯人説を含む真犯人推理オタクが来るところではありませんし、オタクの全員が見なくなっても少しも困りませんしむしろそれを望んでおります。そして私がやる活動をとめる方法はただ一つ、私を殺すことだけです。

2007/4/20

狭山事件堀兼地区

サイト更新:先日、予想外の参加人数を頂き、普段ほとんど行けない佐野屋から堀兼上赤坂地区付近での狭山事件現場へ行きました。車で少しずつ移動しつつ、特に佐野屋での張込みと真犯人逃走現場を中心に回りました。この結果、入曽駅から堀兼の佐野屋あたりまで歩くと、歩き方にもよりますがだいたい3、40分ほどであることが解りました。

2007/5/8

狭山事件のフェィスブックより

狭山事件ずばり犯人は、ってそんなものわかったりなどしたら初めから誰も苦労などしませんヨ。一生推理してもわかりっこないだろうね。

此のデモを弾圧せい

で、狭山事件のフェースブックを通じて新大久保でこう言うデモをする非国民が居る事を初めて知った。

新大久保、韓国人街のヘイトスピーチデモ

仮に民族主義的な思想・運動的立場から見た場合でも、この類のデモは弾圧されて然るべきだ。筆者自身が狭山事件の再審活動を微力ではあるが推進している現在、尚更にそうである。この様なあからさまな差別を公言する個人及び団体は、駆除されるのが当然(此の「駆除」と言う言葉を、生物学的意味に取って頂いても構わない。何故ならばこゝ迄堂々とある特定の民族、特定の国民への殺意と殺戮を煽動するからには当然その報いを自らが、これまた堂々と引き受けるべき事は、歴史がそれを証明している)。その際、彼らの言論の自由だの表現の自由だのは筆者は少しも尊重しない。

ついでに記すと上の写真で顔部分をぼかしている様子だが、みもとが解るようどしどし出してやったら良かろう。これだけの事を公然と主張する以上、実名や顔面が公になる事位、この者らも覚悟している筈である。もしそれが無いならば大人しく暮しておれば良い。

真の民族主義とは、自己の属する民族国家の文化、伝統を守ると共に、他の民族の文化、伝統をも尊重するものである。よって、上の写真に示されているような低俗な排外主義、差別主義は、筆者の過去並びに現在の立場からして、公然たる敵と言って良い。日本人の恥であり、その者や行為は、徹底的に排除されて然るべきだ。この者らに日章旗を持つ資格など無い。

尚、このデモを排除・弾圧する為の署名活動が行なわれています(いました)。
「ヘイトスピーチ・デモの排除を目指して、新大久保から」=尚、私自身はあまりこの如き鬼畜米英語をやたらに使用するのは好きでなく要するに人種差別示威行為と言えば良いでしょう。

狭山事件から差別を考える

それで、です。筆者は、狭山事件に関わったからと申しても、全く何らの差別も致しませんと言うようなキレイごとを言った覚えは今迄一度も無く、例えばこう言うデモに参加している者を、確信的に差別しています。(非国民あるいは売国奴と言う言葉がお気に召さなくば、人民の敵と言い換えても良い=右っぽくいえば前者になるし、左っぽくいえば後者になる。どっちでも同じことだ)その事は明確に表明した上で、

さてところで一般論として、
差別にも色々なものがあると思うが、狭山事件に関心を持ち、狭山事件の再審活動を推進し、時おり石川さんのお話しも伺うようになってから、筆者が最も頻繁に考えるようになったものに「生まれつき」と言うことから来る差別がある。生まれた場所、家、姓名、性別、年令、病気、障害などである。これらの事柄は、その当人の努力或いは怠慢には全く関わらず、まさに生まれつきに決定される事柄である。つまりそれらは、恥ずべき事でも無ければ逆に自慢すべき事でも無く、本来たんにただそれだけの事実であるに過ぎない。ある国、民族、地域、家、性別等に生まれつくのはその本人の意志では無い。

差別事例と狭山事件

そして差別事件に於て、上に写真を掲載したような公然たる敵対的活動者よりも実は更に気をつけなければならぬのが、自らが無意識に差別を助長してしまう事なのである。

身ぢかに良く見受けられる例として示せば、性別に関する言動を平気で行なう者が居る。つまり差別をしていると言う意識はその人には無い。男(女)らしくない或いは又男(女)だからとか、ある種の一般論として述べるのであるが、性別に拘る者は即ち「生まれつき」を理由とした言動をしている事になる。(ま、最近下火になったようですが、昔、北朝鮮が何かをやると、電車内で朝鮮学校の女学生の制服を切ると言う卑劣な犯行がありましたが、確かにそういう奴は男らしくありませんな。北朝鮮には堂々と渡り合うべきです)

また或いは、私は何歳だから、と言う言い回しも良く耳にするが、当人は何らかの言い訳か自己卑下したつもり、若しくはそれとは全然逆で人より高みに立った傲慢の場合もあるが、ともかく実は年令差別をしておる事には気が付いていない。ひとがいつ生まれたか即ち現在何歳であるかなどと言う事は、有り体に言って、男と女がいつ交わったかと言うだけの事に過ぎない。

問題のネが深いと思われることは年令や性別に関するこれらの差別言動が、狭山事件の再審活動に関わっている人の間にも、男女を問わず見受けられることだ。

これらは、無意識のうちにする差別の例として挙げただけなのだ。且つ、部落差別を背景とし、或いは直接の契機として引き起こされた冤罪事件である狭山事件に関わった事により、筆者自身、こうした鈍感な言動にそれ以前以上に敏感となったのであるのに過ぎない。

まあ勿論、性別や年令やその他…を人が語るときに、その全部が無意識にする差別だと言っているわけではない。そう言っていたら人は何も語れなくなってしまう。しかしながら見聞するところ、そうしたもの言いが多いと言う事なのだ。

筆者自身、今もこれからも狭山事件再審と、或いはもっと一般的な差別事件や冤罪事件に関わる以上、より一層、自身が行なってしまうかも知れない意識せずにする差別行為には、十二分な注意をして行かねばならない。

公然たる敵は叩きのめせばそれで良い。しかし、おのれ自身やその周囲に無意識的、自然発生的に蔓延しがちな差別言動については、常に鋭敏な自己批判能力を高めなければならない。

此の項=2013/4/13

狭山事件検索大賞

犯人石川でしょ 狭山事件
犯人候補狭山事件
川越市の同和地区
狭山事件石川犯人
部落の見分けかた
部落エロ話 2014/09/24 12:35
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2007/04/22
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