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狭山事件サイトの目的とは

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狭山事件の本も出された事がある下田雄一郎氏が、またサイトを閉鎖するらしい。また、と言うのは下田氏は以前にもサイトを閉鎖しているからだ。確か『農村の惨劇』とか言った。2006年に著作『史上最大のミステリーを推理せよ!狭山事件』の本を出されているが、その前後だったと思う。その以前のサイト閉鎖の経緯は、サイト付属の掲示板『未解決事件を推理せよ!』が閉鎖措置も取らずに放置されているのでそこを読めば解るようになっている=最近やっと閉鎖した様子。


サイト運営者の目的と覚悟

今回閉鎖する方のサイトについて筆者は全然読んだ事が無いし、閉鎖に至る詳細な情況は不明だ。が、本日時点で残されている閉鎖理由が記された記事を要約すれば「未解決な事件を風化させず、少しでも情報提供に繋がればとの思いと共に、被害者・遺族の無念を慮ったつもりであった。ところがそうした自身のブログについて当の被害者の家族から抗議を受けた。その指摘を真摯に受け止め閉鎖する」との事である。そして末尾に、文脈からしてその抗議をした被害者の家族の方と思われる実名らしき名前が記され「本当に申し訳ございませんでした。」と結ばれている。

下田氏が自身のサイトを閉鎖する事自体は上記のような理由で氏自身が決断した事であるから、はたから兎や角言う筋合いのものでは無い。サイト名とドメインを変更して続けたら、と言う視聴者からの提案も見受けられたが、そのような姑息な行為を下田氏が取るとも思えない。ついでに記すと継続を望む声も多いようだが、それなら人に頼らず自分で作ったらどうか。自分で何もせぬ者は人に何かを望む資格はない。更にあらかじめ付言しておけば、此処では下田雄一郎氏を非難するつもりは皆無で、こぅいぅ場所を作っている自分自身がどうあるべきか、それが論点だ。

筆者がこれらの(第一回のサイト閉鎖経緯も含めて)事柄から思う事は、そもそも下田雄一郎氏に、サイト(ブログ含む)開設とその運営に当たっての目的が明確であったのかどうか、そしてその目的に相応した覚悟があったのか否かだ。そしてその事を筆者が今此の場で考える目的は、狭山事件に関し自分が製造し運営し微力ながらも活動している当サイトに照らして、どのような教訓なりより一層の覚悟なりを当の筆者自身が持ち得るのかどうかである。

尚、下田氏に抗議をした人が本当に被害者家族であったのかどうかを当方では検証するすべが無いので、以下の文面に於いてはその事は問わない。全て下田氏の記述を真に受けて記述する。

狭山事件 他昔の事件風化について

下田氏は事件を風化させない事により、何とか解決に至らしめたいとしてサイトを開始したのであろう。しかしながら遺族にとってはそうでは無く「家族や関係者が世間から好奇な目でみられることのないようにすることが最も大切なことだと教えられました」。よって「これまでブログで呼びかけてきたこととはまったくの反対ですが、みなさんも一日も早く事件のことを忘れてください」との結論を得た。これがサイト閉鎖の経緯である。

ここに、当初の目的とは百八十度異なる結論及び目的が記されている。被害者家族からの抗議という、当事者にしか解らない重みを、当事者では無いサイト運営者が真摯に受け止め、それ迄の安易な姿勢を反省して今後は正道に立ち戻ると言う姿勢は筆者にも見える。

しかしながらそもそも、殺人事件などの悲劇的な事柄を調査し、尚且つその目的が事件を風化させずなろう事ならば解決する方向に少しでも寄与したいと考えてサイトを開始したその当の最初から、被害者家族の中には「事件のことを早く忘れたいという努力」をしている人も居るだろうと言う事位、想定しなかったのであろうか。そもそもそうした事も充分に考えられるのが(殺人事件に限らず)刑事事件と言うものである。それは狭山事件を扱う此のサイトでも同じだ。想定外と言う言葉が非難を受けている昨今であるが、成り行きから考えれば下田氏にとっては抗議は想定外の出来事だったのだろう。しかしその程度の事を最初から想定していなかったとすれば、無神経も甚だしいと思うが如何。

狭山事件への目的と手段

次に、下田氏のサイトで上がっていた未解決事件そのものであるが(個別の検証は先述のようにしていないので断定はしないが)おそらく未だ時効を迎えていない事件も多々あったのでは無いかと推察する。殺人であれば2010年4月27日の改正刑事訴訟法施行時点で公訴時効に至っていない罪状に就いては時効無しとなっている。よって(敢て冷酷な記し方をすれば)遺族が事件を忘れたいと感じているか否かに関わらず、捜査は継続される事になっており、下田氏や筆者を含む一般国民にあっても、もしも当該事件に関わるものと思われる情報を得た時には、積極的に捜査当局に情報提供すべきであろう。「いや、その事と個人が自分でサイトなどを開始して世間にその事を広めるのはまた別だろう」と言う向きもあるだろう。今回下田氏もそう考えたのだろう。

そこで考えなくてはならぬのがサイト制作者若しくは制作者兼運営者の目的とそれに伴う覚悟と言う事なのである。これはそもそも、殺人事件と言うような大それたテーマを扱うサイトに限らず、仮に趣味の事を記すサイトであっても、事の軽重に差はあれどもほぼ同様に(サイト開始以前の問題として)考えなければならぬ事柄なのである。下田雄一郎氏は事の最初から、自らのサイト目的がもたらすかも知れないリスクを事前に考慮する事と、それに伴って必要となる覚悟が無かったのではあるまいか。

筆者は楽器演奏が趣味で、その趣味の事を記すブログをやっている。
目的は同好の仲間と親睦を深めて励ましあったり刺激を受けたりする事である。趣味なので軽い目的だが目的は明確だ。従ってその目的に逸脱した言動をはたらかぬよう自分でも気をつけているし、逸脱したコメント類は全て排除する、此れ全て開設当初の明確な目的に則した運営法と自覚している。こういう趣味を持っていると、例えば自分より難しい曲をやっていたり、その逆と言う事も多々あるけども、程度の差はあれ楽器に関しては生徒の分際で自分より遅く始めた人に説教したり偉そうに練習法など教示するような事はしない(独学の人に向こうから求められれば別である)。そんな事は先生がいるならば自分の先生に聴けば良いからである。いや、先生には聴けないから、と言う方には「何でも聴けない先生なら取り替えれば」と思ってしまう。それをナマな形で記したりはしないが。

まして内容が殺人事件など悲劇性の高い事件であって、尚且つ興味本位のサイトでは無く「事件を風化させない」事であるとか「情報提供を求む」「ある程度積極的に活動する」とかの目的が明確な場合、現実の事件に関わるという事柄の性質上、目的と同時に自分自身に求める事は覚悟そのものである。

上記のような事を、此の狭山事件サイトに当てはめるとどうなるかと申すに、まず目的から言えば、トップ頁に記してある通りの事である。そしてサイト開設当初とは目的は変質した事は確実だ。その変質した時点で変質した目的に沿った活動をやっている。従って変質前の行動で自ら排除したものも当然ある(掲示板で議論する事等)。目的に適ったサイト内容及び内容に一致した行動が問われるのであった。つまりこんなサイトなどはたかだか狭山事件に対し自分が定めた目的の為の手段であるだけだ。兎も角も目的を明確に定めた以上、それに違わない常日頃からのサイト内容及び活動が必須であろう。但し今や狭山事件の真犯人をなんとか当てようとするようなムダなアガキをしているヒマなど皆無だ。

狭山事件は時効となっている。がこれがそうでない他の事件と異なるのは何と言っても冤罪事件であるからである。言葉のあやだが、冤罪に時効は無い。人生の重要な季節をほとんど獄中で過ごした人の苦しみや哀しみは本当にはその当人にしか解らないであろう。勿論当然に被害者遺族の心情も同様である。であるからと申して筆者はそれを捨て置くことが出来なくなった。一日も早く事件のことを忘れる事などもってのほかである。

このように自分自身には想像する事しか出来ぬ事柄であるからこそ、その重みからこのようなサイトを運営する事には覚悟が必要だ。基本的には何処の誰が何を言おうとも、目的に邁進するだけである。目的に沿わない或いは沿わなくなったものは排除する。そうでないものはやめる必要は無い。目的に沿わない事の内容はまさにその目的からして明確であって、石川さんが迷惑を被ったり再審請求活動に支障をきたすような事柄である。それ以外の事柄に於いても、自らの良心に照らして場合によっては削除する場合もある。その場合、明確にその理由をサイト中に明記したい。

又、こういうサイトをやっているとその時々に、いろんな人間が集まって来るものであるが、明確となった目的に照らし、ある意味で生物学的に淘汰する。役立たずは不要であり、邪魔する者は必要とあらば暴力を以てしても排除する。

目的とそれに伴う覚悟が明確な場合に於いてはこのようなある種の数学的な冷酷非情さを以てサイト運営が継続可能となる。目的や覚悟が希薄な場合に於いてはそこに遅疑逡巡や鬱屈した不安等が生じ、それが嵩じればそうした自らの軟弱さが原因となってサイト閉鎖と言う事に相成る。こうした事は特にインターネット上のサイト運営に限った現象では無く、人生の様々な営為に於いて全て共通する事である。

石川一雄氏が確定判決通りに有罪だと思う人にとっては、この事件は解決している。だが筆者はそうは思っていないので筆者にとっては未解決事件である。更に冤罪事件であると言う事は真犯人を取り逃がしていると言う事である。従って二重の意味で未解決事件となっている。その未解決事件の解決に、一個人として微力ながら寄与すると言う目的と覚悟を所持した以上、後はその目的達成の為の行動を推進するだけだ。

手段としての狭山事件サイト

こうした行動基準に則ると、行動に従属する手段としての此のサイトの作り方も必然的に決まって来る。つまりあくまでインターネットなど手段、それも補完的なものに過ぎなくなる。但しそうだからと言って、何か手を抜いたりするわけではなく、常に最良のコンテンツを作り続ける必要が生じる。目的を達成する為の手段としての行動に従属する手段にも、最高度に行動に貢献する手段としての質が求められるからだ。

この時、狭山事件が刑事訴訟事案である、と、言う厳然たる事実によって、調べるべき対象も必然的に決まって来る。それは、裁判で証拠能力を有するものを検討対象とする事だった。裁判がどのような経過を辿ったのかも、そこから必然的に見えて来る。例えば控訴審の狭山事件の裁判が、筆圧痕の問題によって、新たな展開を見せた局面。更に死体に関する五十嵐証言と上田鑑定の提出によって、第二の新たな局面を迎えた事。こうした事柄もまた、目的と手段がはっきりしていると、これまた自然と明確になって来る。

現場活動としての狭山事件現地見分なども同じだ。別にカネにもならぬのに、なぜ毎年毎回、このような催しを実施するのか。これも、明確な目的に基づいた手段のひとつだ。遊びなら、私はもっと楽しい遊びを、いくらでも知っている。

狭山事件等に関わる覚悟

いずれにせよ、ある事件に就いて語り且つその事件に就いてある種の活動(具体的には現地調査の事)もしようとするなら、筆者がよそでやっている趣味のブログなどとは到底比較にならないほど(その手のブログでさえある程度の目的明確化と覚悟保持が必要ではあるけれども)のしっかりとした目的と覚悟が必要だと思う。それが無いなら最初から事件に関わる真面目なサイトなどやるべきでは無いのだと思う。但し誤解無きよう敢て明確に申せば、この事は当サイトを含むインターネットの一般視聴者や現地調査の一般参加者に求めるものでは無いことを明記しておきます。ただたんに読むだけのひと、来るだけのひとに法外な行動を求めるつもりはありません。但しそこから先、相応の意見をしようとするのならば、それ也の覚悟を持つべきです。筆者自身も、微力なりといえども色々な事を覚悟して活動に携わっているのですから。


ついでに:一般論として、兎に角サイトを続けて行くにはどのようなサイトであっても自分なりの目的が必要です。社会的や政治的な問題提起等、世の中一般について記すものには特にそれが必須となります。サイトを続けて行く為の「ネタ」探しをしているようなら、やめた方が良いでしょう。例えば此の頁の新規記事作成画面にもデフォルトでトラックバックテーマと称するものが表示されます(勿論筆者は非表示にしています)要するにネタを提供してくれているわけですが大きなお世話です。わざわざ人生の貴重な時間を割いて、個人サイト制作などをするからには、その目的は明確であるべきだし、目的が明確であれば必然的に、そのサイトは継続するものです。


ついでにこれも:どこかの馬の骨から「下田さんには頑張ってもらいたいと思います」旨の、この記事に対するコメントを頂きました。そのコメント記載者は名前を名乗っておりませんでした。筆者は此のサイトの中で名前を名乗っております。名前と言うのは勿論実名(戸籍謄本に記してある氏名)のことです。名乗って書いている者に自らは匿名である時点で内容以前に無礼千万です。ですので、馬の骨と呼ばせて頂きましたが、そもそもその時点で、筆者にも下田さんにも、その者は意見する資格はありません。

更に、頑張って欲しいと言うことは、下田さんにサイトを継続して欲しいと言うことかと思いますが、前の方で書いたようにそれなら自分が頑張れば良いと思いますが如何。他人にはものを求めるが自らは何もしない者も、何も言う資格は無いでしょう。

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2011/04/26
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