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狭山事件寺尾判決

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狭山事件の二審判決への感想と、事実認定に立入って記した記事。

寺尾判決三七年

狭山事件の確定判決となった寺尾判決の事実認定に対し異議を申立てる再審請求について、法文と判例を示し、三者協議とは何かと現在までの流れを記しつつ狭山事件判例の解説で新証拠の内容とともに記載してある。補足的に、寺尾判決の内容について思う処を記しておこう。

狭山事件判決の日

以下は狭山事件裁判が判決の日を迎えて、石川一雄氏が獄中から発したアピール文の一節。

本当にもう少しです。あと数刻後に寺尾裁判長の「原審破棄」の声と同時に皆さん方と一緒に何でも自由にお話ができ、そして自在に活動ができるわが身の自由を思えば胸わくわく、大地に足がつかぬような浮ついた心を禁じえませんが、しかし完全無罪判決がだされたからといって闘いはこれで終結するわけではなく、権力側も面子にかけてもこのまま引きさがらぬと思われるだけに、今後の闘いはさらに厳しいものになるものと予想されます。

どうかもうしばらくおまち下さい。では元気に闘ってまいります。

雷鳴のよう轟く皆の声
  痛快寺尾の苦悩の顔見ゆ
満感を込めて待侘び十余年
  迫る判決わが手に勝利を

昭和49年10月31日、石川一雄氏は逮捕から既に11年5ヶ月を獄中に過ごしていた。控訴審判決は原審支持の死刑、若しくは原判決棄却の無罪の二者択一しか考えられなかった。また、控訴審の経過からして、無罪判決の可能性が大であると思われていた。であるから、裁判長がこの日の判決公判で主文を先に読み上げるのか、判決理由を先にするのか、それがひとつの焦点となっていた。判決言い渡しの慣例によって、主文が先ならば無罪、後ならば死刑と予測出来た。が、この日寺尾裁判長が公判冒頭で読み上げた判決は、そうした予想を全く覆した。

「主文。原判決を破棄する。被告人を無期懲役に処する。押収の身分証明書一通、万年筆一本及び腕時計一個は、いずれも被害者中田善枝の相続人に還付する」

原判決を破棄し、無期懲役に減刑した理由について、犯行は偶発的要素が重なった事情も認められる事、及び被告人が原審当時は悔悟の情を示していた等の情状を酌量したのだと言う。

情状を鑑みるのであれば、控訴審(二審)からは一転して無罪を主張して来た被告人は有罪ならば原審通りの死刑しかない点、この判決は矛盾している。そして寺尾判決のからくりはまさにその点にあった。高等裁判所で死刑判決を受けた被告人が、最高裁判所に上告した場合、最高裁判所としては、事実審理を行う慣例であるけれども、死刑から無期に減刑された被告人の上告の場合、公判を開かずに書類審理のみで、しかも多くの場合門前払いとなる。且つその後の再審請求については、余程の証拠が無い限りは(そしてその証拠は検察側が握って開示しない)被告人或いは受刑者にとって非常にハードルの高いものとなる事は、今日迄の再審請求の成行きを見ても解る。

つまりこの判決は、石川一雄氏が「改悛の情を示している」として永久に殺人者の烙印を押し、尚且つ一見「温情」を示したように無期懲役に減刑をする事によって、その後の上告、再審請求を困難なものに陥れる役割を担ったのだった。判決公判で山上益朗弁護人が「ペテンだ!」と叫んだ意味はここにもある。

そのころ、筆者自身は、狭山事件の事など全く知らず、部落差別という言葉すら知らないで過ごしていた。上に記したようなことも、後から知った知識に過ぎない。そういうことを、いくらかでも知り始めた時には、寺尾判決からも更に30年近くが経過し、事件そのものは時効となり、これによって、被害者善枝さんを殺害した上に冤罪被害者をも作り上げたそもそもの張本人である真犯人も仮にそれが誰であったかが判明したとしても永久に野放しになってしまった後だった。しかし当時も引続き、第二次再審請求とそれに続く最高裁への特別抗告が闘われているころだった。

「本当にもう少しです」と石川氏が書いたその日からも、37年が経った。

*そしてこれを書いてからも月日が経ち、狭山事件は半世紀を超えた。此の事件の節目の出来事があった日をざっと順番にあげれば
5月1日=狭山事件発生
5月4日=遺体発見
5月23日=石川一雄氏逮捕
6月17日=本件容疑で再逮捕
6月20日=三人共犯の自白
6月23日=単独犯行の自白
7月9日=本件起訴
3月11日=一審死刑判決

他にもいっぱいあるが寺尾判決日以外だとこんな感じになる。当然ながら良からぬ記念日ばかりである。良き記念日があるとすれば、それはこれからの再審開始と無罪確定だけだ。

寺尾判決の事実認定

しからば寺尾判決の事実認定は如何なる証拠に基づくものであったか。これについて寺尾判決はこう述べている。

(一審判決が自白を証拠の中心としているのに対し)当裁判所として原判決の事実認定の当否を審査するに当たっては、むしろ視点を変え、まず、自白を離れて客観的に存在する物的証拠の方面からこれと被告人との結びつきの有無を検討し、次いで、被告人の自供に基づいて調査したところ自供どおりの証拠を発見した関係にあるかどうか(いわゆる秘密の暴露)を考え、さらに客観性のある証言等に及ぶ方法をとることとする。

この考え方に基づいて事実認定に於ける証拠を大きく三種類に分け「自白を離れて客観的に存在する証拠」と「自白に基づいて捜査した結果発見するに至った証拠」=秘密の暴露、「死体及びこれと前後して発見された証拠物によって推認される犯行の様態」としている。

つまり、自白偏重を避けて客観的証拠により事実を証明しようと言うのだが、例えば自白を離れた証拠の筆頭にあげられた狭山事件の脅迫状と筆跡の問題にしても、弁護側提出の大野鑑定などの指摘を部分的に受け入れ、被告人が狭山事件犯行当時、漢字を余り良く知らなかったことを事実として認め、だから自宅にあった(実際は無かった)雑誌「りぼん」から漢字を拾えば脅迫状の作成は出来ると認定した。しかしこの「りぼん」が何故脅迫状の作成に登場したのかと言えば、結局自白調書にこの雑誌が出て来るからである。つまり、自白を離れて客観的にと言いつつ、結局は自白に根拠を求めるのだ。

しかも「りぼん」は、これは確定判決後になってからだったが、この雑誌を借りた石川一雄氏の妹の同級生の供述書が開示された結果、事件当時石川宅にりぼんは無かった事が判明してしまった。寺尾判決は脅迫状の手本をりぼんと断定しているのだから、当のりぼんがそこに存在しなかったのであれば、この事実認定の元となった証拠が無かった事になる。この件は狭山事件脅迫文の作成問題として、本体でも検証した通り。

脅迫状問題は寺尾判決の事実認定に於ける一例に過ぎず、判決文を読み進めるとあちこちで、これこれの事実は「自白にも合致する」するから首肯出来、あれこれの反論はだから却下出来る、との論法が多い。

狭山事件寺尾判決の証拠構造

寺尾判決の事実認定に於ける論理と証拠構造をまとめれば、次のようになる。

自白を離れた客観的証拠

  1. 脅迫文と封筒の筆跡が一致する=関根・吉田、長野、高村の各鑑定。
  2. 佐野屋付近で採取された足跡が石川一雄宅から押収した地下足袋と一致する=関根・岸田:狭山事件鑑定
  3. 死体から採取された体液の血液型と一致する。
  4. 死体遺留品の手拭い・タオルを石川一雄氏が入手可能だった。
  5. 死体を埋めるのに使用されたスコップを入手可能だった=星野鑑定。
  6. 脅迫状を届ける時に被害者方の場所を尋ねて来た男は石川一雄=UK証言。
  7. 佐野屋で聴いた犯人の音声と石川一雄氏の声が似ている=姉・PTA会長証言

自白に於ける秘密の暴露の存在

  1. 自白に基づいて鞄を発見。
  2. 同様に万年筆を発見。
  3. 同様に腕時計を発見。
  4. 脅迫状を届ける途中で車に追い越された自白が運転者の証言で裏付けられた。
  5. 被害者方東方に車が駐車していた自白が同様に裏付けられた。

そして「殺害方法や死体遺棄の客観的状況と自白は合致する」。自白と矛盾する客観的状況は、自白に嘘が混じっている事と、捜査が拙劣だった事とで説明可能。

以上が、寺尾判決がよって立つ事実認定の構造だ。このうち、血液型については本件当時、狭山市の人口は3万5千人余りで、日本人に於けるB型の割合は20%余りであるから、単純計算では市内には7千人位のB型の人が居たことになるから、血液型の一致は全然決定的な証拠などと言えぬ。犯人の声と似ている事については、佐野屋の現場で犯人の声を録音していたわけでもなく、後から逮捕された被疑者の声を聴かせて「似ている」だけでは、これも同様に決定的とは言えぬ。それ以外の項目については現在では全てに新鑑定や新証拠がある。

狭山事件現地調査11月17日

狭山事件現地調査2011/11/17

先月お申込みの立教大学キリスト教学研究科博士課程の皆さんと、現地調査を行いました。今月5日の現地調査とともに、狭山事件2011年現地として頁作成を完了しました。

狭山事件サイト更新

サイト更新履歴:狭山事件公判調書から、調書に添付されている写真を適当に見つくろって掲載した狭山事件裁判資料写真の頁を作成しました。二審当時の昭和40年代に撮影された写真です。狭山事件検証の一助となれば幸いです。2011/11/18

狭山事件の再審を求める市民集会

狭山市中央公民館に於いて、狭山事件の再審を求める市民集会が下記のとおり開催されます。参加費無料。どなたでも参加できます。お近くの方は是非ご参加下さい。

日時2011年11月20日(日)午前10時~午後3時
会場 狭山市 中央公民館3Fホール(市立図書館向かい 医師会立準看護学校隣)
   狭山市入間川3丁目1-1 04-2952-2230
   西武新宿線 狭山市駅下車 西口徒歩3分
第一部 交流学習会 10:00~12:00
    石川一雄氏あいさつ
    足利事件 菅家利和さんあいさつ
    狭山弁護団の報告 質疑応答
第二部 現地調査 13:00~15:00 狭山市駅西口集合


なお、当サイト主催の現地調査は無事終了しました。参加各位には御礼申し上げます。今月はサイト主催でもう一度現地調査(団体参加)があるため、その終了後に頁制作を行う所存です。

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2011/10/30
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