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狭山事件再審集会と会議

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狭山事件の再審市民集会サイトを作っている方からお知らせを頂いていたので活動者会議に参加した。朝がたからなんちゅうことなしに体が痛く少し熱がある様子だったので、一時はよそうかと思ったのだったが薬を飲んで行って、帰って来た。

狭山事件活動者会2011年9月29日

画像-狭山事件会議2011年

会合の内容はきっとほかの狭山事件サイトでも紹介されると思うのでそこらあたりはチョットはしょらせて頂くとして、いろいろと考えさせられる集いだった。何を考えるかというと、個人として狭山事件再審活動で今に加えて更に何が出来るのかということだった。

筆者は狭山事件に関して、今の処特に組織に正式に加わって何かをしているわけでもなく、全くたんなる一個人で出来ることを見つけて来た。それには理由があり、組織や運動体にはなかなか近寄りがたいと思う人民もけっこう居る筈だと思ったことである。更に近寄りがたい以上に、どこでいつどんな活動が行なわれているのかという情報もあまり流通してないような気がする。それなので、何か個人的な入口もあって良いのではないかということで、昔その時ははっきり言ってなんの気なしにこしらえたサイトを利用することにしている。もちろん個人のやることだから極小な入口ではある。

但し筆者自身としては、活動を通じて自然と既存の運動体にお近づきになることに何の抵抗もなかったし今後ともますますそうなると思う。一人か二人でやることは所詮たかが知れている。だからお呼びが掛かれば(場合によっては掛からなくとも)こうした会合、集会、要請行動等には喜んでどしどし参加させて頂く所存。証拠開示請願署名の用紙も漸く頂いて来た。

ほかにもいろいろ考える処もあり、ちょっと最初の自問に答えが出ない記事にもなってしまったけども、今宵は一応の御報告とさせて頂きます。

狭山事件活動者会議続報

あのあと熱を出して寝込んでしまったので少々遅くなりましたが続報。9月29日の活動者会議のもようとその前日の三者協議の結果については「冤罪 狭山事件=三者協議と狭山活動者会議・住民の会全国交流会」で報告されている。

石川さんが前日の三者協議の後「昨晩は一睡も出来なかった」と、早智子さんも「近ごろいろいろと考え込んでしまいます」と仰っていたのは筆者もこの耳で聴いた。筆者ももろもろ更に何が出来るだろうかと考えさせられた所以である。裁判所側からは特に積極的な提言はなかったようだ。

昨日、予定している11月5日とはまた別日程で、現地調査のお問い合せが当サイトにあった。大学院で教鞭を取られている先生で、学生さん達十数名での現地調査のご相談であった。その日程はまたこれから調整するところだけども、知らないところで狭山事件に取組んでおられる人々が多くいるであろうことが実感された。

すぐに何か目新しい活動の仕方などは思いつかなくとも、こうした取組みをされている人々と横の繋がりを広げて行くこともまだまだ出来ると実感した次第である。而して個人として何が出来るかは引続き考慮しつつ、今あって機能している運動体の活動に参画して行こうと、一応の結論を出した。当面の課題は11月末までに取りまとめる証拠開示法制化の為の署名活動だ。

狭山事件三人説

メモ:活動者会の報告でも言及されていた、自白当初の「三人犯行説」。OS氏(昭和三八年三月一三日に石川さんとT氏を所沢の農家に就職斡旋した。日付は筆者の調査に因る)から原正検事(当時)が六月五日及び十日(第二次逮捕の前)に「加佐志街道近くの山林で石川とTに似た不審者を見た」という調書を取った。これが三人犯行説での自白誘導に結び付いた。後、T氏のアリバイが確認された為、六月三〇日に先の証言を取り消す調書を作成した。

狭山事件石川逮捕の根源

この狭山事件奥富調書と呼ばれるものはまあ諸悪の根源のような記録であってね、狭山事件の捜査が被差別部落に集中するその中でもどうやって石川一雄氏に目をつけたのか、その原因を作っているのだ。最初は、ただ怪しい二人だか三人だかを見たと言って名前までは特定せぬのだが、そのうちに石川に似ていたとなり、上に書いた通り6月に入るとはっきり石川一雄とTだと断言した揚句、最後には誰だかわからん、となって証拠から消え失せるのである。途中では一度、見たのは自殺した奥富玄二氏と述べたこともあった。

狭山事件の自白は取調官による

そう申すのは自白は、たゞたんに被疑者が思い出すまま思うがままに語ったものをそのまま書き写したものに非ざるのが厳然たる事実であるからである。自白は取調べを担当する捜査官と被疑者の問答から出来上がるのだ。だから、なぜ狭山事件の自白が三人共犯から一人になり、その一人も三人説をそのまま一人説に置き換えただけのものから、がらっと根本的に内容が変った最後の一人説になったのか、その原因が捜査官の狭山事件の見方が反映してるというのだ。そして、初期の三人説の根源が奥富調書だったと言う事だ。

奥富調書について、ある一部の狭山事件推理では真犯人側の捜査妨害電波扱いしていた者も居たが、なんの証拠もありゃあせぬたゞの空想である。こうした空想を流布する輩は2002年ごろを中心にネット上で多発したようだが、今や雲散霧消した。狭山事件について、市販の本や、こゝのような無料サイトを見て推理の材料を得るようなお手軽なうわごとが、通用しなくなった現れである。

近況告知 10/8

平和プラザ2011と、いうところで殿岡駿星氏がシンポジウムで講演されると聞いていたので、昨日行くつもりだったのが熱が出てしまって結局行けませんでした。たいがい翌日には下がるんだけど、先日の狭山交流会の日あたりから発熱し、一応知恵熱と称しておりましたが、漸く本日になって少し下がって来たのです。短期間に今の自分では捌ききれないほどニュー署名用紙を頂いて来てしまって、それを殿岡さんに渡す用事もありました。願わくば会場にも置いてもらおうとかしておったり、展示内容や催し物そのものにも興味があったので非常に残念。

家で倒れていた処、近所で懇意にして頂いている陶芸家の先生(最近更新停止しておるが以前サイトを作った)からも電話があり「こないだの署名は〆切とかあるの?」「一応11月末までに第一回の取りまとめです」「ああそれならけっこう集められると思うよ」この方には2、3年ぐらいかお会いしない時期があったので狭山事件のことはつい最近喋った。でも、とにかく人には話してみるものです。

殿岡さんとは良く覚えていないが2005年ごろからお近づきになった。なにしろ、筆者がこういうサイトを維持してまで狭山事件に関わりを持つようになった最大のきっかけは昔殿岡さんの本を読んだ事と言って過言ではない。そのような個人的なお付合いでもあるので、去年あたり、殿岡氏の悪口をさかんに書いたり喋ったりしているある人のほうのお付合いをスッパリやめてしまったほど(ソレは理由の極一部に過ぎないけど)。まあそういう筆者の個人的の繋がりを、知らなかったのだから仕様が無い。しかしあまり良く知らない相手に向かって人を悪く言うのは自分もよしたほうがいいと思った。筆者もついこないだ、大臣の発言を悪く書いたので、その支持者の人は気を悪くしたかも知れない。あれはそれ、要するに税金値上げの理由にひとの健康を持ち出したのが筆者の気に入らなかったわけです。

それはともかく、こぅ具合が悪いんじゃタバコも止めるに越したことも無い事も無くは無いかも知れ無い。ちょっと電車に乗って行けるところにも行けない時があるので全く困ったもんですが、現地調査と12月1日には這ってでも行く所存であります。

2011/10/02

狭山事件再審集会2011年12月1日


高裁前での石川さん街宣活動

先日の狭山市での市民集会には、当サイトにも自分で記載させて頂いていたにも関わらず、体調を悪くしてしまいまして参加出来ませんでしたが、12月1日この日の要請行動、集会、請願デモには参加させて頂きました。集合時刻に30分ばかり遅れてしまいましたが、法務省前から高等裁判所方面へ歩いていると、荊冠旗と石川さんの姿が見えたのですぐに合流出来ました。

集会では弁護団から、先に開示された取調録音テープの解析を進めているとの報告がありました。布川事件、足利事件、志布志事件、袴田事件、東電社員殺害事件の各冤罪被害者、支援者、袴田ひで子さんらが証拠開示・取調可視化法制化のアピールをされました。

ちょっと余談ですが印象に残ったので記させて頂きますが、同じく挨拶をされた民主党の国会議員の方(従軍慰安婦問題の件で過日訪韓された人)は「そのこと(訪韓)でいわゆるネット右翼から実に汚い非難を浴びた。中には韓国女性を貶める内容もあった。言って良いことと悪いことがある」と申されておりました。主義主張のちがいは当然あること、但し行動の伴わないネットナントカ(右でも左でも何でも)は筆者には不要です。昔は例えば右翼であれば自分の命も賭け一人一殺と言われたものですが(善し悪しは別です)何の行動も伴わず尚且つ匿名の口先だけで他人の行動を批判する資格は無いと思います。

それはともかく

狭山事件再審デモ風景=2011/12/1

要請・街宣活動、日比谷野外音楽堂での市民集会終了後、国会議事堂までデモ行進。

国会への証拠開示法制化署名提出

そして証拠開示法制化を求める署名はこの日までに25万名分が集まり、デモ行進ののち国会に提出。玄関に出迎えていたのは社民党さんだけで、国会会期中で諸懸案山積の折とは申せ、この日の天候のようにお寒い自民党など他党と、この熱い人民大衆との温度差を感じました。

しかし、ちょうどこの前日に福井女子中学生殺人事件の前川彰司さんが再審開始決定を受けたことなど、証拠開示、取調可視化の機運は増々高まっていると思います。次回(第九回)三者協議は12月中旬とのことです。よって次の焦点は今月中旬です。引続き、出来得る限りのことを尽くす所存です。

於高裁前

▲高裁前に突如現われた一人一党右翼らしき人。最初は石川さんの街宣を邪魔しに来たのか?と思いましたがそうでもなく、やはり何か裁判に関わる街宣をしていたので合間を見て狭山再審ビラをお渡ししました。

日比谷公園の解放派

▲社青同解放派の幟旗。この前には例の如く、ずらりと公安二課の捜査員が居て写真を撮ったりしている。撮られる側の気持ちは昔取ったキネヅカで、筆者にもようく解ります。

2011-12-01tu_c.jpg

▲11月5日の現地調査に佐渡から来られたTさんも要請行動から参加。集会前に見せてもらった狭山事件学習ノートです。よく勉強されていると、筆者は本当に感心いたしました。

狭山事件再審署名提出

内容以外のことを取り除いたこの日の感想は、まあとにかく寒かった。です。

2011/12/2

狭山事件活動者会2012年2月25日

お知らせを受けて拡大全国狭山活動者会議・住民の会全国交流会に行きました。その内容を抜粋して記します。

狭山活動者会議2012/2/25石川さん挨拶

狭山事件三者協議9月

第8回三者協議2011年9月28日

弁護団は2月、3月、5月に提出した開示勧告申立書で、死体を埋めるために使ったとされたスコップの指紋検査報告書や「犯行現場」の血痕検査関係の捜査書類等の開示を求めたが、7月13日の第7回三者協議で検察官は証拠開示の必要性は無いとする意見書を提出した。弁護団は8月9日付で反論の意見書を提出し、スコップの指紋検査報告書や雑木林の血痕検査に関わる捜査書類をはじめ鞄、万年筆などの捜査、発見に関わる捜査資料などの証拠開示を強く求めた。

それに対して、第8回三者協議で、検察官は不見当と回答。小川裁判長は開示の検討を検察官に促した。弁護団は第8回三者協議を踏まえて、スコップ関連の捜査書類、「犯行現場」を特定する為の捜査書類等の証拠開示勧告申立書を10月4日付で提出した。

狭山事件とスコップの指紋

検察官はスコップの指紋検査について「スコップの柄に泥や雨水が付着している為、指紋検査が出来なかった」旨主張しているようなのですが、発見されたスコップの柄の部分には検査不能な程の泥は付いていません。また、例えば泥が多量に付いた牛乳瓶の指紋検査は行なわれています。即ち、スコップの指紋検査をしていないと言うのは、芋穴の血痕検査はしているのに(芋穴の血痕検査報告書は1985年開示・当サイト内「狭山事件再審と新証拠」参照)自白殺害現場の血痕検査をしていないと言う主張と同様、理屈に合わぬ論理です。

狭山事件三者協議12月

第9回三者協議2011年12月14日

弁護団は有罪判決が「秘密の暴露」と認定した3大物証に関わる証拠等の開示を求め裁判所も検討を促していたが、検察官は12月12日付で意見書を提出するとともにこの日の協議で、3物証に関わる捜査報告書など14点を開示した。

一方、万年筆を置いた場所の図面、「犯行現場」を特定する為の捜査に関する証拠等は「不見当」と回答した。弁護団は、これまで開示された上申書や取調テープなどにつけられた番号を整理し、検察庁が領置した証拠物のうち番号が抜けているものについて、その内容の特定と証拠開示を求めており、これらの証拠開示に検察官が応じるかどうか次回の三者協議で山場となる。

また、検察官は、筆跡や死体に関する鑑定書を今後提出するとしており、弁護団は、これに対する反論の鑑定書などを提出し、鑑定人尋問やOさん(自白殺害現場脇で殺害時刻に農作業をしていた)の証人尋問などの事実調べを求めていくことになる。次回の三者協議は4月内の中旬以降。

1=被害者の腕時計の自白に基づく場所の捜査報告書(此の捜査で時計は発見出来ず7月2日に民間人によって発見された)。2=万年筆の家宅捜索令状請求書(裁判所へ提出するもの。請求を受けて裁判所が令状を発行する。刑事訴訟法第218条第1項及び犯罪捜査規範第137条第1項)。3=鞄に関する調書及び報告書。これらが開示された模様です。

狭山事件 この間の取組み

1 狭山事件の再審を求める市民集会の開催
12月1日日比谷野音で開催。午前中には東京高裁、高検に対する要請行動を実施するとともに、高裁前、弁護士会館前で情宣活動を行なった。
2 石川さんの第八次高裁前アピール行動の実施
12月に開かれる三者協議に向けて、10月18日から6回渡って実施。併せて各地から要請葉書や団体署名などに取組んだ。
3 連合人権フォーラム・同宗連現地研修会・証拠開示法制化を求める各地集会等
青森住民の会の主催で「冤罪を考える集いIN弘前」が開かれ五十人が参加。「弘前事件」の著者鎌田慧さんが弘前事件にみる冤罪の構造と狭山事件の再審を訴えた。

12月2日、連合主催の人権フォーラムを開催。二百人が参加、石川さんが狭山事件と冤罪について訴えた。また11月24、25日には、同宗連が狭山現地調査と学習会を開催した。25日の現地研修会終了後に、東京高裁、高検に対する要請行動も行なわれた。

狭山事件 当面する取組み

1 証拠開示請願署名の達成状況と第二次集約について
12月1日迄に全国から寄せられた公正な証拠開示の法制化を求める請願署名は25万6千筆、団体署名1450団体。其の後の達成状況は下記の通り。3月末に第二次集約を行なう。4月の第10回三者協議に向けて、100万筆達成出来るよう全力で取組む。通常国会の動きを見ながら、政府・国会に対する要請行動などの取組みを実施する。
請願署名達成状況
狭山100万人署名 2009/9/1  1,058,296  達成率103%
証拠開示請願署名  1012/2/23   616,082  達成率57%

2 教宣用DVDの制作と活用
証拠開示で何が明らかになったか、何がポイントかをアピールする狭山事件DVDを作成し、各地で取組みを進める。またこの動画のインターネットでの配信、YouTube等への投稿も活用して拡げて行くことを検討する。また、狭山事件再審を求める市民の会で集いを開きマスコミ等へアピールする。
3 3・22市民の集いの開催
日時 2012年3月22日(水)午後6時30分~
会場 東京 日本教育会館 8階会議室
名称 狭山事件の再審を求める市民の集い
内容 弁護団報告「ここまできた狭山第三次再審」中山主任弁護人
   最近の再審の動向と狭山事件 庭山英雄弁護人
   市民の会からのアピール
4 石川さんの高裁前アピール行動
2月28日、3月7、13、22、27、4月3、10日に実施。併せて各地から要請葉書や団体署名などに取組む。
5 ドキュメンタリ映画「みえない手錠をはずすまで」制作協力について
狭山事件50年を迎える来年に向け映画「みえない手錠をはずすまで」の制作が進められている。映画のリーフレット、予告編の動画も作られた。これらを活用し、各地の集会等で宣伝するとともに制作費カンパの呼びかけ等の協力を行なう。

狭山事件再審活動当面の予定

2月28日  高裁前アピール行動開始
      (3月7、13、22、27、4月3、10日)
3月17日  狭山弁護団会議
3月22日  狭山事件の再審を求める市民の集い 日本教育会館
3月31日  請願署名第二次集約 目標100万筆
4月18日  連合・中央共闘現地調査
4月20日  国会院内集会 署名提出
4月中旬以降 第十回三者協議

狭山事件DVD試写

上記取組みにもあるDVD(筆跡、Oさん証言、自白の信用性を中心とした内容)と映画「みえない手錠をはずすまで」の予告編の試写が行なわれました。来る3月22日の集会には、この二本とも完成上映が予定されています。

狭山事件再審活動基調提案

松岡徹 部落解放同盟中央本部書記長(要約・大意)
狭山が変れば司法全体の改革にも繋げる事が出来る。その為には、今日ここに集った皆さんのように狭山事件についてなら1時間でも喋れるひと達の活動とともに、狭山事件のさの字も知らない若い世代へ事件の事を伝える事が重要になってくる。この二本の動画(映画)もそのために、全く知らないひとが見ても解るように作られている。また、今はインターネットの時代。インターネットを利用した動画配信もどしどし進めていただきたい。


その後、各地に於ける取組み報告と意見交換が行なわれました。筆者が2005年頃以来いつも考えて来た事には、狭山事件を全く知らないひとに如何にして知ってもらうか、また、組織化されていない個人にも積極的に参加出来る入口を如何にして作るかと言う事があります。その為に、本日試作版として上映されたDVDが非常に解り易く、完成次第(許可がおり次第)当サイトに於いても積極的に配信する所存です。


当面の焦点は3月31日の証拠開示法制化署名第二次集約と、4月中旬以降(恐らく20日の署名提出後)の第十回三者協議、及びそれに向けての取組みとなりました。

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2012/02/03
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