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狭山事件とソマリアの謎

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狭山事件に無関係な海外レポート

ですが、これもまあ、狭山事件の真相と謎のひとつだ。

結構前に(昨年秋)友人であるKさんから、ソマリアでのレポートがメールで送られて来て、このサイトへの掲載許可も頂いていたが、なんやかやと雑務に追われて、それを編集する機会が無かった。Kさんとは飲み友達と言った処。休日前の夜半などに自宅近くのショットバーにふらりと現れ、深夜と言うかほとんど朝迄、写真とか互いに行った事のある外国の話とかをしたりする。自分のサイトの記事にするのもなんだけど、ここに掲載させて頂いてしまおう。可也長い記事ではあるが、では早速。

☆☆☆ 以下、by K氏

ソマリアレポート2005

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以下に掲げるレポートはあくまで見識の浅い筆者個人のささやかな体験に基づくものであり、それを承知の上でお読み頂きたい。日本にはなかなか伝わってこないものの、我々が共有する地球上という同空間で起きている出来事に関して多少の興味があれば、ぜひお読みいただけると幸いである。

ああ、ソマリア。過ぎ去りし日の蜃気楼。

麗しき追憶の日々・・・。

イラクと同じくらいの人が日々、飢餓と銃弾で命を落としているにもかかわらず、国際的にはほとんど見捨てられた土地。それがソマリアである。支配するのは法ではなく暴力。

1993年、加熱する内戦に国連が介入し失敗。それにより事態は更に泥沼化。以来現在に至るまで無政府状態が続き、国内には五十を超える部族勢力がひしめき合い、かつての戦国時代さながら、武装集団同士が覇を競い合っている。このように混沌の極みにあるソマリアだけに、中には勝手に独立宣言をして独自の政府をつくってしまっている地域もある。それが今回私が訪問したソマリア北部の独立区、ソマリランドである。

ソマリランドは唯一、死を意識せずに歩けるソマリアの地域、と思われる。

エチオピアのアジスアベバ発ソマリアのハルゲイザ行きのエチオピア航空機は徐々に高度を下げ、禁断の秘境エリアのブッシュ地帯が視界へと入ってくる。フォッカー50という、すでに倒産してこの世に存在しないフォッカー社製の年代モノプロペラ飛行機だ。クルマに関してはクラシック趣味のある私だが、残念ながら飛行機に対してはその趣味はない。墜落しても訴える相手がいないのは少々やっかいだ。

ロンドンのトラファルガー広場近くのネットカフェで直前に行った最終情報収集活動によると、我々が到着する約十日前には、ハルゲイザで五人のアルカイーダメンバーが拘束されていたようだ。アフガニスタンで軍事訓練を受けた特殊工作員がソマリランド総選挙の妨害と外国人の殺害を目的として首都のモガデーシュから送り込まれてきていたのだが、潜伏先に踏み込まれ、四人は拘束。一人は逃亡したがカーチェイスの上、捕縛。やはり物騒なところだ。

そして無事到着。長年の憧れの地、ソマリア入りをじんわりと喜ぶ反面、ウーン、ついに来てしまったな、という悔悟の念がやや脳裏を占める。

機内で私と友人は、アジスアベバ、ボレ国際空港での再会を喜んでいた。

私はロンドンから、我が友はバンコクからのルートのため、アジスアベバの旧政府系ホテル、ギオンホテルで待ち合わせの予定が、我が友は姿を見せず、さては拉致でもされたか、と心配し、深夜四時に空港に行ってみたもののその姿はない。はたまたバンコクでトラブルにでも遭ったか?大使館にでも通報しておこうか?などなどネガティブな考えがちらつく。だが、ポジティブ思考の私は、いや待てよ、これは千載一遇のチャンスかもしれない。そもそもソマリア行きの英雄になるのはオレ一人で充分だ。ここに来ないということは、アッラーの神があの男にまだそこまでの資格は与えなかった、という意味だ。よし、ヤツの事はきれいさっぱり忘れてひとりで行ってこよう、と空港内で腹を括っていたところ、我が友はいきなり現れた。

なんでも聞いたら、バンコク発アジスアベバ行きの便が、全ての乗客の荷物をコンテナごと入れ忘れたらしく、バゲージクレームのベルトコンベアーには荷物がひとつも流れてこなかったらしい。やむなくだいぶ遅れてギオンホテルに足を向けたものの、ドアマンの男は、日本人の男は泊まっていない、と自信たっぷりに答えたのだとか。

空港に彼を探しに向かった私とはちょうどすれ違いだったようだ。ちなみにギオンホテルは現地では日本における帝国ホテルのように由緒正しき一流ホテルだ。それでやむなくエチオピアにマラソンの高地合宿に来ていた日本人青年と行動を共にしていたのだとか。

そしてハルゲイザ。

タラップを降りたら、なぜか滑走路にワケのわからん連中がすでに屯している。空港関係者なのかなんなのかさっぱりわからん。後で知ったのだが、そこにいたのは胡散臭い客引き、タクシードライバーの類だった・・・。滑走路で堂々と客引きができるのは世界広しといえどもココくらいのものだろう。

ヤンキー・キロと名乗る63歳の金歯の男が我々を手引きした。なぜか軍服に身を纏い、全身に精気を滾らせている。携帯も所有している。只者ではなさそうだ。後で聞いたところ、子供は十四人。全て一人の妻に産ませたらしいが生まされるほうはたまったものではないだろう。この男がビザの手配などをしてくれた。ビザ発給の手続きの間、我々は空港の外に設けられた檻のようなスペースで待たされた。

我々の荷物を勝手に持っていって行き、自分のクルマのトランクに積んでいったのは客引きのドライバー、イスマエルだ。ジブチ生まれのこの36歳の男は陽気だった。

興奮してくると運転中もハンドルから手放しで身振り手振りで話し出すのがたまにキズだが。後で「なんでオマエあそこに入れるの?」と聞いたら、空港のみやげ物屋と友達だから、と言っていた。国際空港なのにいいのか、そんないい加減な管理体制で?とも思うが、まあ、超管理国家、ストレス社会の島国ニッポンの狭苦しい論理を押し付ける考え自体が幼稚といえば幼稚だ。「ここはソマリア、そんなケチくさいこといわないで滑走路くらい入れてくれよ、いいじゃないかマイフレンド」。この状況を説明するにはそれだけで充分だろう。

ハルゲイザは人口四十万の大都市。しかし、カネがないのか、街の中心部ですら舗装路はない。なんだか日本のホームレスの家みたいな構造の家があちこちに目につく。

これって廃品で家をつくっているのだろうか?ソマリア人が新宿中央公園のホームレスのねぐらを見ても、「屋根がある家に住んでいるのになぜ彼らはホームレスと呼ばれるのだろうか。私には不思議でならない。」と首をかしげることだろう。ウーン、ともかくもなんだかすごいところだ。

ホテルはまともなところを予約しておいたが、やはり宿泊客に観光客はゼロ。前述のごとく一週間ほど前にソマリランドの総選挙があり、その監視団が国連などから派遣されてきていたので、他の西洋人宿泊客は全て各種団体の人々だった。観光で来ました、と答えたら、皆、驚いていた。そりゃそうだろな・・・。

ラマダン中だがホテル内では我々は飲食はいつでも楽しめる。酒はいっさいこの国では飲めないので、それがいささか辛くはあるが。また、婚姻した男女以外は同じ部屋に泊まることは法律上許されないため、やむなく我が友とは別室に。

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左:屋台にて一個8円のサモサを買う筆者。

右:瞬く間に群集に囲まれる筆者。

ハルゲイザの市内中心部のマーケットでは、歩いているだけでインド、バングラデシュを軽く超える注目度を浴びまくった。

目ざとく我々を発見したソマリア人から口々に、チャイナッ!フィリピンッ!ジャッキーチェンッ!といったイキのいい掛け声がほぼ数秒ごとに聞こえてくる。まるで築地でセリにかけられているマグロのようなバッドな気分だ。なぜか、アリババッ!なんていう意味不明の叫び声もあった。その都度、ジャパーン!と律儀に答えていたが我が人生でわずか短時間の間にかほどまでジャパーン、という言葉を口にした経験は過去に記憶がない。

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ハルゲイザ中心部にて。

またラジオ局への潜入にも余裕で成功。ラジオ局長自ら、我々を局長室に案内してくれる、というVIP待遇。この局長、テレビ局の存在しないこの国ではNHKの海老沢会長のような存在かもしれない。さすがにラジオ局はクーデター時などに真っ先に占拠のターゲットとなるため、局長は政府から下ってきた明らかなキレ者、要人という印象を受けた。それでも番組収録中の部屋に勝手に入ったりして、ほとんどやりたい放題。まあここはソマリア。これくらい許されるのは当然といえば当然だ。

その翌日にはラス・ギールというソマリアの遺跡に向かった。我々二名に対して、カラシニコフで武装した警官、運転手に、ソマリランド観光省考古学部門の役人、シャベレの計三名が同行。我が国に単なる観光で来た外人が京都に行くのに、警視庁と外務省から各一名ずつ、ついてくるようなものだ。よほどヒマ、とみえる。みんなちょっとのことでも絡んで、カネが欲しいのだろう。警官の2日間での取り分はこの中で一番低い8ドル。なので一番やる気がない。とっても分かりやすい人々だ。

道中にはマントヒヒの群れ、ラクダ、陸カメなどがいた。逃げるマントヒヒに対して「ホヒー、ホヒー!」と動物的な奇声で呼びかけ、必死に止めようとするシャベレ。身なりこそ他のヤツらよりは立派だが、その後ろ姿は役所の高官のそれとはとても映らない。役人シャベレは他の二名がラマダン中で一切のものを口にしないにもかかわらず、水はグビグヒ飲むわビスケットは食うわ、タバコは吸うわで、アフリカの役人根性まる出しだ。だがお役人様には誰も口出しできない。

その他、砲撃された戦車一台、装甲車二台が幹線近くにそのままになっていた。十四年間、野ざらし状態らしい。これも撤去するカネがないから放置なのだろう。

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破壊された戦車の前で、やる気のない警官と。   

内部には未使用弾がそのまま放置。

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ブッシュの荒地帯をランドクルーザーで走ること二十分。目的のラス・ギール遺跡はあった。

私が愛用しているフランス・ミシュラン社製の精巧な地図にもその名は刻まれていない。まさに秘境中の秘境だ。数年前、フランス人の考古学者がやってきて、現地で研究・発掘作業を行い、ラス・ギールの全貌が明らかになったのだとか。紀元前2700年前の、ソマリアの王の住居跡だ。正確な年代は不明だが、遊牧民のアラブ人が紅海を越えて進攻するまで、その支配は続いた。洞穴に色々な絵が描いてあった。といっても牛と人間しかなかったけど。

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左:役人シャベレから説明を受ける筆者。

右:洞窟内の絵。ほとんど牛ですが。

遺跡近くで生まれたという二人が同行していたため、シャベレを介してインタビューを試みた。意訳も所々に入っているが、その内容は概ね以下の通り。

「どうして近くで生まれたのに、ここまで長い間、遺跡に気付かなかったのですか?」

「いえ、あの洞窟の事は昔から知ってましたよ、オラたちは。」

「でも誰も気に留めなかった?」

「へえ、それが、ここいらで生まれたオラたちにとって、あそこは立ち入り禁止だったんでがす。」

「というのは?」

「オラたちは子供の頃から、親にあの洞窟には近寄るなっていわれてたんでがす。あそこには悪霊が住んでいるから、入っちゃダメだってね。先祖代々、そういわれてきたんでがす。」

「でも子供の頃なら冒険心で行くこともあったでしょうに?」

「ええ、そうがすとも。でもあそこには無数の猿どもが住み着いているし、今も数百頭いやすよ、ヤツらは。昼はエサを漁りにみんなでかけてますがね、夜になるとみんな戻ってきてまさあね。それにやっぱり色々な絵が書いてあるってのはどうも薄気味悪くてね。長居してたら悪魔に呪われちまいまさあね、だから、ちょっと覗いてそれっきりですよ。」

「つまり、遺跡や昔の王の住居、と考える人はいなかったわけですね。」

「そんなこといったってダンナ、そんな難しい考え、フランスから学者さんがやってくるまで、ここいらで生まれ育ったオラたちにはわかりっこねえですよ、なにせ悪魔の棲み家ってみんな信じてたんだから、アハハハ。」

「今はこのラス・ギール遺跡をどう思っていますか?」

「ええ、もう怖くはないですとも。昔の王の住みかの近くに生まれたってのは実に誇らしいことでがす。これまでこんな辺鄙なとこ、誰も来なかったけんど、今はシャベレの旦那みたいな偉いお役人様が中央から来て、色々指導してくれやすし。これからはこの辺りで焚き火しちゃいかん、とかね。それにまだ建てかけだけど、ささ、見てくだせえ。こんな感じで立派なコンクリート製の建物もつくっているでがす。中央に費用を出してもらってね。観光客の方が見えたときのための休憩所をつくっているんでがす。これからもっともっとたくさん人が来て、どんどん有名になるでがすよ、このラス・ギールは。まあ見ててくだせえ、この建物はその第一歩でさあ。」

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左:左側2名が遺跡の近くで生まれた二人。

右:牛の乳を吸う人の絵。

この遺跡が教えてくれるのは、

・かつてのソマリアにはこの一帯に強固な王権が存在していた。

・様々な絵は当時の王が描かせたものであり、それによって自らの権勢を誇示していた。

・洞穴をくりぬいた哨戒所もあり、すなわち、外敵が存在していたことを示唆。

・性交中の牛の絵などもあり、性に対する寛容な考え方があった、と思われる。

・絵のほとんどは牛であり、牛は古代ソマリア人とっても富と権力の象徴だった。

・牛の胎内にいる子牛の絵なども描かれており、当時の人々はイマジネーションが豊かであった。

などの事実である。

しかし、かつてのソマリアには高度な文明が存在した!とはお世辞にもいい難い。

イタリアの雑誌には特集で一度だけ紹介されたらしいが。

役人のシャベレいわく、「ユーアー、ファーストジャパニーズ、トゥー、ラスギール」。

わずか五ページも埋まっていない訪問者の記帳ノートにもJAPANESEの文字はない。

そう、なんと我々はソマリアの大地で、「ラス・ギール遺跡を訪れた初めての日本人」、という栄光を、見事この手に掴んだのだった。

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日本人一番乗りをアピール。

シャベレはなんだかそのへんに落ちていた研磨された石を、「これは昔のナイフだよ。日本に持ち帰ればいいおみやげになろう。」と拾って呉れたりしたが、おいおい、遺跡を勝手にあげちゃっていいのか?という素朴な疑念が首をもたげる。しかしまあいいのだろう、ここはソマリアなのだから。その他、アクアマリンの原石とか、カネになりそうなのがゴロゴロ転がっていた。誰もその価値に気付かないのだろう。

その後はベルベラ、という紅海に面した都市に移動。海のはるか先にはイエメンがあり、この街には巨大な海港がある。

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これでも一応、街の中心部です。

ハルゲイザで泊まったホテルと同じ系列ホテルがベルベラにある、というので紹介して貰い、そこに泊まることに。しかし到着するとたった一名のホテルスタッフが、現地採用の土方たち二名と、野犬を追い払いつつ重機を使って作業していた。どうも作りかけのホテルのようだ。あちこちに鉄骨が剥き出しになっている。そいつはレストランで我々の食事をつくり終わると、また建設作業に戻っていった。聞くと、ハルゲイザのホテルで働いていたが、ベルベラに新たにホテルをつくるというのでたった一人、派遣されてきたらしい。ソマリアのホテルで働くためには、接客のみならず「ホテルをつくる」というスキルも必要なようだ。忙しそうだが、久々の宿泊客でなんだか嬉しそうだ。

ベルベラのビーチは素晴らしいの一語に尽きた。足跡すらない。海も青い。ソマリアのビーチで寝転びながら、ウーン、こんな誰も来ないビーチは究極のリゾート。カリブ海もハワイも比較にならない、まさに最高の贅沢だな、と心の底から思った。

総じて、ソマリランドは平和だった。ロブスターは美味いし、子供たちもかわいい。街の連中も外国人慣れしていないのか、ほとんどカネをせびってもこない。極めて友好的だ。乞食もいたが、さほどの数ではない。貧しくはあるが、飢えてもいない、という印象だった。ハルゲイザで虐殺があったのは1989年。ソマリランドがソマリアから一方的に独立したのは1991年。平和を達成したのはすでに一昔前だ。内戦継続中のソマリア本土とオレたちは違うんだ、という意思表示は強く感じられた。

しかし国家としての承認を得るには、あまりにも貧弱である、という気がした。空港にはエックス線も金属探知機もない。観光客向けの店もわずかに一軒のみ。水道はよく止まり、電力の絶対量も不足している。自国の航空会社もない。

ましてや国連がソマリランドを国家として承認してしまったら、その他の部族勢力に和平と統一を促すことはダブルスタンダードになり、できなくなってしまうだろう。十年後にはソマリランドは消滅しているかもしれないし、戦火に包まれているかもしれない。もし存続していても、その時にはより一層の資本主義の流入により、今より皆が狡猾さを増している可能性もある、と思われる。

 私見

異国の地へのささやかな渡航という反復行為。それが私の感性に訴えかけてくる一つの発問。それは、ホントに日本は豊かなのか?ということだ。

断片的ではあるが、二つのデータがある。

世界十位の自殺率、日本。先進国中ではダントツの一位だ。

出生率の低下傾向に歯止めがかからないのも、先進国中、日本のみ。

確かにこの国にはモノが溢れ、カネもある。

しかしそれはストレスと会社への奉仕、という個々の自己犠牲によって成り立っている構図であり、国家というマクロ的観点から見れば確かに豊かだが、ミクロ的視点では、個々の日本人の精神性は豊かとは言い切れない、と思う。あまりにも心のゆとりがなさ過ぎるからだ。

国家の成熟によるシステム化は個々の人格を矮小化し、生命のダイナミズムを喪失させる。才能は異端として見做され、あくまでシステムにとって有用な者が評価を得る。今の日本社会では個は効率化のためのツール、とすらいえる。全ての人生はベルトコンベアーに乗せられ、進学→企業→出世→退職→年金→葬式、とまるで積荷の如く流れ、そして処理済のスタンプが押される。国家や企業は潤滑油として人々が機能するよう、これに付加価値をつけて出世、昇給などで個を鼓舞し、コントロールしているに過ぎない。

多くの個は上記のベルトコンベアーシステムの過程で人間本来の思考力を失い、これに潜む無機質性、システム支配層による個の記号化、という冷え冷えした現実に気付くことがない。あるいはこれを読んでも理解が出来ない。

システム。これが持つ力が圧倒的になった時、個はその存在意義すら見失う。趣味すらも受動的にならざるを得ず、人々は映画、音楽を単純消費し、トーキョーウォーカーの与える情報によって行動を起こし、テレビの垂れ流す情報に脳内を一喜一憂させ、本来の遊びが持つクリエイティビティーとは無縁の、ひたすら与えられたもののみを消費する行動形態に走る。それは一面的には気楽であるが、まるで水槽を泳ぐ金魚の如く、生きているというよりはシステムの中で生かされている、といえる。これが日本の悲しむべき実情だ。

私はラディカリズムを秘めた上記内容を正論と信じる。いや、そういってもねぇ、日本は平和なんだからいいんじゃない?それが日本社会なんだし。というアイロニカルな見解しか持ちえぬ方は、失礼ながらすでにシステムに隷属している、と分類せざるを得ない。

例えばパリでは遅くても八時を過ぎれば仕事は軒並み終わり。早ければ五時くらいから皆がワインを傾け、談笑している。ホントに忙しいのは一部のスーパーエリートだけだ。パリの失業率は高いが、それでも経済的豊かさは日本とほぼ等値に位置する。国家や企業は個人のライフスタイルまでは侵害できない。自由・平等・博愛を謳うかの国には、日本社会が高度成長の過程で完全に喪失したゆとりと優しさがあるように感じられた。真の豊かさとは、物質性と精神性。このバランスがとれて初めて達成しうるもの、と私は思う。

人は私の自由なライフスタイルを「奇」と見るが、それはあくまで日本人から見ての話に過ぎない。私の自由度はあくまで世界標準から見れば「特筆するに価しないレベル」だ。

読者の批判を恐れずにいえば、グローバルな視点にたってみればおかしいのは家庭も顧みずに社畜として嬉々として生きることを望む日本人のライフスタイルの方である。

と偉そうなことをいいつつも、何だかんだいって日本社会に生きている私ですが。

以上、ソマリアレポートでした。

ソマリア、そして狭山事件

Kさんとは時折、自宅から歩いて5分くらいの処にあるショットバーで酒を酌み交わす。それでいろんな話をして来たが、価値観の全く異なる部分もあれば、同時に全く完全に同じ見解の処も多々ある。恐らくは同じだと言う部分の源泉は、こう言うとても観光では普通行かない場所へ行って見聞した経験から来るものにあるのだろう。

世の中には、格好いいのは口だけでなんの行動も伴わないという手合いが多い。特にこの傾向はネットの掲示板で発言する者に顕著だ。さしずめ2ちゃんねるなどはそういうのが集合する場所の最たる物だろうし、狭山事件真犯人の諸説の消費者はそうした愚衆の代表格だろう。仮に自分とは考え方が百パーセント違っていても、常に行動が伴っている人には敬意を持つ。Kさんはそう言う数少ない日本人の一人である。

兎も角も、漸くとこの機会に掲載を果たしました。また近々、これをもとに飲みましょう。

狭山事件推理目次

過去に書いた狭山事件推理編の頁を目次としてまとめておきますが、もう全く、ぜんっぜんヤル気なく、中身の確実性は保証しません。それどころか、内容がぜんぶウソであることだけは、命をかけても保証できますね。書いてある中身がそうであるばかりか、日本語の語法、用語法もめちゃくちゃです。つまり、狭山事件の真犯人推理なんて、所詮その程度であると、まあこう言うことです。

狭山事件真犯人嫡子
真犯人は正室の嫡子だと言われる。これは、いわば狭山事件推理の源流みたいなもんですが、今だに信じているひとも居るらしいンですよね。
狭山事件真犯人実相
真犯人の実相についてネット上で言われる馬鹿バカしいホラー話。
狭山事件真犯人演戯
真犯人説の茶番について。たぶん、ガイシャの一家になんらかの不和があったようです。ソウかね。
狭山事件真犯人密謀
狭山事件は陰でイトを引く顔役が首謀者だそうです。狭山事件のつくりばなしでも極めつけのホラーです。
狭山事件真犯人愛好
真犯人推理を愛好する人の恥ずかしさについて。ソレなりにイイ歳になっても、狭山事件の真犯人への愛好が止まらんそうです。

もうホントにバカ々々しくって、リンクを張るのも恥ずかしいページですね。ヤル気がありませんと、こんな程度の低いものも作れるってことの、見本です。なくてもいゝ能力ですね。

狭山事件真犯人編を残しとくわけ

ソンなにアホらしければ消してしまえばいゝじゃんとも思うのですがね。でもコレラをまだ置いてあるのには、レッキとした理由があるのです。私は、理由なく目的なき無駄なことはしません。理由のひとつとしては、過去に作ったレベルの低いページでもとことん利用するト、いうことです。古いページにはソレなりのページランクがついています。それをただたんに削除しちゃったんじゃあ、もッたいないですよ。ある形で残しておいて、トップ頁へリンクパワーを渡してやることによッて、此のサイト全体に奉仕させるわけです。

今じゃ中身がアレでも、「狭山事件」と名のつく頁から張られたリンクは、ソレなりの価値があります。そぅいぅことですネ。それからもうひとつ、副次的な効用としては、こんな頁をまだ見たがるひとがどれぐらい居るのかを計測出来ますね。そこばかり見るひとは不要なひとですから、ケースバイケースですが場合によってアク禁にします。以上です。

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2006/01/08
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