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狭山事件当日のアリバイ

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狭山事件の真相を検証する一助として、此処で石川一雄氏と容疑者とされ疑われた人々の事件当日前後の行動について検討してみよう。

狭山事件前後の行動とアリバイ

狭山事件とアリバイ=現場不在証明の関係と、事件当日の石川一雄氏の行動について二審までの証拠関係を元に今後の資料として提示する。

最初にこの問題に関する原判決=一審判決の事実認定に触れれば、物証と自白とが結びつかぬ虚偽の自白を基礎とする結果、様々な矛盾をはらみ、解明されぬ多くの謎を抱えながら強引に有罪の認定を下した誤った判決であり、狭山事件に対する予断と偏見がこの結果を生んだのである。

判決認定の狭山事件犯行過程

原判決は次のように事実認定している。

  1. 被告人は5月1日午後3時50分頃、被害者と出会い、これを通称「四本杉」まで連行して姦淫し殺害。
  2. 夕刻死体を芋穴に吊るし、7時30分頃被害者方へ脅迫状を届け、再び芋穴に引き返し、同夜9時頃死体を芋穴から引き出して農道に埋めた。

上に基づけば狭山事件の犯行開始時刻は3時50分で終了が9時頃となっている。もっとも死体を埋め終わったのが9時なのか埋め始めが9時なのか判決は曖昧だが、いずれにせよ狭山事件発生の5月1日に於ける犯行時間は6時間程度となっている。蛇足的に述べれば検察官冒頭陳述では犯行開始時刻は午後4時となっていたが、判決は3時50分であり、10分早くなった理由は判決は何も説明せず、又、芋穴には夕刻に死体を吊るしたとあるが夕刻とは何時なのか全く指摘がない。

狭山事件の犯行は殺してさっさと逃げるような単純なものではなく、被害者を連行し縛り、縛ったものを解いて強姦し、殺害し、脅迫状を書き直して近隣の家に縄を盗みに行き、盗んだ縄をなぜか数本に切断した後でまた結び直し、都合2本の縄として完成しこれによって死体を芋穴に吊るし、脅迫状を届け、スコップを盗み、穴を掘って死体を埋めると言う複雑な過程を辿る。原判決も「これ等の行動をわずか6時間足らずの間に、しかも暗くて雨が降っている状況でやり遂げた犯人の行動は極めて活発であったと考えられる」と指摘する通りであった。

狭山事件のアリバイ矛盾解釈

自白と客観的証拠の矛盾について、狭山事件確定判決は、石川一雄氏が自白した時に意識的にか無意識的にか、ともかく嘘をついていたこと、捜査が拙劣であったことの二点を、原因として挙げている。嘘については、たとえば単独犯行前の三人共犯自白が罪を少しでも軽くする為の嘘だとすればまだしも納得が行くが、事実と矛盾している自白の中に、別にそんな嘘をついても少しも得にならぬものばかりで、嘘つき論の理由としては不可解だ。

捜査の拙劣論については、佐野屋に現れた犯人を取り逃がしたことから始まって、品触の誤記を放置したことや、現場足跡の大部分を破棄してしまったことなど、確かに拙劣な捜査であったと言えるものがあった。しかし石川一雄氏に対する狭山事件の逮捕から起訴までの間、特に強盗殺人等容疑で再逮捕してからの取調べと自白、自白に応じた外部捜査は、稚拙だけでは説明不可能な矛盾を残している。鞄・万年筆・腕時計の発見は、秘密の暴露と呼ばれるように、自白に基づいて捜査された結果、発見されておりこれらの発見過程も自白調書との矛盾点が多々あるが、被疑者を既に逮捕勾留ししかも自白が得られた後となった段階での捜査結果と自白の矛盾は、ただ取調べ捜査や外部捜査の稚拙さだけでは説明不可だ。なぜなら、この段階で捜査当局が犯人取り逃がしの段階のように「焦る」必要などなかったのであるから。

狭山事件三大物証の矛盾

秘密の暴露は自白に依拠した証拠である。従って、自白と客観的事実との間に矛盾が存すれば、証拠能力は否定される。例えば鞄の発見は、発見当日に録取された二通の供述調書と添付図面に基づいて発見されたとされるが、図面も含めて供述では、実際の鞄の発見地点と自白とが異なっている。腕時計の発見地点は、発見前に二日間捜索した範囲内であった事実が開示された捜査報告書から明かとなった。脅迫状を届ける際に車に追い越され、被害者方近くに車が停まっていたと自白したが、追い越し車両の運転者は自転車の犯人を見ていなかったし、走行実験によりそのように車に追い越される事は有り得ぬと判明、駐車車両については同様に開示された報告書により、実際に停まっていたのは午後5時から6時台のことだった。よってこれらの自白は客観的事実と矛盾する。

この点は、アリバイにかかわる犯行現場の捜査にも通ずる。つまり出会い地点と、殺害現場までの道程と、殺害現場そのものの地点を裏付ける直接的な証拠は、自白以外には皆無である。殺害現場とされる雑木林の血痕検査は実施されなかったと現在でも検察官は主張しているが、そうであれば尚更、雑木林が殺害現場であったことの証明は不在なのである。アリバイが現場不在証明である以上、まず、狭山事件が起こったとされる「現場」が本当に現場であるのかどうか、それが絶対的に証明されていなくてはならない。

狭山事件のアリバイ上申書

狭山事件で逮捕される二日前、石川一雄氏は刑事の訪問を受け自宅でアリバイ上申書を書いた。それには、朝8時から午後4時ごろまでは兄と一緒に仕事をしていたとなっていた。つまりその間はアリバイがあると言うわけだ。それ以降は家にいたとあり血縁者のみのアリバイ主張は最初から問題外であるから、問題は上の朝から4時迄の間となる。

5月1日当日の行動は下記の通りで、上申書のアリバイは要するに嘘だったが、この嘘がかえって、狭山事件に対する石川一雄氏の無実を示している事は既に検証済み。敢えてもう一度此処で簡単に検討すれば、被害者は午後3時23分に下校しているところを級友に目撃されているから、其れ迄は生きていた事が確実で、すると真犯人の犯行時間帯は早くともそれ以降となる。しかるに上申書では午後4時までのアリバイ主張しかしておらず、これではアリバイにならぬのだ。つまりは石川氏も、石川氏の家族も、狭山事件が何時に行われたのか全く知らなかった。だから捜査側にとってはアリバイ供述にも何にもならぬ「嘘のアリバイ」になった。

このような的外れの「狭山事件アリバイ」を申立てた事実だけでも、石川犯行説は否定される。

狭山事件当日 5月1日の行動

真実はこうだ。被告人(石川一雄氏)は昭和38年5月1日、問題の午後3時50分から午後9時50分迄の間、狭山事件とは全く無関係な場所に居た。二審第3回・26回・27回公判で被告人は次のように5月1日の行動を説明した。

5月1日は朝7時半ごろ母が作ってくれた弁当を持って家を出た。電車で西武園へ行って午前9時半ごろまでそこに居た。それから所沢へ行って「東莫」というパチンコ屋に2時ごろまで居た。途中「東莫」の前で弁当を食べた。ちなみに弁当は黒っぽいきのこが入ったまぜご飯だった。東莫を2時ごろ出て入間川駅へ戻り駅から八百屋の前を通ってたばこ屋の前まで来てそこでたばこ「新生」とマッチを買い、小学校の方へ歩くと雨が降って来たので、駅の近くにある貨物小屋で雨宿りをした。この時大体3時半か4時ごろである。此所で時間をつぶしている最中の4時ごろに駅前を自転車に乗り先生らしい人に引率された中学生の男女が被告人の家の方角へ向って通るのを見た。次に駅の時計を見た5時3分ごろ残飯を積んだ石田豚屋の車が通った。帰宅したのは7時ごろだった。

これが狭山事件発生当日の被告人の行動である。

狭山事件当日の体育大会

この供述は具体的なものだった。例えば、入間川駅前を男女の中学生が先生と一緒に自転車で通った件だが、荷台にはむしろが付けてあった。女子中学生の服装は白の半袖シャツに黒いパンツ姿であった。事件当日に入間川駅近くの東中学校で体育大会が行われていた事実がある。

これは弁護側の調査によっても明かとなり、生徒を引率した先生も見つかったので二人の中学校教諭が1970年4月30日付証拠調請求で証人申請されていた。被告人自身は、中学校とは別に何らの関係もなく、当日体育大会がある事などは知らなかったし、雨が降り出した時刻との関係で、東中へ行っていた生徒が当日4時ごろ入間川駅を通ることは十分な蓋然性がある。狭山市内の中学校では狭山事件当日以前にも、各種目の試合が行われていたようだが、雨と時刻の関係で言えば、4時ごろに駅前を中学生が東中の方角から来て通り過ぎていったとの供述は、雨が降り出したので帰路についた様子でありこれが5月1日の出来事である事を裏付けている。

この体育祭は「学徒総合体育大会」と呼ばれ、事件当日の東中でも野球部の試合が行われていた事実が判明しておりこれは「狭山事件と野球試合、新聞記事」として検証してある。

又豚屋のトラックの通過時刻は被告人が働いていた頃より早かったが、養豚場関係証人は土日休日等特別な日はいつもより早く出発しており普通の日でも仕事の都合で早めに残飯を取りに行くことがあったと証言した。

狭山事件と被告人の防御権

狭山事件発生の当日、被告人が八百屋の前を通った時に声をかけたとする八百屋の息子K氏は、被告人とは8年前からの知り合いでパチンコ屋で一緒になったりする仲であった。5月1日に被告人に声をかけたかどうかは忘れたが自分は通常店先に立って店番をしており被告人が通れば声をかけるだろうと証言した。K証人が法廷供述をしたのは狭山事件後5年4ヶ月後であった。同人が被告人に声をかけたかどうかを忘れてしまったのは仕方なきこととしても、同証人は一審裁判所に対しても証人申請されていたが、同証人を含むアリバイ関係証人の証拠調申請は全て却下された。これによって、被告人の防御権が回復不能なほど著しく破壊された事は明かである。

UK証言の場合

他方、狭山事件当日に、被害者方の場所を尋ねに来た男が居りその男が被告人であると断言したUK氏について、二審の確定判決は、二審の証言時には事件後ほゞ3年1ヶ月を経過(昭和41年5月31日)しており「当審における証言は記憶の薄れによりはっきりしなくなったものと判断され、これをもって、同証人の原審供述の信用性を否定する理由とはなし難い」とする。そうであれば、上証人Kの供述も同様の評価をされるべきである。

その上で証人UKを評価すれば、妻が捜査本部に炊き出しをやって協力する事情がありながら一ヶ月以上にわたって警察への通報をしなかった理由について「ただやみくもに恐ろしかったのです」と法廷では繰返し述べ、一方で警察への供述調書では大意「部落の者が押しかけてくるのでこの事は言わないでおこう」と思ったのである。同様の理由を述べて石川一雄被告個人を攻撃し、揚句信用性皆無と判断されて排除された供述調書にいわゆる奥富調書がある。両者の類似性を指摘しておく。

狭山事件佐野屋の日 5月2日の行動

5月2日は狭山事件の第二犯行日とも言うべく、狭山市内の商店佐野屋での犯人出現と取り逃がしがあった。被告人の二審供述によると、この日は午前中家で犬小屋を作っていた。昼過ぎの1時ごろから、近所の友人K氏・I氏らと狭山劇場へ映画を観に行った。映画の題名は「みれん心」こまどり姉妹が出演しものすごく可哀想な内容であったと述べた。6時過ぎには帰宅した。一緒に映画に行ったK証人は、当日特に被告人に変ったところは無くのちに逮捕されたのは思いがけぬ出来事であった旨証言した。

狭山事件犯人の行動と言えるか

狭山事件発生前及び5月2日以降の行動についての近隣の者或いは養豚場関係者の証言を見ても、一緒に選挙へ行ったり、キャッチボールや釣りに出かけたりと、斯様な犯罪の前後にしては、特に本件犯行によって、被害者を殺害してしまった者の行動にしては、余りにも平和な日々が見て取れるのである。

加えて養豚場関係者の法廷証言について付言すれば、捜査段階では全員が疑われて何らかの形で捜査を受け、逮捕された者も居たが、二審当時、既に被告人とは何らの利害関係も無く、第三者が石川一雄被告についての直接の体験(すなわち伝聞や噂ばなしでは無く)を述べた証言として十分に信用性のあるものである。

その一方で、同じ養豚場関係者の捜査段階、特に逮捕勾留中の供述調書は、公判手続による事実調べを受けておらず、勾留中の供述であることから、証拠能力は皆無。

狭山事件の所謂「奥富調書」について

捜査本部が、養豚場関係者の中でも特に石川一雄氏に目をつける端緒となったいわゆる「狭山事件奥富調書」についてだが、供述主である奥富S氏は石川一雄氏や石川氏の後に逮捕された元同僚のT氏の二人を事件直前に就職斡旋したりと、養豚場関係者と知り合いだった。では何故、奥富調書の中に石川一雄氏の名前が出て来たのかを考えると、既に佐野屋で狭山事件の犯人を取り逃がした翌朝から、聞込みで得られた風評によって養豚場に目をつけていた捜査当局が、奥富S氏が養豚場関係者とある程度以上懇意である事実を知り、この人を利用したことが考えられる。そうでなければ、5月9日と言う早い段階から「石川一雄」の個人名が調書に現れた事実を説明する事が出来ぬ。

狭山事件複数犯行説

容疑者候補として具体的に「石川一雄」の名が出た事と、いわゆる狭山事件複数犯の見立てが出て来るにあたって最大の出所となったのが奥富調書だったが、数通目の調書で結局「見たのは誰だったか」解らなくなってしまっている。これは、ほかに逮捕した養豚場関係者のアリバイが確認されて複数犯・共犯の線が成立しなくなってしまった為に、捜査当局がこの時点では却って奥富供述が邪魔になっていたことを示す。しかしそれでいて、「山学校の近くでお前を見たと届け出た人がいる」と言う形で、自白への追い込みには存分に利用されたのである。

これが単独犯行の自白に繋がるわけだが、注目すべきは単独犯が自供されてからも、長谷部警視ら取調担当官はまだ執拗に複数犯行を追及していたことだ。これは、やはり奥富情報がもたらした二人組の目撃情報に引き摺られていたのことと、死体処理の仕方など犯行時の仕事の多さから、捜査官が複数犯の方が妥当と考えていた事実を示している。

狭山事件の準備段階

此処迄は狭山事件が発生した5月1日以後の被告人の行動やアリバイの問題について見て来たが、脅迫状を前もって計画的に準備していたとする事実認定に関して問題となるのが当日以前の行動だ。行動そのものがどうだったかよりも、有罪か無罪かを問う場合には、確定判決や棄却決定の事実認定がどうなっているのかが問題である。

確定判決=即ち確定判決を維持しているそれ以降の各決定も含めて=による犯行準備段階はこうなる。まず「4月28日」に家にあった雑誌を見て狭山事件の脅迫文を書いた。自白でも一審の死刑判決でも二審の確定判決でもこの事実認定は維持されてきた。

しかし第一次再審請求で、くだんの少女雑誌は事件当時、被告人方には無かった事が判明した。雑誌を借りた妹が友達に返してしまっていたからだ。これに対して棄却決定では、他の友達から借りた可能性を言って済ましている。必要なのは可能性ではなく証拠である。

更に脅迫状に書かれてあった訂正前の日付が4月「29日」だったことが判明したことに対しては、この第一次再審の棄却決定は「確定判決の判断が、この部分に関する限度で事実を誤認」していた事を認めた。此の「訂正箇所の日付けの認定を『訂正』した決定」に於ける4月29日には、石川一雄氏は兄の仕事先で働いていたことが証拠上明かであったから、決定は、それなら脅迫状を書いたのは4月28日だとしても良いのだ、とした。

あっさりと確定判決の事実認定を客観的証拠に合わせて変更したわけだが、そもそも事実認定を変更し新たな事実認定を行った以上は、それに相応する証拠が無ければならぬのだ。棄却決定は、自白で脅迫状の作成日と訂正前の日付が4月28日だったのは、たんに自白時の記憶違いとしている。だが、新たな事実や以前と全く異なる事実が現れた場合、記憶違いや勘違いとの理由によって事実認定を更新出来るのであれば「事実の認定は証拠によらなくとも良い」ことになる。

ある推論が新たな客観的事実によって矛盾を来した時には「では、こう考えればつじつまが合うだろ」などと言って許されるのは推理の遊びの世界でだけであって(狭山事件の真犯人説では初めから証拠など皆無だ)証拠に基づく事実認定を厳しく課せられている刑事裁判では、都合の良い空想は排除されるべきだ。

狭山事件と養豚場関係者のアリバイ

ついでに、捜査当時も疑われ、今になっても粗悪推理で有力な真犯人候補とうわ言が吹聴されている他の養豚場関係者について見ておこう。一審で検察官は彼らの5月1日と2日の行動を調査した結果を証拠として提出しようとした。弁護側の反対でこれが没になると、今度は彼ら自身の証人喚問を求めた。結果として証人尋問も実現しなかったが、検察官の狙いは他の怪しむべき容疑者のアリバイを立証することにより、石川一雄氏の有罪を立証することにあった。

検察官の為したこれらの事実取調請求への弁護人の反対意見にあるように、有罪の立証は被告人自身に関わる直接的な証拠によるべきで、他の疑わしき第三者のアリバイその他の立証をいくらしたところでそれは情況証拠にすらならぬ。

一方で当時、検察官が石川一雄氏以外の彼ら養豚場関係者のアリバイを以て被告人の有罪を立証しようとした事実は、当の養豚場関係者全員にアリバイがあった事実を示している。弁護人による反対意見を容れた裁判所によって、これらのアリバイ証拠は法廷には未提出となったが、捜査の結果、検察官がこれらのアリバイ証拠を自信を持って提出しようとした事に間違いはなく、即ち今ごろになって、狭山事件と石田登利造を含む養豚場関係者の犯人性を云々する者は余程のマヌケか原資料を調べもせぬ救いようのなき横着者、そうでなければ厳然たる証拠を無視する詐欺師に他ならない。

これはそれこそ「部落差別」の問題は敢えて別とし、純然たる「法理」の問題から必然的に導き出される結果である。

OG、A先生の狭山事件アリバイ

ほか、真犯人の一員としてデマの対象者となっている人に奥富玄二氏と相澤建一氏が居る。共に、被害者と顔見知りであった事が根拠のひとつとされるようだ。

奥富玄二氏のアリバイ

OG氏について言えば、5月1日午後5時から7時以外のアリバイが不明確と取りざたされているが、アリバイ=現場不在証明である以上はこれも「現場」を特定せねばなるまい。OG氏が関係する現場とは西武線のガード下や当時建築中の新居が挙げられるが、そこを「現場」と規定する以上、これも証拠が無ければならぬが例により皆無であって、つまり現場は少しも特定されていない。特定なき現場に対する不在証明があるか無きかの検討など最初から無意味であり、よってOG氏は真犯人容疑の圏外に置かれる。

相澤建一氏のアリバイ

相澤先生のアリバイはどうだろう。先生は午後3時半頃に第二ガードで被害者に遭遇している。遭遇の後、東中に行き、そこに少なくも雨が本降りになる迄は居た。本降りの時刻は記録上4時20分であることは明かだから、少なく見積もって午後4時台の降雨の時間までは東中に居たことになる。それ以降は再び自身が勤務する堀兼中学校に戻ったとして、大体5時迄は確実なアリバイがあったと見て良い。

ことのついでに記しておけば、A先生とも呼ばれる相澤建一氏が、山王中学校の校長だった昭和58年頃、職員の異動を巡って提訴された旨が「週刊新潮」等の週刊誌ネタとなっており、以来取材嫌いになったとの「噂」があったとのウワサもある。こうした噺は所詮「ウワサがあったト云う噂」に過ぎぬしそれに第一、狭山事件とそれが何の関係があるのか。何の関係もあるまい。

この、OG氏やA先生のような人達には、上に見た養豚場の人々のような明確で決定的なものでなく、ところどころアリバイが抜けているが、兎も角アリバイとは現場に居なかった事の証拠であって、アリバイがなきこと=現場に居たことの証明に非ず。

狭山事件のアリバイ「窮鼠猫を噛む」

このへんの捜査用語の定義や刑事手続に於ける証拠法の知識が薄弱か皆無であると、とたんに意味を取り違えて誰かれかまわず好き放題に真犯人を決めるハメになる。こうした陥没を絶対的に忌避し、徹底的な証拠主義を原理主義的とも言える厳格さで適用するのが私の原則だ。

斯くして、「アリバイ」と言う言葉ひとつを取ってみても、現実の刑事事件と刑事訴訟に於いては、用語の意味と用い方にどれだけ厳格な知識と使用法が求められるかが解るであろう。

随分昔から「犯人らしい」と疑われて来たOG氏はともかく、そもそも何故ここへ来てA先生が何か嘘を言っていたとかはては真犯人とか怪しまれアリバイ等を詮索される必要があるのか。この原因は明確だ。それは、真犯人推理が必然的に行き詰まり、新たなスケープゴートが必要とされたからだ。だから、低俗雑誌に発表されたどうでもいゝ真犯人先生説を一度は否定しながら、A先生についてあれこれの個人情報を漁ったアゲク、エサに窮して追い詰められた推理マニアが今度はA先生に噛みついただけのことだ。

此処での主題に則して重ねて記しておけば、アリバイの不存在が直ちに犯罪事実の証明とはならぬ。

狭山事件と筆圧痕

二審裁判中に発覚したの謎のひとつに筆圧痕の問題と言うものがあります。石川一雄氏は取調べの際に、脅迫状を届ける時の経路や鞄や時計を捨てた場所や佐野屋への道順など、いろいろな図面を書かされていますが、弁護人が弁論の用意をする為にそれらの資料を調べていたところ、偶然、図面に石川氏の筆跡以外の鉄筆様の痕跡を見つけたのです。これは筆圧痕と呼ばれる事になりました。この狭山事件と筆圧痕の問題は、二人の鑑定人に鑑定が依頼されましたが、二人とも法医学者であって、紙やそこにペン先を当てたときの痕跡を分析して鑑定するのに、果たして最良の人選であったかどうか、ちょっと首を傾げたくなるものがある。弁護側は後に、独自に原子核工学の専門家に鑑定を依頼していますが、結局筆圧痕問題は裁判所によって却下されています。

当時の久永裁判長が自身の退官迄に結審する方針を示していたところ、この筆圧痕問題が発生した為に、証拠調べが更に行われることになった。そして1970年、二審の裁判官交替による公判手続きの更新が行われました。更新手続きの一環として書かれた当時の主任弁護人中田直人氏の狭山事件の特質を作成掲載しました。

狭山事件を考える集い―3月22日

「自分は教育を受けられなかったことを恨まない。しかし教育を受けられなかったことに対する国家の仕打ちが許せない」再審弁護団、中山主任弁護人への石川一雄氏の手紙より

狭山事件を考える集い2012/3/22

日程通り22日の集いに出席させて頂きました。
前回の活動者会議にもアナウンスされた通り、来たる4月20日の国会院内集会に於いてこの間の「証拠開示法制化請願署名」を提出すると共に、恐らくその次の週に行なわれるであろう第十回三者協議へ向けて、一層の取組みを求める蹶起集会との位置付けであったと思います。

席数は約150とのことでしたが、立ち見が出るほどの盛況ぶりで、お陰で筆者もまた例によって一番前の席(中山武敏主任弁護人と、何と石川さんご本人の間の席)しか空いておりませんでした。但しそのほうが筆者自身は説明を聴くにも、写真を撮ったりするにも楽でありますからむしろよろしいのですが(最前列は目立ちますが、後ろに座ると撮影の時に前へしゃっしゃり出ることになりかえって目立つことになる)。あとで記しますが、解放同盟やその他特に支援組織に属していない(属することを求められたら属することにはここまで来ればもうやぶさかではありませんが)筆者はあくまで個人参加で、このような場で無用の出しゃばりをしないことを旨としてるつもりであります。但し出席し、こう書いておる時点でもう、十二分に出しゃばっておりますが(笑)

署名提出が4月20日、三者協議が更にそのあとであるので、再審経過そのものに就いて今回特に新たに報告すべき特筆事項はありませんが、この日、予定通り、新たに制作されたDVD完成版の上映とその配布。及び、証拠開示法制化署名の今日迄の実数が65万筆(前回発表で60万筆余)であること、及びほぼ一ヶ月後に迫ったその署名第二次集約と提出迄に、何としてでも100万筆との要望が出されました。

DVDについては、集会終了後、個人でもYouTubeにUPしても支障ないとの許可を頂きましたので、明日以降、当サイトでもUPする予定です(容量が大である為、筆者の環境下では時間がかかりそうです)(実は今もパソコンがブンブン言って、なかなかアップロードが完了しないのです)(編集又は変換が必要であると、すぐにはUP出来ないかも知れません)。

狭山事件を考える集い2012/3/22

狭山事件を考える集い2012/3/22


少し以前の記事ですが豊中狭山事件研究会に於いて、狭山事件再審運動に就いて、第一にIT化、第二に市民化、第三にネットワーク化、第四に個性化。と言う事が再提起されています。(この記事、筆者も2005年頃、どこかで読んだ記憶があります)

このうちのITと言う部分ですが、平たく言えばもっとインターネットと言う媒体を大々的に利用せよ、と言う事であると思います。筆者自身は、インターネットだけを利用して今に至る取組みを始めたところ、逆にその限界を感じたために、出来る限り実地に、昨日のような集会や現地調査そのほかあらゆる人と人とが実際に顔を合わせる場所に足を運んだり、微力ながらそうした場所を自分で作る努力をし、今後もそのつもりです。

このIT化と言うことが、第二の市民化と言うことに密接に関わって来るものと考えられます。如何にして、組織化されていない一般人民(人民と言う言葉が好きなのでご了承アレ)をも、こうした運動に参加出来易くするか。もし、それが達成出来たなら、百万人どころか数百万という署名を集めることも可能となるでしょう。

このITと市民化或いは現場化ということが、有機的に結合出来れば、その結合点から、更に第三のネットワーク化と言うことも、自然と成るものと思われます。ネットワーク化には、地域別にそれぞれある組織のネットワーク化とともに、別の意味で、既存の組織と、組織化されていない個人がネットワーク化されることが肝要です。個人と言うものはわがままなもので、なかなか「組織」には入りたくないどころか、近づくことすら忌避する傾向があります。それでも、たとえば石川一雄さんは無実だと確信しているそうした個人は、考えているよりも多いことが、たかだか数年の経験ではありますが、筆者に解ったのです。

個人が簡単に何かを発言出来る「ネット」と言うものが普及した今となっても、所詮一個人が出来ることなど限られています。だから筆者は、目的を同じくするならば、既存の組織の方々と交流もし、協力もし、そのご指導を仰ぐこともあります。そのような意味で、石川さん無罪獲得はもとより、それが成った後に於いても、冤罪の防止と救済、差別の撤廃という運動に身を置く所存です。その中で、もう少し出しゃばって、何ごとか意味の有る事柄を提案しても良いのではないかとも思っています、が、いや、本件ではあんまり、自分自身が目立つ気はございません、やっぱり。

狭山事件再審DVD 石川一雄さんは無実だ

上の3月22日の集会で配布された狭山事件のDVDです。


アップロード備忘録:前半17分だけで10時間以上かかった(フォーマット等にもよる)。その間他の作業は鈍足になりほとんど不可能(CPU性能と回線速度にもよる)。動画アップは著作物を一旦ハードディスクにコピーしてからのほうが良い。そうしないでDVD直でやろうとすると、パソコンが猛烈な唸りを上げてCO2を過激に排出。その間煙草など吸えば更に温室効果ガスが拡散。健康にも良く無い。

2012/3/24

狭山事件合同現地調査実施要項

下記要領により現地調査を実施します。

受付終了

*5月12日(土曜日)午前11時台に現地集合
*お申込みは毎度の如く、メールにて御願い申し上げます。当サイトより折り返し、集合地点その他を記し返信致します。

*申込時の氏名(仮名でも可)で参加者の到着確認後に出発。
*時刻厳守をお願いします。
*雨天決行(激甚災害発生等非常時を除く)

*その他の事項について「狭山事件一般要項」に記してありますので事前に是非ようく読んでおいて下さい。
*現地調査用の小冊子(昔の写真集をコンパクトにしたようなもの)を用意しております。ご希望の方は当日頒布致します。(定価300円)

*現在のお申込受付状況は9名様です。5/8
*尚、此の告知より以前に現地事務所集合とお報せした方は予定通り現地事務所へ定刻にお越し下さい。


*申込された方で当サイトからの返信がエラーで戻って来た人が居ます。
やはりdocomo.ne.jpからの方です。当サイトからの返信が届きませんと受付完了となりませんので、参加御希望の場合には返信を受信出来るよう、携帯の設定を検討された上、再度申込をして下さい。5/2 (解決5/7)


冤罪狭山事件」によると、第十回三者協議は4月23日に行われ、検察側は新たに19点の証拠を開示しました。次回第11回三者協議は十月の予定との事です。

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2012/03/25
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