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狭山事件腕時計の新証拠

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狭山事件に於ける「秘密の暴露」「三大物証」と呼ばれる被害者のものとされる腕時計の新事実が明かとなった。

狭山事件の腕時計革バンド

被害者の腕時計とされる時計は、確定判決で自白に基づいて捜査した結果発見された証拠のひとつにカウントされているが、第三次再審請求で、今や狭山事件無罪の新証拠のひとつとなったわけだ。

2012年10月12日の活動者会議で、狭山事件腕時計に関する新証拠を含む、幾つかの新事実が報告された。

狭山事件腕時計の新事実

発見された被害者の物とされる腕時計につき、原審(一審)では被害者と被害者の次姉がその腕時計を使用しており、腕回りのサイズを特定する為に次姉の洋裁帖が証拠品として提出された。その結果、腕時計革バンドの外側から数えて3番目の穴が被害者、4番目の穴が次姉が使用した痕跡と認定されていた。弁護団が新たに専門家に依頼して此のバンド穴の使用状況を鑑定した処、被害者やその次姉が使用する筈の無い5番目の穴(次姉よりも更に腕の細い人が使う穴)の使用頻度が高い事が明かとなり此の事は発見品の腕時計が被害者の物では無い疑いを強く示唆する。

腕時計:塩野鑑定人の報告書より
塩野鑑定人の報告書より

革バンドの穴は、繊維のほつれ具合などから使用頻度を判断する事が出来る。もし発見品が被害者の使っていた物でなければ、腕時計は「秘密の暴露」でなくなるばかりか、捜査当局によって証拠の偽造が行われたことにもなり、重大な証拠だ。

腕時計のバンド穴

腕時計の同一性

被害者の姉の検面調書では妹の腕時計の石数は19石だったと述べており、発見された腕時計は17石だった。長男は法廷証言で初め17石と述べたが、念を押されて結局、時計の石数についての記憶は無かったことを認めている。被害者の生前、時々時計を使用していた姉の供述はただしいものと思われ、こうしたことにより、従来から発見された腕時計は被害者のものではなかったのではとの疑惑があった。

今回、発見腕時計の使用状況が現れている革バンドの詳細な鑑定により、この疑惑はほゞ確実な客観的事実になったと言える。

もしこの腕時計が被害者のものでなかったならば、狭山事件の自白によって得られた秘密の暴露=三大物証と呼ばれ、有罪の事実認定の重要な証拠のひとつが、偽造されていたことになる。

腕時計発見場所

腕時計の発見現場を簡単に図示すれば下のようになる。Aが時計を捨てたと自白した地点で、Bが実際に見つかった茶垣の根本だ。

腕時計発見場所図面

狭山事件の自白では単独犯行を自白した翌日の6月24日に腕時計について自白したとされている。自供によると5月1日の狭山事件当日の犯行後にまず腕時計を自宅へ持ち帰り、万年筆と一緒に鴨居の上に置いておき、5月11日頃のいくらか雨の降った日に狭山市内田中部落へ時計を捨てに行った。何故その場所に捨てたと自供したかと言えば、二審の被告人質問によると田中地区の五十子米屋から狭山事件に使われた手拭いが出たとテレビで見たし5月6日には刑事が手拭いを確認しに来たから、それで時計の捨て場所を五十子の近くに適当に言ったのである。

この自供を聞いた取調官は、そんな道の真中に捨てるなど信じられぬと、すぐには捜索を下命しなかった。そして6月29日と30日の両日にわたり捜索は実施されたがこの時発見出来ず、7月2日、散歩中の民間人によって発見されたものである=二審25回・46回・55回各公判=狭山事件腕時計の捜索と発見

腕時計発見現場
腕時計発見現場の状況

ところがこのたび開示された捜査報告書等によると、2日間にわたる腕時計捜索の際に、発見地点はすでに捜索範囲に入っていたのである。つまり捜索したときにはそこにはなかったものが、7月2日に発見されたことになる。これが何を意味するかと言えば、もしそうなら、自白に合わせて時計発見地点がいわば工作されたのだ。狭山事件の秘密の暴露と呼ばれる腕時計の、決定的な証拠崩壊に繋がる可能性が出て来た。

腕時計の保証書

被害者の腕時計は、一審第7回公判での長男の証言によると、狭山事件前年の3月下旬ごろに御徒町で購入したもので、長男や父親は、中学校時代は腕時計をして登校することは禁じられていたので、旅行などの時しか使わず、普段はタンスの引き出しにしまっており、時々姉が使っていたと証言した。

やはり長男の法廷証言によれば、この時計の保証書は購入時に貰ってないと言う。保証書について、二審46回公判に出廷した事件当時県警本部防犯少年課の鈴木巡査部長はこう証言した。

問:時計の保証書を領置したという記憶はあるのでしょう。

答:記憶はちょっと……。

問:そんなようなことをした記憶はあるでしょう。

答:あります。

この問答だけ見ると、腕時計の保証書を領置したようにも読めるが、最後にありますと答えているのは「そんなようなことをした記憶」があるわけで、はっきりと保証書を領置したとはこれだけでは断定出来かねるし、前述のように長男は買った時に保証書は付いてなかったと言っており、この件は不明。保証書が証拠提出されなかった事とも相まって、証拠上から考えるならば腕時計の保証書は無かったと判断するのが正しい。もし証拠として保証書が存在し、そこに記載されてある時計の側番号が発見品と一致するのなら、この上なき有罪の証拠として裁判で提出されていた筈だ。

活動者会議でのそのほかの内容について以下に記す。

狭山事件活動者会議10月2日

狭山事件の第11回三者協議を翌日に控えた9月2日、東京・日比谷図書文化館に於て全国狭山活動者会議・住民の会全国交流会が開催されたので参加した。その内容及び感想を記します。

石川一雄さん挨拶

狭山事件再審 この間の進展

弁護団は開示証拠の符号が飛んでいる部分につき、そこに未開示証拠が有る事が明らかであるから、引続きその証拠標目(リスト)の開示を求めている。未開示証拠の符号は現在明らかとなっている物としては20〜33、35〜46、49〜54がありその前後の開示証拠が筆跡関係の証拠である事から見て、これらの欠番証拠の内容は筆跡関係証拠と見られる。

自白犯行時刻に自白殺害現場に隣接する畑で農作業を行なっていたOさんの証人尋問を早期に実施する事を4月19日付要請書で求めた。Oさんは既に高齢(80歳代)であるから、早急な事実調べが必要。

その他は先日第三次再審請求の現状と課題として記した通り。

狭山事件手拭いの新事実

死体と共に発見された五十子米屋の手拭は、165本が得意先等に配布され、うち158本が警察の捜査により回収。未回収の7本のうち3本は捨てた又は他の用途に使用された事が確認され、残る4本のうちの何れかが犯行に使用されたと認定された。処が警察が回収した際の任意提出書の番号に、27もの欠番があり、五十子の165本と言う本数の正確性と捜査そのものに疑義が生じた為、これら提出されていない任意提出書の開示を求めた。

尚、開示証拠と無罪の新証拠を狭山事件判例と再審請求の頁に、再審請求の関係条文と判例とともにまとめてあります。

再審活動報告

狭山事件活動者会議9月2日

幾つか個人的に印象に残った発言を簡略に記します。

*かつて東京高等裁判所刑事第四部の裁判長で狭山事件を担当し、2009年12月検察に対し証拠開示勧告をした門野博氏を集会等に招いたらどうだろうと思い自ら問いあわせてみたらその返事が来て、事情によりそう言う参加は出来ないが、証拠開示には積極的肯定的な答だった。
*地道な取組みによって、今やそうで無い者は右翼勢力だけだと思うが国民的に狭山事件=石川さんは無実と言う事が広がっている。でもまだまだ広がりが足らない。反原発のデモのように国民的な広がりを作り出す事が肝要と思う。

その通りですが、筆者は引退したと申せ、あのう、ある方角から見れば一応可也それっぽい政治方面にかつては・(笑)まあその、冤罪や差別被害支援に、ともあれ少なくとも筆者自身は、特定の政治的な事柄は原則抜きで取組んで行く所存です。何故と申して、特定の政治的嗜好を野方図に記す事は、それと逆の嗜好を有する人々を遠ざける事になり、まさに国民的拡大を妨げる事になるからです。

そして其の後、この政治的発言をした者は何ら狭山事件について活動しておらんことが判明した。此の会議も含めて出来合いの「活動」に出席して「活動しました」にはならぬ。狭山再審の活動とは、世論に訴えることであって、それすなわち事件を良く知らぬ一般の人々に幅広く訴えることである。それをやっておらぬなら活動者の資格は無く、そして政治については、たんなる嗜好の問題だ。

一番印象に残ったと言うか、そうだと思ったのは大阪豊中市の狭山事件研究会の方の発言だった(此の会合の前に、高裁と高検への要請活動も一人で行かれたとの事。一人でもここ迄やれると言う手本です・集会後お声をかけようと思ったが、喫煙に現を抜かしていたら機会を逸してしまった)。この御発言も録音しておいたつもりだったけど、筆者の使用しておる旧式なテープレコーダーのテープ切れにつき残念ながら音が残ってなく、正確性を欠くといけないので、其の内容は多分近日中に報告がアップされるだろうから他の狭山事件関係を御照覧頂きたい。他の方も仰っていた「もっと国民的な広がり」を獲得する為には、豊中の方が常々提起している事柄で此の集会でも述べられていた事を、諸般の事情もあると思いますが出来る限りでも推進して行く必要もあるだろうと思う。又少なくとも、積極的に活動に取組んでいる人々の言わば身内的な会合である此の活動者会議のような場では、昨日(2日)から見て明日(3日)の三者協議日程位は、はっきりとアナウンスしても良いのではと思います。

情報の共有やインターネットサイトの更新具合についてもそうである。集会がいつ行なわれるか等の最新情報は、筆者は早智子さんが作っている「冤罪狭山事件」のトップ頁を見ているし、それこそほかの狭山事件サイトを見れば早い位の情報もある。開示証拠については刑事訴訟法の問題もあるから仕方の無い部分もある。しかし真に世論を喚起する事を本気で考えるならば、諸々工夫次第で出来る事はある筈だ。

写真:高裁前

集会後、東京高等裁判所と東京高等検察庁へ要請行動に赴く。


追伸:現地調査などでお会いする一雄さんは、常にお元気に闘いの決意を述べて下さるけれど、筆者自身が親を亡くして見て、初めて、やっと、少し、石川さんの心に秘めた悲しみが解った。それなのにいつも、お会いする度にこちらが元気づけられていたのだ。又、石川さんと違って自分はずっと娑婆に居れたのにも関わらず、自分の親に一体なにをして来たろうかと思う。それらの事や、この間の諸々の御礼を手紙に書こうと思うのだが、まだそれは果せずにいる。

このあと、5月の狭山事件現地調査に参加されたノジマさんが、狭山再審のフェイスブックを開設し、石川さんの高裁前アピール活動全部に参加されている。現地調査などの活動も、地道にやって行けば、こうした人材も現れてくれるものだとつくづく思うのであった。

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2012/10/03
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