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狭山事件半世紀

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狭山事件活動2012年は去りぬ

2013年は此の狭山事件のサイトを立ち上げてからやは十年と、いうことになり、更には石川さんの冤罪自体も半世紀、つまりは狭山事件から50年が経過することになるわけです。

12月1日狭山事件現地調査 撮影:AII

私ごとで恐縮ですが本年後半の約4ヶ月半ほどは、人生と言うと大げさですが生活状況と申すか、そう言うものが短期間に激変してしまい、特に12月1日の現地調査後は、狭山事件の関係に限らず完全に活動をストップしておりました。

且つそのわりには、ソレ也に充実した活動を出来たものと存じます。現地調査に参加して下さった方でその後も積極的に署名活動をしてくれる人も居ます。こう言う方が現われてくれる事が、筆者にとりましては一番の成果です。

現在心身共に疲れておりますので今暫くは此の無為徒食生活が継続するものと思いますが、チョットずつ、活動再開と行きたい所存です。

狭山事件 新年のご挨拶

筆者自身のご挨拶に代えて、石川さんのメッセージを掲載します。
(冤罪狭山事件より転載)


私たちは新年を迎えても特別に意識することなく、ただ只管に冤罪を晴らす為の活動を展開する中で、むしろ皆さん方の今後において、私石川一雄に対する支援活動にどう関わって頂けるのか、その方が気掛かりでなりませんが、取り敢えず新しい年の第一歩を踏み出すに当たり、皆さんに心から新年のおよろこびを申し上げます。

昨年の年頭の挨拶の中では、「・・今年が最大な山場」であり、私の「生死を決する年になる」と檄をとばした関係で支援者各位からも多大なご尽力を賜りましたのに、「勝利」はおろか、「再審」の目処も立てられないまま、2013年を迎えて終ったことを大変申し訳なく、済まない気持ちで一杯です。然しながら、弁護団の話によると、今月に予定される第12回の三者協議を受けて、3月頃には補充書、鑑定書が出された後は、いつ裁判所が結論を出してくるかという切迫した状況になります。そのような中で、少なくとも裁判所から勧告されたものの、未だ開示されていない残りの三項目の証拠を出させる活動を皆さん方に切にお願いする次第であります。

これまでの再審裁判で冤罪が晴れた事件は、みな一様に検察の証拠開示に因るものであります。従って確定判決を覆す重要な証拠は検察の保管庫に眠っており、然も、膨大な未開示証拠の存在を認めながら、職責を全うしない検察側の対応を厳しく糾弾しなければなりません。ご承知の様に再審裁判では新証拠が発見された時に「実現」されるとあってみれば、尚更検察官は「無辜の救済」の再審の理念にたち、直ちに証拠を開示し、「白」「黒」をつける措置を講ずるべきでありましょう。以前、検察担当官は、「手元に証拠を集め、整理すると分量として積み上げれば2〜3メートルになる」と弁護団との折衝の場で回答し、未開示証拠の存在を認めていたので、皆さん方の「証拠開示せよ」「不正義は許されない」の声を検察庁に届け、何としても開示させて頂きたく願っております。

私も3年ほど前に、ジュネーブにある国連・規約人権委員会委員に検察側の証拠不開示について訴えてきました。委員からは再三に渡って、日本政府に対し、強く証拠開示するよう勧告されています。そもそも検察に有る証拠は公費で公的機関に因って収集された物でありますから、本来は公的財産であり、弁護側に開示されて然るべき物です。新証拠が必要とされる再審にあって、請求人の私に当然開示すべき物である筈です。にも関わらず「プライバシー保護」等を理由に開示しない訳ですが、「プライバシー」を問題にするのなら、狭山事件当時、被差別部落に対する差別的集中見込み捜査を行い、どれほど被差別部落の人たちの人生を踏みにじったかを先ず明らかにすべきですし、そのためにも検察は全証拠を開示し、捜査過程を全て明らかにすべきです。重大な事実の隠蔽行為が国民に知れることを恐れ、証拠開示出来ないのではないか、と指弾せずにはおれません。

「真実と正義は必ず勝つ」と信じ、声をあげてからやがて半世紀が経とうとしている現在、今度こそ裁判官は、私の訴えに耳を傾け、真摯に向き合って頂けるものと信じて居り、取り分け、私が書いた逮捕当日の「上申書」が証拠開示によって日の目を見、「筆跡の不一致」の鑑定書も提出されたことで、私にとっては、確定判決の事実認定が覆る程の新証拠として、裁判官が認めて下さると信じて疑いません。

また今後も「犯行現場」に関する捜査書類をはじめ、ルミノール反応検査報告書、証拠の標目を記載した証拠リストなど、未開示証拠類の開示を重ねて請求して参る所存です。中でも、真実の全容が明らかにされるであろう、逮捕当日から否認し続けた間に「脅迫状」を見ながら書き写した練習用紙を開示して頂ければ、当時私が如何に無学であり、文字が書き得なかったこと、また、捜査当局の不正義が明らかになるであろうことなど裁判官に解って頂けると思いながら、その開示も積極的に求める訴えを続けていくつもりです。

検察官は弁護団からの証拠開示請求に対し「どんな証拠か個別に特定するよう」求め、開示の必要がないとして開示拒否をしているようですが、弁護人には証拠リストすら出さず、検察手持ちの証拠が解らないからこそ全証拠の開示を求めるのであって、「特定」の仕様もないのです。故に支援者皆さんからも再度裁判官に「証拠開示を受ける機会を保障」するよう声を大にあげて頂きたいのです。

私の完全無罪への核心は証拠を開示させる一点につきるので、このことをご理解の上行動を起こして頂きたく、心からお願いし、年頭に当たり私の不退転の決意と皆さんの更なるご協力を切望して失礼いたします。
 皆さんにとりまして今年もよき一年になりますよう念じつつ。

2013年1月1日

狭山事件50年現地見分実施要項

今度の5月1日で狭山事件から50年と言う事になります。
此の半世紀に当たり市民集会実行委員会の主催で学習会と現地調査が実施されますので、当サイトに於いても広く参加を募りたいと思います。連休中とは申せ平日ですから、どの位集まる事が出来るか不明な点もありますが、この機会に一般の方の多くの参加を期待しております。

*5月1日(水)
*最寄り駅:西武新宿線狭山市駅
*お申込みは例により、メィルにて御願い申し上げます。当サイトより折り返し、集合地点その他を記し返信致します。
*その他の事項について「狭山事件現地見分一般要項」に記してありますので事前に是非ようく読んでおいて下さい。
*雨天決行(激甚災害発生等非常時を除く)

当日は次のようになっております。
*13時~13時45分=狭山事件発生50年 事件の真相を探る:50年前の5月1日狭山市で何があったのか・於富士見集会所
*14時から現地調査。狭山市駅西口。

*現在迄のお申し込みは4名様です=4/27

狭山事件と「りぼん」

確定判決の事実認定では脅迫状は石川さんの自宅にあった雑誌「りぼん」から知らない漢字をふりがなを見ながら抜き出して作成された事になっています。しかし、狭山事件当時、りぼんが石川宅になかった事が明かになっています。それに、もしリボンとかそうでなくともとにかく活字を真似て脅迫状の文字を書いたのなら、狭山事件の脅迫状の筆跡は下手であっても一応手本にした活字に似て楷書ふうになるのが普通ですが、脅迫状の文字は見てのとおり行書ふうです。石川さんが狭山事件当時、特に漢字については手本を見て書く必要があった事は、寺尾判決でも認定しており、だからこそ手本となる雑誌りぼんが有罪証拠として必須であったのです。しかも手本はりぼんでなくとも良いとか、どのリボンでも良いというのではなく、「二宮金次郎の写真」が入ったりぼんでなければなりませんでした。それは検察官の主張も寺尾判決も、二宮金次郎が薪を背負った写真があるりぼんですと言う自白を根拠として、そのリボンを川越の書店から認定を受けてこれと特定しているためです。しかし、兎も角狭山事件当日には、このりぼんどころかいかなるりぼんも、石川一雄宅には存在しなかったのです。この狭山事件の脅迫文の執筆問題として公判調書をもとに検証しました=二審13回公判調書。

狭山事件と万年筆

同じ二審の関係公判で、万年筆の発見と家宅捜索の状況について「狭山事件万年筆」として検討しました。一審5回と二審13回で家宅捜索を担当した小島警部の証言、16回で石川一雄の兄の証言を総合的に検討し、一審裁判では第二回の家宅捜索の事実そのものを隠そうとしたこと、これついて弁護人が質そうとすると裁判長が検察側の意見を容れて質疑を許可しなかったこと、万年筆が鴨居にあった元の状況を現認も撮影も行わなかったこと、狭山事件の三大物証のひとつとされる万年筆がもともと発見場所の鴨居にはなかった事実を明かにしました。

狭山事件から半世紀

この狭山事件のサイトを開始してからかれこれ十年が経ちましたが、この事件自体、ついに50年が経過しようとしております。

狭山事件50年目の真実

別に新たな新事実が発覚したわけではありません。題名は別として、明日で狭山事件から50年もの歳月が流れた事になります。既に告知のとおり、5月1日に現地集会と現地調査が行なわれます。

見えない手錠を外そう

内容は下記のとおりです。
現地集会:13時〜13時45分
狭山事件発生50年 事件の真相を探る:50年前の5月1日狭山市で何があったのか
会場:富士見集会所(西武新宿線狭山市駅西口下車徒歩3分)

現地調査:14時〜15時45分
狭山市駅西口出発

当サイトに於いてもいつもどおり参加を呼びかけた結果、4人のお申込みがありました。平日ですから今回は少ない方だと思いますが、これから飛び込みでも行ってみようと言う方は是非、上記の時刻場所に集合して下さい。さて今宵は専門書でも読んで早々に眠気を誘うとしましょう。

追記:明日、テレビ放映もあるそうです。(冤罪狭山事件より転載)現地に来れない方は是非見て下さいまし。

☆16時52分からのテレビ東京「ニュースアンサー」の中で、17時頃から6分ほど狭山が放映されます。
☆18時10分~19時までのNHKテレビ「首都圏ネットニュース」 の中で50年を迎えた狭山裁判闘争が短い時間ではありますが放映される予定です。

狭山事件50年目の現地

狭山事件50年の現地調査を実施しました。

再審弁護団記者会見:於富士見集会所 集会所での記者会見

2013年5月1日

5月1日、狭山現地での集会、現地調査、記者会見が行なわれたので予定通り行って来ました。参加人数は少なくとも60名以上。最初に富士見集会所に於て再審状況についての集会、その後、弁護団、報道関係を第一班として三班に別れて現地調査に赴く。現地事務所で終了解散となりましたが、更に富士見集会所で記者会見がされていましたからそちらの話も聞きに行きました。

現地へ行っていたのでテレビは見ませんでしたが、複数のテレビ、新聞等で報道もされたようです。狭山事件とその再審が、少しでも世論へアピールされる事を期待します。

石川一雄さん両親のパネル写真 撮影:SA氏

集会の隣室ではパネル展示もやっていた。自分的にはこの写真である。ご両親の無念をも、早く晴らさねばならないと思う。

狭山事件との出会い

狭山事件について、いくらかでも詳細な事件のあらましを知ったのは1995年頃だったと思う。狭山事件と言う名やそのもっと大雑把な内容はそれよりももう少し前、1980年代に極左運動の調査を行なっていた時に知った。1995年以降は、狭山事件の本を少しずつ読んだりし始めた。

特に個人的にインパックトが伴った読書が、殿岡駿星氏の犯人「狭山事件」より
を読んだことであった。あくまで個人的な事情だがあの本を読んでいなければ今の筆者(当サイト制作者)は無かっただろう。もちろん当時から推理や説の内容がどうとかではなかった。狭山事件推理が完全に廃棄物と化した現在、ますますもってそうである。

しかし当初は推理も率先して実施し、石川一雄さんが無実である事はすぐに理解出来たが、但しその前提でそれなら狭山事件の真犯人は誰なのだろうかと言う興味を持っていた時期もあったが世の役にも立たず自分の人生の役にも立たぬ無駄を悟ってすぐにやめた。

1980年代の新左翼運動への諜報活動が狭山事件との第一の出会いとすれば、いろいろな本を読むようになった1995年前後が狭山事件の詳細を知った第二の出会いで、狭山事件サイトを制作開始した2003年がいわば第三の出会いとも言える。

そして2005年5月4日、こうやって狭山事件を調べている以上、やはり石川一雄さんにお会い出来るものならそうせねばならないと思って実際に会いに行った時が、第四の且つ最大の出会いとなった。その翌年以降、既に制作していた当サイトを通じて現地調査と言うものを主催するようになった。そしてこの時点でもう、筆者は真犯人の推理なんかしなくなったのだ。

それはまた、匿名掲示板などでの真犯人推理議論に見切りをつけた時期とほぼ重なっている。重なってると言うよりも上の出来事があったがために捨てたのだ。筆者は2年以上にわたりさんざんあれこれと推理を巡らせた揚句、そのような解答が出ない事を続ける愚行と時間の無駄(と、それをいつまでもやっている者)は、自分の人生から省くことに決めた。

もともと筆者は(少なくとも30歳代前後からは)眼前で起こっている事柄に目を背ける事を極端に嫌うたちであった。何らかの境遇により目の前で苦しみ悩んでいる人を実際に目の当たりにしておきながら、見てみぬふりをすると言う現代にありがちな風潮とは正反対の行動を取る事は、筆者の政治運動へのかかわり合いから生じたものである。

筆者がある程度でもきちんと狭山事件の内容を把握したのは上に述べたとおり1995年以降だったから、石川さんの再審活動に何らかの行動によって貢献出来ればと思い、実際に幾らかでもそれを為すようになったのは、計算の仕方にもよるが、1995年からであると約10年も経っている。要するに10年間も何もせずに居た。

けれども何かをしようと思った処で、少なくとも最初の数年間は実際何をどうすれば良いのかが解らなかった事は事実であるし、そうした窓口的な場所や人も少なくとも筆者が知る限りは当時は無かった。しかしそうであるならば、自分でそれを作れば良いので、当サイトをその事に利用する事にした。

だが中には20年数年から30年あるいはそれ以上も前からこの事件を、つまり石川さんが無実である事を知っていたにも関わらず現在に至っても何もしていない者もいるという現実があった。彼らは相変わらず探偵ごっこに明け暮れているが、実際のところ、真犯人は今後とも判明する事はあるまいし、仮に判明したところでそれが何だと言うのだろうか。狭山事件は最早時効になっているから警察や司法の代りに自ら真犯人に体罰でも加えるのだろうか。否、遊びでやっている者にそんな覚悟がある筈が無い。似非探偵は大概、偽名をあれこれと使い分けしている。即ち何かうしろ暗い所があるのだろう。他方、筆者にはそのような事は何も無い。

大事な事は目の前にある現実問題の解決策を考え、それを提起し、そして実行する事だ。何も実行が伴わない口舌の徒は、不要だ。2013/4/27記

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2013/01/01
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