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狭山事件の脅迫状と筆跡

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狭山事件の確定判決が証拠の筆頭に挙げている脅迫状と封筒及び筆跡についての頁を作成してあります。

狭山事件脅迫状の筆跡

脅迫状は、遺体とともに、有罪を認定するにせよ再審無罪を推進するにせよ、もっとも重要且つ直接的な証拠です。なぜならばそれらは犯人が、直接に手を下したことが確実な証拠だからです。

それゆえ、狭山事件脅迫状の筆跡が判決の有罪認定では石川一雄被告の筆跡と同一とされたことが、最大の要素とされています。他の証拠は全て極めて弱い情況証拠であり、しかも狭山事件ではそれら全部が自白に依拠しています。

狭山事件の脅迫状と筆跡の質問に答える

去年、此のサイトを通じて募集した狭山事件現地調査にいらしたノジマさんが再審活動のフェイスブックを立ち上げられました。本件の再審に関心がある人でインターネットを利用している人同士が繋がるのには良い試みだと思います。また、狭山現地へ来られたのをきっかけにこんな試みをする方が現れてくれますと、自分がやって来た現地見分というのも全く決して無駄じゃなかったのを知らされてこちらもやる気が出ようというものです。

ほかにも、何度か佐渡から来られたTさんが、新潟県内での狭山事件冤罪を訴える集会の企画に積極的に参加され、石川さんを佐渡にご案内したりされております。

それでその「狭山事件の再審を実現しよう」の中に掲示板が付属しておりますが、なにか脅迫状と石川さんの筆跡が似てるとか同じだとか、そんなサイトが立ち上がってますが実に程度が低くいですねどうしたもんでしょう的な質問があったので、見てみると、まあ何のことはなく石川一雄氏無罪の引き立て役のようなもんでした。ですが私らにはそうでも、無知からくる間違いだらけの証拠解釈であることにはマチガイありませんから、筆跡の問題と同時に、この際だから脅迫文自体の分析が果たして有用かどうかも後で考えてみたいと思います。

脅迫状の発見と狭山事件

過去の主題で言えば、狭山事件脅迫状の謎としての脅迫状の発見状態については、例の細田証言とかいろいろあって、結構前に散々考えたアゲクの頁を作ったことがあります。この頃の眼目は、どうも脅迫状が発見された当日の午後7時半すぎよりも前にもう警察が捜査を始めていたらしい、もしそうなら石川さん無罪の新事実であるのは勿論のこと、狭山事件そのものの実体も全然変ってくる。ならばそれ以前に脅迫の事実があったんじゃなかろうか、もしそうならそれはどう言った発端だったのかを「推理」していたわけです。今では有り体に言ってそんな事実は無かったことが判明しておりますから、全て徒労に終ったのです。そして、それよりも脅迫状について、筆跡そのものではそう言われればやったことがありませんでしたね。

脅迫状の筆跡と狭山事件

内容的には脅迫文そのものの大袈裟に言うと字面の解析と分析と考察とそこから考えられる論点と問題点と争点を簡単に説明したあと、筆跡鑑定をやる際の一般論と狭山事件での特殊論を述べ、捜査段階から再審請求段階までに出された主な筆跡鑑定を紹介してあります。その上で、掲示板で質問があったところの脅迫状との筆跡同一性を論じる際に必須となる注意点を記しました。一応、当該質問への回答にはなったでしょう。

簡単に言えば脅迫状やなんかに書いてある字がほかの人が書いた字と同じかどうかを比べる時に、ひらがなを比べただけじゃダメってことです。ひらがなは字形が簡単なのが多いからおんなじような字を書く人も多くなるからです。比べるなら漢字だね。それから、裁判官の面前以外で誰かが言ったことは証拠になりません。というのは、何かこの手の供述書を根拠にして石川さんが狭山事件の脅迫状を書けたと言ってるみたいだからです。これはあれですよ、例えば私がどこかで聞いた風のウワサを法廷で述べたら証拠になるかどうか、あるいは良くテレビでやってる街頭インタビューが証拠になるか、考えてみるまでもなく当然なりませんよね。

狭山事件の脅迫状については、こんなことも考えられます。いま迄の判決と決定が言うように、石川さんが犯人だとして、脅迫状を書く時に、知りもせず書いたこともない漢字をわざわざ使って書くために、苦労して雑誌を辞書がわりにしたのはなんでだろうと。ふつう、ああいう脅迫状を書くのに、筆跡を自分の文章能力や字の上手さ以下に書くのは良くありそうですが、逆に自分の能力以上の達筆や難しい文章や漢字を使うのはどんな場合だろうと、ね。狭山事件の犯人が能力以上の脅迫状を書いたとすると、そうしたい為の何らかの企みがあったことになります。当たり前の話ですが確定判決でも狭山事件当時の国語力がとても低かったのは事実認定され、だからこそ雑誌を字引に使って脅迫状を書いたことになってるのですが、もっと楽な方法がなかったものかとね。まあ自分でもこんな疑問もあって、この際だから脅迫状と筆跡に特化した本体頁を作成したものです。

狭山事件と脅迫状の筆跡

刑事事件の証拠には直接証拠と間接証拠=情況証拠があり、狭山事件の有罪証拠は全て情況証拠です。しかし狭山事件の脅迫状は、当然確実に真犯人が書いて届けたもの=仮に真犯人が誰かに代筆させたにしろ代わりにそれを届けさせたにせよ=であり、且つ石川一雄氏から直接に得た筆跡を鑑定した結果、脅迫状即ち真犯人の筆跡と同一と判定されたからです。

狭山事件と石川一雄氏を結びつける他の証拠とされているものは、血液型の一致にせよ、タオルや手拭いが入手可能だったと言うにせよ、自白に基づいて発見されたとされる証拠品にせよ、これらは全て間接証拠です。よって、証拠の中では脅迫状が最も有力且つ重要なものであるわけです。

そもそもこの程度のことは既に今迄にいろんな本やインターネット上でもいろんなサイトに書いてありますから、まあ狭山事件に関心を持つぐらいに刑事事件を知っている人なら知っていて当然と思って、特に此のサイトでは書く必要もあるまいと思っていたわけですが、脅迫状を届けた者が少なくとも恐喝未遂の真犯人であることは確実だし、無論そうなると恐喝未遂に付随する強盗強姦殺人死体遺棄にも深い関わりを持つだろうと推認され、つまり狭山事件の最重要の証拠であるし、考えてみたらこれをちゃんと取り上げずに来たのも「片手落ち」なので此の機会に一応作ってみました。

狭山事件 脅迫状と上申書の筆跡

当該頁には今の第三次再審の三者協議の折衝の結果開示された逮捕当日の石川さんの上申書を用いました。この上申書が狭山事件の証拠として重要と言われる理由は、既に開示されている=と言うよりも逮捕時の筆跡鑑定対照資料で一審で証拠提出された逮捕2日前の上申書の、わずか三日後に書かれているからです。判決ではこの逮捕まえの上申書の筆跡が脅迫状と違うのは、心理的要因があるからだ=ありていに言えば筆跡を誤摩化そうとしたから違うのだ、とそう認定しています。しかし、です。逮捕まえに、狭山事件の犯人と思われてはたまらんから筆跡を誤摩化したとすると、それは要するにその時に作った偽りの字体です。普段書いている字体ならともかくも偽りの字体を、日にちをおいて再現するのはちょっと考えて見れば解りますが至難の業です。ところが逮捕まえと、逮捕後の上申書の字形はほぼ同じです。つまり両者は、石川さんの書く能力・筆跡のいわば地が出ていることになります。

狭山事件の脅迫状と上申書の筆跡画像

下に脅迫状と上申書の画像を提示します。写真が少し小さいですがこれはブラウザ容量対策等の為です。端末によってはクリックして拡大出来る場合があるでしょう。

狭山事件 脅迫状画像
狭山事件の脅迫状画像
5月21日上申書
5月21日上申書画像
5月23日上申書
5月23日上申書

上が逮捕まえに自宅で書かされた上申書で下が逮捕後に狭山署で書かれたのです。でこれを見るに、全体のかなくぎ調の筆致が同じであるのは当然として、字形自体、同一人が書いたものであることは何も知らぬ人がこれを見せられても解るでしょう。5月21日の上申書と狭山事件の脅迫状を筆跡鑑定した結果が大きな証拠となって起訴され、有罪の認定となり、その際21日の上申書の字体は筆跡を韜晦=誤摩化そうとした作為的な文字と言うわけです。ですがこの三日後に逮捕された時に、またしても筆跡を誤摩化した上申書を書いたとして、前の誤摩化しと、同じような字体が再現出来ますかね。

こうした事柄を仔細に検討することよって、到底この両者とも、狭山事件の犯人である者が筆跡を誤摩化そうとしてわざと脅迫状と違えて書いたのだと述べる判決の論理は間違っていることが明かとなります。そうした点をも含めて、新たに開示された上申書が重要な筆跡資料と位置づけられるのです。

脅迫状と上申書筆跡鑑定の意義

5月23日上申書は犯行当日に近い時期に書かれ、文字数も十分にある貴重な証拠である。上記の通り副次的にこの上申書によって、原判決で証拠とされた筆跡鑑定の5月21日上申書との比較で、この二つの上申書の筆跡が同一であることが解る。つまり、逮捕まえの上申書を書く時に、犯人が筆跡をごまかしたのであれば、三日後に警察署であらためて上申書を書く時に、同じごまかし方の筆跡を再現出来るだろうか。答えは否であり、つまり、確定判決で上申書は筆跡をごまかしたものと認定されているが、そうではなく、石川一雄氏の自然な筆跡が出ていることが二つの上申書によって明かとなる。そうであればこの二つの筆跡が脅迫状と一致するかどうかが問題となり、新証拠は、特に開示された二通目の上申書の筆跡鑑定を行った。

狭山事件の筆跡証拠開示

上申書一枚でもこれだけのインパクトがあったわけだが、未開示証拠の中にはまだまだ筆跡関係の証拠物が山ほど眠っている。逮捕まえの石川一雄氏は日常的に文字を書く習慣も必要性も無かったから、せいぜいが昔の工場勤務時代の早退届ぐらいのものだろうが、事件直近では逮捕後から本件起訴までの取り調べ中に書いたものが重要となる。特に、取り調べの目的として脅迫状との筆跡の一致度を見るのに写しを書かせるのは捜査上も当然の処置だから、こうして頻繁に書かされていた文面が開示されるなら、ますます筆跡の違いが明かとなろう。

k-300.jpg

一例がこれである。7月2日の検事調書に添付された脅迫文の写しで、調書に添付されたところを見ると、練習成果が可也上がったと検事も認めたのだろう。この手の書面が、まだ沢山ある筈なのだ。

狭山事件筆跡の論点 脅迫状の作成動機

これは要するに狭山事件をやった動機自体のことですが、判決では石川さんは、家庭の中で兄との折り合いが悪くなったからいっそ狭山を出て東京へ行きたいが、行くには手ぶらじゃイヤなんでカネが欲しい、そう思っていたところへ天の啓示のように吉展ちゃん事件をテレビで大々的にやっているのを見ると犯人がまんまと金五十万を取って逃げた。これに触発されて、自分も金二十万を取るべく子供を誘拐しようとしたのである。それで取り敢えず脅迫文を書いて用意しておき、毎日これを持ち歩いて誘拐対象を探し歩いていたら、5月1日にたまたま通行中の女学生に出会ったからこれを山へ連れ込んだのだ。

それでことが上手く運んだ暁には、念願の東京行きを達成するとともに、バイク転売の件で親父にカネを立て替えてもらっててこのままでは迷惑かけっぱなしで悪いからこの代金を返し、残りのカネを持参金として逃亡を企てた。要するに迷惑をかけていた父にお金を返済することも動機の一部です。

確定判決の認定はこうなっておりますが、兄に睨まれたから東京へ出たい、この際お父さんにもお金をあげよう、程度のことが、脅迫状を作って人を誘拐する企ての動機になるのかどうか。動機が弱すぎることに加えて、父に迷惑かけたと思ったのなら、吉展ちゃん事件を見て脅迫状など思いつくのも変です。何故ならば、テレビでそうやって大騒ぎになっていたから吉展ちゃん事件を知ったのであって、ならば脅迫状なんぞ書いて子供を誘拐などしたら、もっと迷惑がかかるでしょうに、ってことです。

兄にはオートバイ転売の件も含めて睨まれていたわけですが、吉展ちゃん事件類似の誘拐事件なぞ起こしたら=なにも誘拐した子供を殺さなくても、もっと睨まれること必定なわけです。当時の狭山市のような田舎で、こんな事件が起これば吉展ちゃん事件以上の大騒ぎになるでしょうし、現にまだ遺体の見つからぬうちから、つまり被害者の殺害が確定せぬうちに、大規模な山狩りが行われるなど騒動になりました。だから、判決認定の狭山事件の動機はどうしても石川さんを真犯人に仕立て上げようという動機があったとは言え、余りに浮き世離れし過ぎています。

狭山事件の脅迫状筆跡と「りぼん」

供述調書に添付された図面にある石川一雄氏の筆跡などから、狭山事件の発生当時の石川一雄氏が字を、特に漢字を殆ど知らずにいたことは、寺尾判決も判決の中で事実として認定しました。しかし此のままでは脅迫状が書けなかった結論になってしまうので、それで目を付けたのが雑誌「りぼん」です。

この本は、妹が友達から借りたのが家にあった事になっていて、脅迫状はここから難しい漢字を拾い出して書いたと言うのです。ところが、寺尾判決が出てからの最高裁判所への上告で、最高検が開示した証拠の中に、妹の友達の供述調書があり、狭山事件の時にはもうこの雑誌は友達に返されてしまって家に無かったのです。この問題に特化して「狭山事件脅迫文作成」の頁で検討しましたが、こうなると、石川一雄氏には脅迫状を書く手段が無くなってしまったわけです。

脅迫状の手本、あるいは書くときの字引として認定した少女雑誌が無かった事実について、第一次再審請求の棄却決定は、ほかの友達から借りた可能性もあると言いましたが、刑事裁判での事実認定に必要なのは「可能性」じゃなくて「証拠」ですよ。確定判決も然り、以後の各棄却決定もそうですが、原判決の事実認定を否定すべき新たな客観的事実が出た場合に、こうした可能性で片付けています。これが許容されるならば、最初から別に証拠無しでも「可能性がある」とか「怪しい」とか言えば良い事になります。これが、狭山事件の現在迄の裁判所の判断が所詮「狭山事件の真犯人推理」にすぎんと私が指摘する理由です。

手紙と狭山事件脅迫状筆跡

あと、ことのついでに述べれば、「狭山事件の手紙」つまり関源三氏宛に書かれた手紙やはがきなんかは、脅迫状の筆跡問題の証拠には全然なりませんね。確定判決もこの手紙の筆跡を脅迫状との照合文書にはしておりませんし、検察官ですら、これらの手紙についてはいわば「有罪の情状資料」として出して来たのであって、この手紙を今どき脅迫状の筆跡に関係してると思う者は、狭山事件自体に無知過ぎるのを自らひけらかすだけです。

ほかにも、たとえば冤罪自白がまだ維持されている最中に、被害者の父親に宛てて書いた「手紙」などが脅迫状に関連づけられて「推理」されることもあったかも知れませんが、これも無関係、と申すか比較の対象としては無効ですね。

一般論として、もう既に字が書け自らの書き癖つまり筆跡が固まってしまったある程度の大人が、筆跡を変えて書こうするのは難しいし、特別にペン習字でも習うのならともかく、特殊な訓練をなにも受けなければ高校生ぐらいか遅くとも大人になったらそのまま、筆跡や文書の能力などは変わらぬものです。ですが狭山事件当時の石川一雄氏のように、漢字をほとんど書けず、書ける文字もはっきりいって何て書いてあるのかわからんほど下手だったひとの場合、必要にかられて字を書く事を練習すると、驚くホド短期間で上達するし、手本がある場合には手本の字に似てきます。だから、前述のように脅迫状について取調べを受けていたら一、二ヶ月の間にも書く字の形や使い道が脅迫状にある程度似てきても当たり前なのです。

それゆえに、そうした時期に書いた手紙やなんかは、脅迫状との筆跡鑑定の対照文書にしてはいかんのです。前提条件に厳しい制約や遵守事項を設けるのは、科学実験では当たり前のことで、これは刑事事件の鑑定でも同じです。それは最近のナントカ細胞の例を見たら解るでしょうよ。

脅迫状筆跡鑑定への誤解

脅迫状に限らず、そして狭山事件にも限らず、「鑑定」に対する誤解を有する人も極微量ながらいるようです。いや、やはり特に脅迫状のような、文字の形で誰にでも簡単に目に見える証拠関係に、この傾向が強い。と申すのは、例えば、狭山事件の遺体鑑定に使うような写真を素人が見て、死因がどうだ死斑がどうだと勝手な判断をしているのは見たこともありませんが、これが同じ狭山事件の証拠でも脅迫状になると、まあインクの種類だの筆記具の差だのは別として、筆跡そのものは一応写真だけで普通の視力がある者には誰にでも見えるもんだから、石川さんやほかの人の筆跡と簡単に比べて、同じだとか似ているとかのたまう人もいそうな気がしたんですよね。で実際、それを絵に描いたような油虫がこのたび発見されたわけですが、鑑定ってのは、素人がそう簡単に口だし出来るもんだったら、最初から不必要なものなのです。

もうひとつ例を挙げれば、スコップについた土の鑑定なんかも、砂の重量構成比とかしち面倒臭い物理学上の検査なんかがたくさんあって、普通トウシロがあれこれ言えんでしょう。これが脅迫状の筆跡とかになると自分の家で写真を比べただけで急に口が達者になるのは、一体どうしたわけですかね。

要するにこうしたことは、その道の専門家でなけりゃ本来不可能なことを、見た目が容易そうなので簡単に自分にも出来るかのように、誤解し、錯覚し、結果うわ言を言い出すようになる良い例です。

新規検証の頁ではれらの点もふまえて、筆跡問題を中心とする狭山事件脅迫状の各論点を全て証拠に沿って検討した次第です。

脅迫状文面の分析は不要

但し昔の狭山事件推理でよくあったような、脅迫状の文章を何か解析してなにするようなことはしておりません。たとえば西武園の池がどうとか女のひとは誰かとか、脅迫状の一字一句にこだわってもどうしょうもありませんから。そりゃ、やりゃあ出来ますがね。いくらでも可能です。

無限の可能性を秘めるというものは、人間世界に生きるものにとって、この上なくすばらしい夢を与えてくれる言葉ですが、こと刑事裁判に於いては、無限の可能性から有限の証拠を抽出しなければならぬのです。十人十色の可能性から、十人が十人全員一致する証拠によって事実は認定されねばなりません。

よって、狭山事件の脅迫文面に書かれた語句自体の文学的解釈のあれこれについて、此処でも何処でも、永久にやる必要はありません。

狭山事件脅迫状筆跡と佐野屋

文学推理の一例としては、脅迫状の訂正部分についてのものがありました。訂正箇所は下の画像のようなものです。拡大すると良く見えます。

画像-脅迫状の訂正部

脅迫文を書いた上のほうに最初「少時」と書き、それを消してある。脅迫状の本文で「4月29日」が「五月2日」に、「前」が「さのヤ」に変更されています。で、今や推理マニアからでさえ相手にされぬかの有名な狭山事件Wikipediaによると、

「4月29日」が「五月2日」、「前の門」が「さのヤの門」に書き換えられていたが、佐野屋に門は存在しなかった。

んだそうです。訂正場所の細かい間違いはまあこの際不問に付すとして、狭山事件当時の佐野屋に門があったか無かったかなどは本件の真相や実体には別に何の関係もありません。これを書いた犯人が、前の門の三文字を消して「さのヤ」とすれば、門があろうがなかろうが無関係になり、前だけを消して「の門」をその際消し忘れたかどうでもいいと考えたか、ともかくその程度のことです。

いずれにせよこの脅迫状によって警官隊が張り込みをし、被害者方の姉がカネ(に見せかけた紙切れの束)を持って佐野屋に来たのですから、佐野屋のところに居ろと書いた脅迫状作者の意図は十分に伝わったわけですから。

それにしても、今どき脅迫状の筆跡と石川一雄氏の字が似ているから犯人だとかの寝言を寝ている時なら兎も角覚醒してる最中にも維持する輩は、狭山事件担当の検察官は職務上しょうがないとしてもそれ以外には過去の判決と決定を書いた昔の裁判官だけと思っていましたが、たまには娑婆にもこのたぐいの恥ずかしい薬物中毒患者が一人くらいはいるもんだと、初めて知りましたね。

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2013/04/14
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