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狭山事件50年目の心理分析

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殿岡駿星氏が狭山事件についての三冊目の著作『狭山事件50年目の心理分析』を5月23日前後に上梓されるとのお報せがありました。

殿岡駿星氏 狭山事件50年目の心理分析

狭山事件冤罪の真相を述べた本として以下を紹介したい。真犯人の推理に入れあげた駄本ならもうはいて捨てる程ある。今回、本書著者の過去の著作から、これを推理ものと勘違いされる向きもあるかも知れずだが、根本的に異なる。誤解をして、お門違いの感想や不平を述べると恥をかくことになろう。

殿岡駿星氏のコラムによると、以前から構想はあったけれども、三冊目を出すかどうか、迷いもあったとの事でした。しかし今回「3冊目の『狭山事件』では、大量のデータを示し、新たに客観的な視座を得ることができるような本にしたい」という目的のもと、執筆編集を重ねた結果、440頁、資料写真、図版入り、初版部数1200部、価格は税込み¥3360(上記殿岡氏サイトに記載のメールにて直接お申込ならば送料込み三割引)にて発売との決定です。

事前のお知らせによれば今回の書籍はいわゆる真犯人推理を排し、殿岡氏が蒐集した取材結果、データを掲載し、事実関係と証言の分析を主としたとの事です。

現在、狭山事件第三次再審請求はまさに正念場にかかっており(今年こそは、と、石川さん本人はもとより支援者一同の熱烈な思いとは裏腹に、再審の成行きは未だ予断を許さぬものがあるが)少しでも世論を喚起する為、個々人が出来得る限りの活動をする事が必須となっている処です。そうした一環として、客観的検証書籍が出る事は意義ある事と思います。

狭山事件50年目の心理分析:カバー
今回、3冊目の本として出版した「狭山事件50年目の心理分析」は、これまでのように真犯人を追及して推理を進めるというよりも、その推理に至るまでのデータを提示し、証言を分析することを目的とした。おことわりしておくがわたしはこれまでも、またこの本でもだれか特定の人物を真犯人とは断定していない。第一、わたしは真犯人がだれだか全然知らない。この本ではあくまでも、事件を取材し分析した結果を報告しているので、誤解のないようにしてほしい。この事件では、多くの人が容疑者とされて別件で逮捕されたり、任意で調べたられたりした結果、狭山事件関係者、容疑者とうわさされた人もいる。その中には「警察は恐いところだ」といって自殺してしまった人もいる。「犯人でもないのに、自殺するはずがない」「住んでいた場所が死体発見地点に近い」などと安易なデータから誤った推理をしている人もいる。死体の近くに家があるからとか、自殺したから怪しい、というような具体的なデータがないのにむやみやたらに、容疑者、事件関係者と想定してしまう短絡的で幼稚な推理をして平気な顔をしていたら、それこそ、第二の冤罪者を作ってしまう危険がある。わたしが、ここで取り上げた最大のテーマは、あくまで事実や真相を知っている事件関係者らに、もう一度当時のことを思い出してもらい、石川さんの無実を証明するために知っていることを正直に証言をする決意を求めるためだ。それ以外の目的がないことをおことわりしておく。人権を無視した冤罪事件の再審を開始し、無実を証明しなければ、たとえ市民参加の裁判員制度がスタートしたとしても、日本の司法は暗闇のままなのだ。1日も早く石川さんの再審開始決定、無罪判決を勝ち取る日が来ることを願う。(殿岡駿星)

狭山事件50年目の新刊

人間は誰でもいつか必ず死ぬ。そしてその時期が、早かろうとも遅かろうとも、必然的に何らか、そこに不条理が伴う事がある。個人的に色々な事があって、そんな思いを深めていた頃、此の「狭山事件50年目の心理分析」と言う本が届き、そしてそれを読み始めた。心身ともに耗弱していた事が原因で、読み終える迄にそれから約3ヶ月と言う筆者としては非常に長い時間がかかってしまった。此処に、ほんの個人的な感想文を記す事にする。

冤罪の怒り籠れる吾の歌何時の日人が読みて呉れなむ
冒頭に掲げられた石川一雄氏の此の歌が、此の本の最大且つ唯一の目的を余す処無く顕している。

著者が本書を著した目的は、序章に於て完全に述べられている通りである。即ち「事実や真相を知っている狭山事件関係者らに、もう一度当時のことを思い出してもらい、石川さんの無実を証明するために知っていることを正直に証言する決意を求めるためだ。それ以外の目的がないことをおことわりしておく」とある。これは実に明確な目的表明だ。他には強いて言えば、甲斐仁志氏の「深い知的な喜びが残れば十分である」と言う推理目的の表明ぐらいだろうか。

此処(殿岡氏の著作)に述べられている事と言葉は異なるが、要するにその目的は、当サイト(=筆者)の目的とほぼ全く同一であると言って良いと思う。当サイトの目的はトップ頁に書いてある通りの事である。狭山事件に就きそれ以外の目的は不要である事をお断りしておく。筆者に於て狭山事件に関わる人間関係構築も、その目的を基準とする。

著作そのものについてふれてみたい。
本書は、更に上記の目的の為に、これまで明かになった「データを提示し、証言を分析する」事を目的としたとも記されているように、何処の誰が何をどう述べたのかと言う事が確実なもの、即ち、主に公判証言の分析に重きを置いてある。丁度筆者自身も、もう一度、原審と控訴審(一審と二審)の公判記録に立ち返り、そこで既に得られている証言の精査・検証をやっている矢先であったから、これは全くの偶然だったが読んで見て同じ作業がされている事に気が付いた。

第三次再審請求の最近の動きに則すれば、特に控訴審での証言分析により、未開示の重要な証拠の存在を浮き彫りにする事が出来る。また、証言を分析する事によって、そこに隠された事実を探る事が出来る。法廷での質疑応答のその行間に、未開示証拠の存在と真実が見え隠れしているのである。

本書はそれらの膨大な供述調書、法廷証言と言う証拠、一次資料を精査・分析し、著者なりの見解を纏めたものである。多数の未開示証拠があり、法廷証言にも曖昧なものが多いと言う事態の性質上、ある程度の推論やある種の推理をしなければならぬ事があったのは、当サイトに於いても同様。その手法は真犯人の存在とその犯行様態を提示する事により、石川一雄氏の無実を明らかにする事が目的であって、では誰某が真犯人と言う事は不要だ。そのようなことは、我々一般人が証拠蒐集を出来ぬ以上、誰にも不可能だろう。それを出来たのが当時の検察・警察だったのであり、全面証拠開示が求められる所以である。

弁護団は控訴審段階から、検察側に対し手持の全証拠を開示する事を求めていた。それに対し検察側は、証拠の標目を特定するのなら兎も角、それが為されなければ開示には応じられんとの姿勢を取っていた。これは現在も同じである。現在の再審弁護団も、全面的な証拠開示を求めている。又その前段階として、証拠の標目が記載されたリストの開示を求めている。検察側は証拠の標目を特定しなければ応じられぬと言うが、そもそもどのような証拠があるのかは検察だけが知っており、弁護側に証拠の特定を求めるのは理不尽だ。よって、証拠開示法制化の署名活動が行なわれているわけである。

普通狭山事件に関する本を読むと、第一章あたりに事件の発生・発覚から佐野屋での犯人取り逃がし、石川一雄氏の逮捕から現在に至る流れをざっと記してあるものが多い。事件を全くご存知なき人にはその方が読み易いとも思える。逆に既にそれらのおおまかな流れを知っている人には、そうした記述は不必要と考えられる。そう考えれば本書は、どちらかと言えば事件のあらましを知っている人に読み易いであろう。しかし、此のサイトでやって来た現地調査で出会った(その少し前まで全く狭山事件を知らなかったと言う)(そして今や狭山事件再審のフェイスブックを立ち上げて誰よりも活動している)ある人の感想によると、特に解りにくいとか読みにくいとかもなく一気に読めてしまったと申されていた。むしろ筆者=此のサイト制作者の方が、読むのに時間がかかったほどだ。確かに筆致も解り易く書かれており、石川一雄氏の冤罪を訴え、その全体像を掴む事が出来るから、事件ほとんど知らぬ人にも少々頁数はあるがどうやらお薦め出来そうだ。

筆者は、本が出る事や内容そのものについては殿岡氏が配信されているコラム等で前もって知るだけで、その点は一般読者と全く同じだった。殿岡駿星氏御自身とは、そう頻繁に連絡を取ったりお会いしているわけでもないが、筆者が比較的本格的に狭山事件について調べ始めた最初期の頃からのお付合いで、その頃既に新聞社を定年退職され自身の出版社を営まれている事ぐらいは知っていたが、これも一般読者と同程度だった。ただ、1年ぐらい前だったかに、メールだかお会いした際だかは忘れたが、三冊目の本を出そうかどうか迷っていると聞いたので、いや是非出してみては如何でしょう、程度の事を申上げた記憶はある。

実際に本を読んで見ると、若き頃、事件記者として埼玉県警にも出入りしていた経緯も踏まえた記述や検討も随所にあり、元事件記者ならではの経験を駆使されており、今の筆者の如く心身耗弱状態にあったりせぬ普通に健康な人であれば、多分初心者でも一気呵成に読み切れると思う。ついでに言うとその筆致が、著者とたまにお会いする事もある筆者にとって、著者のお人柄を彷彿とさせるものがあった。だから、これは全くの個人的な事柄になってしまうけれども、此の日頃心身共に弱り切った日々の夜、本書をひもとくことは筆者の心秘かな安逸の時間だった。

尚この本は、真犯人探しの娯楽を読者に提供するものでは無い。つまり此のサイトと同じである。よって、狭山事件真犯人の推理と言う名の遊戯を求める人間には、完全に本書を推薦しません。だからその手の娯楽が満たされぬからと言って、苦情を言うのはお門違いである。敢てその事を解り易く喩えて書いてやればパチンコ遊びをしようと思って狭山再審現地事務所に行ってスマホだのスマホアプリと言った遊具を求めるのと全く同じで愚の骨頂だ。遊戯をしたいなら遊戯場に行けばよろしい。場違いな場所へ行って文句を言う事は自ら阿呆を宣言するのと同じである。狭山事件の知識が豊富であれば尚更、石川一雄氏が実は無罪である事を十二分に知っておりながら何もせず遊戯に耽溺している者であり、今更この種の本を読む迄も無くそれどころかこの世にいなくてよろしい。

そのように考えるとむしろ、狭山事件を全く或いは良く知らぬ人にお薦めしたい書籍と言える。考えてみればオウム真理教の事件でさえ知らぬ人が増えているのだから、狭山事件を知っている者よりもご存知なき人の方が今や圧倒的に多くて当然だ。それでありながら、狭山事件は冤罪であることによって、現在進行形の殺人事件なのである。

書かれてある内容そのものについては是非実際手に取って読んで頂きたいが、多少本書の内容に触れると、例えば事件当日、市内沢近くで自転車に乗った被害者と出会ったと言う奥富少年は、警察にその事を届出た処、警察はその供述内容を全く信用せず逆に3時間に渡り激しく取調べられた記述がある。現在では良く知られた届出時の状況である。ここから考えられる事は、奥富少年同様、第二ガードで被害者を見たと言う相澤健一氏が引率していた生徒達の中から、現在迄に一人として証言者が不存在であるが、これは奥富少年の受けた仕打ちがすぐさま知れ渡り(彼は五月五日に目撃した事実を届出ている)他の生徒達そしてその保護者も、事件には関わりたく無いとして口を閉ざしてしまったとも考えられよう。

また当然、これらの狭山事件の目撃情報は、石川一雄氏を単独犯行として起訴した後では、捜査当局にとって不要なものとなったから、彼らの供述は揉み消され隠蔽されたとも考えられる。

本書に於て、細かい点では筆者と若干見解が異なるかも知れぬと思われる点も有る事は付け加えておこう。一例としては、要旨「真犯人は自転車を被害者宅納屋に返却の後、再びそれを利用して死体埋没に向ったのでは」とある処、五月一日付の領置調書に狭山事件の脅迫状、身分証明書と共に自転車が含まれており、被害者宅家族の届出後には、その領置が確かな事実であるならば、真犯人が再び自転車を利用する事は不可能であった、と思われる。

もうひとつの意見としては、一審7回の公判証言を元に被害者の家族関係に関して狭山事件に姉妹の仲が悪かった背景があるとの解釈があるが、筆者はそうは考えておらぬ事がある。

逆に考え方が同じようだと感じた点は、この狭山事件の真犯人は秩序型犯罪者と言う見立てにある。それは、特に死体の埋め方と遺留品からそう考えられると思う。

しかしこれらの事柄をチマチマと上げつらう必要は筆者には全然無い。何故ならば、先に述べた如く、第一に著者と、筆者の当サイトを通じた狭山事件に対する活動目的が、全く同じだからである。従ってこの本が、その目的に寄与するものである限り、筆者にとって何ら問題は無い。第二に、筆者も殿岡氏もその目的の為に(こう申しては筆者自身はいささか口はばったいが)最大限の努力をして来たし今後とも更に努力するからである。その際、例えば自分が再審署名用紙に自分の住所氏名を記すなどは当然の事である。此処で言っているのはそんな生易しい事では無く、更にそれ以上の署名を、己以外の他人から集める事を指す。且つ活動は署名だけでは無い。その上、もっと上、と自らを駆り立てるものがあるか無いか、それを実行しているかどうか、と言う事である。それをせぬ者できぬ者は、口をつぐんでおく事だ。そしてそれらの活動に日々筆者以上に邁進している人々は、再審集会や活動者会議に赴けば、沢山居る。筆者は、そう言う人々の意見を求める為に、そこに赴くのである。

此処では書評とは言い条、「狭山事件50年目の心理分析」各章の細かい記述について紹介はしなかったが、当サイトの視聴者各位におかれては、まずは一読して見て欲しい。本の中で取上げられている個々の内容については、今後随時作成する当サイト本文の中で引用させて頂いたり(既に少し利用させて頂いた)参考にさせて頂く事になると思う。

2012/09/20

尚現在、この頁も含め本を紹介するためにアマゾンへリンクをしてある頁全部に於いて、読み込み速度が非常に悪化しております。此の遅延原因は調査の結果アマゾン側にあり、その旨要請を出して改善を待っている処です。筆者側では何らの対処出来なく全く困ったものです。 *知ラヌ間に治ったようです。


追伸:筆者の処へは少々遅く届いたのと、現在家族が入院中で気忙しいため鈍速力にて拝読中ですが、狭山事件について知っていたつもりでも二、三ハッとさせられる記述もありました。筆者としてはお薦めです。

勝ちどき狭山事件を考える会5月18日

勝どき書房:狭山事件を考える会

2、3日前から具合が悪く、この日も朝方から微熱気味でありましたが、予定通り殿岡駿星氏主催の「狭山事件の会」に伺いました。

特に議題が決ってはいなかったと思いますが、狭山事件50年目と言う事実と、第三次再審請求が本年中に何らかの結果を見るのではと予想される事などがあり、話は自然と再審活動の裾野をどう広げるかというその具体的な方法論に集約されました。

特に集まった全員が個人若しくは一般の立場と言う事もあり、個人としてどのような事が出来るのか、について、事前に筆者が予想していた以上に有意義な会合になったと思います。

真犯人推理と言う事柄と再審活動の関係についても、参加の方から貴重な示唆を頂きました。この事について、筆者は以下の異なる二つの視点から考えております。

狭山事件再審と真犯人論

真犯人推理と再審についての見解

第1=入口論としての推理
そもそも筆者自身が、まず2、3年ほどの間は真犯人推理を考え得るあらゆる可能性を考慮して行なった後で現在の活動に至った事を考えれば、そのような入口があっても良いと思ってこのサイト自体を続けて来た事は確かです。初期の推理頁を残してあるのはその為です。筆者が今後、それ自体を目的とする事はありませんが、門は広く開けておく方が良いでしょう。入口のひとつ、即ち手段と言う事です。

第2=真犯人像の検証
上記の如く筆者自身があらゆる可能性や他の人の説も含めて検討し、さんざん推理を行なった結果、到底真犯人は解らんと言う結論に至りました。こゝで解ると言う意味は、それ以外の可能性が一切無いと言い切れる証拠によって真犯人を具体的に確定する事です。不確定な根拠ならば今でもいくらでもキリの無いほど思い浮かべられますし、また今後とも湧いて出て来ると思いますが、疑わしきは被告人の利益に、と言う刑事裁判の鉄則は、我々が巷で推理をする場合にも適用する必要があるでしょう。つまり、少なくとも現時点では、そのような確定的な証拠は無いと言う事です。

ですが石川さんとは別の真犯人像を検証すると言う作業は可能であると思います。この作業は、確定判決とは別の且つそれよりも合理的な狭山事件の犯行様態を提示すると言う事です。この種の検証については、これまでもこのサイトで行なってきた経緯もあります。

但し示せるのはあくまで真犯人「像」であって、いやしくも特定の人物や集団が犯罪を行ったとする場合には、合理的疑義を超越した証明が求められます。

狭山事件フェイスブック立ち上げ

殿岡さんには、もう数年も前から、現地調査や集会その他の催しものなどを一括して多くの人に知らせる事が出来るポータルサイト的な場所をネット上に作ったら如何と言う提案を頂いておりましたが、どうも具体的なサイト像や発想無きままに過ごしておりました。その後、狭山再審のためのフェースブック=狭山事件の再審を実現しようを立ち上げられました。これは、石川さんの高裁前での訴えを聞いて狭山事件を知り、検索によって私がやった狭山事件の現地調査に来られたノジマさんが開設されたものです。今これがまさに以前頂いたご提案の答えになっていると思うものです。再審運動の拡大に即効的な施策は無いと思いますが、参加者全員の力と多様な発想が集まる事が期待されます。

勝どき狭山事件の会 記念写真

当日は個人的にはチョット、やはり体調がすぐれませんでしたので、気の利いた意見を述べられたかどうか、自信がありませんが、個々の活動者にとって、このような会合がありますと自分一人では湧かぬ発想を頂いたり、或いは、不安に思っている事を相談したり、そうした事についてのいろいろのアドバイスを受けたりも出来ますので是非またこの会を継続して開催されますと幸いであります。


狭山事件石川真犯人説

狭山事件石川真犯人説の検証。石川氏は、狭山事件は兄がやったと思いこまされた事により自白に追い込まれていますが、兄には完全なアリバイがあった事は、当の石川一雄氏以外には周知の事実でした。地下足袋の足跡についても警察の鑑定が正しかったかどうか、現在では全く否定されています。そうした点を踏まえ、石川一雄を含む3人共犯説の様々の情報源を全て洗い出し、単なる推理に過ぎぬことを論証しました。

狭山事件について、私が検証対象とし或いは対照資料として認定するものは、公判手続に於いて提出され証拠採用されたものと公判中に検察側から証拠開示されたもの及び確定判決後の上告審や再審請求審で開示または提出された証拠類だけです。つまり他の信頼性の担保無き伝聞、風聞のたぐいは一切使用価値を認めません。

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2013/05/19
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