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狭山事件と手紙

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狭山事件遺体と手紙

狭山事件冤罪の追及はついに50年目を迎え、5月23日には石川一雄氏が逮捕されてから丁度半世紀が経つことになる。此処に於いて、本件の謎を追った検証頁と、再審を求める市民集会の模様を掲載しよう。

狭山事件石川一雄氏の手紙

本件の記録をひも解いて行くと、石川一雄氏が書いたいくつかの手紙に、狭山事件の真相と謎の解明に当たっての鍵となっている事実が見えてくる。

狭山事件と手紙の関係

狭山事件と手紙の関係でまず最初に見るべきは関源三宛の手紙だ。これは二審法廷に於いて、検察官が「被告人の証人関源三に対する感情について」を立証趣旨として証拠提出したものだ。石川一雄氏は関巡査部長に対して自白撤回後も変らぬ信頼を寄せていた。検察官からすればこの信頼関係に基づく手紙が、真犯人である証拠だと云うのだが、逆にこの信頼関係が自白に繋がっていたとの趣旨で、弁護側もこの証拠調べには反対しなかった。自白を撤回した後で手紙をやり取りしていても、それは鞏固な人間関係を表すものであって、犯人であることを示すものでは無かったからである。

狭山事件被害者方への手紙

次に、被害者方へ謝罪の手紙を書いた問題があげられる。

石川さんが拘置所に居た時に作った「善枝さん殺しはさらりととけぬ」と言う歌と、被害者の父へ送った手紙や川越警察署分室の留置場に書いた詫び文について検証しました。これらは全て取調べの中で誘導的に書かされたのであるとの結論です。勿論、この点について法廷で尋問された取調官たちは全員否定しています。自分の立場が危うくなるのだから当然でしょう。つまり石川一雄氏がそう言っただけでは確かにその証明にはなりませんが、取調官の法廷での否定も、その事実が無かった事の証明にはなりません。

狭山事件と手紙の手本

狭山事件に於て、死体についていた荒縄は、9本もの短い縄を結び合わせて4本になっており、複雑な構成物でした。この荒縄は、死体発見現場近くのN方にあった縄張りから盗んで使ったことになっていますが、死体に付いていた荒縄を作るには、ここから盗んだ縄をまず9本になるように切り、それからまたその9本が合計4本になるように結んだと、不可解な形態になっているのです。発見された荒縄は手でちぎれるようなものではなく、荒縄を切るには刃物が必要でした。そうやって切断した後に、死体にあったような4本=一見2本に見えるような荒縄に改造されたことになるのです。しかしこの作業は自白では全然語られません。仮にN方から荒縄を盗んだとしてこの作業をやるには大変な労力になり、起訴状や確定判決で認定された犯行様態ではそんな猶予はありません。荒縄に連結されていた細引き紐の出どころについても解明されないまま、判決が確定しています。狭山事件を仔細に見て行くと、実にこのような疑問が多々あるわけです。

荒縄の謎とともに、関源三へや被害者方への手紙を書く時には拘置所の看守に手本を書いてもらっていたことも含めて、狭山事件手紙の手本に於いて、公判調書と供述調書に基づき、検証しました。

狭山事件再審集会 2013年5月23日


50年目の市民集会

午前10時の集合で要請及びビラ撒き、昼飯をはさんで13時から日比谷野音での集会へと予定通り参加致しました。先週からの風邪が全然治らず少し困ってたところ、しかしそのことはおくびにも出さなかったつもりでありましたが、高裁前でふと「なんか元気ないんと違う?」と早智子さんからお声をかけて頂き誠に恐悦至極に存じ奉ります。早智子さんには解ってしまうもんだなあと、つくづく有難い事でした。此の処少々食も細っておりましたから、顔に出ておったやも知れませぬ。

三者協議のなり行きは、6月に腕時計の革バンドに関する検察官の反論が来、7月末に第14回三者協議との事でした。

画像-狭山事件集会

集会の後デモでしたが、筆者は豊中の方々の要請行動に参加させて頂くべく、十日位前に申出ておりましたのでそちらへ合流しておりました。喉の症状の為、多くは語れませんでしたが、裁判所、検察庁とも、一応の言いたい事は言えたと思います。その後、日比谷公園内で活動後の意見交換を短時間でありましたがさせて頂きました。

狭山再審5月23日デモ フェイスブックから転載

ここに写っている杉山さんや菅家さんも交え、中央本部の安田さんや弁護団事務局のFさんたち10人ぐらいで新橋6時集合とのお沙汰がありましたので、その後は同時刻に新橋へ向い、然るべく飲食を共にさせて頂きました。朝から夜に至る迄、どっぷりと狭山事件再審に浸かった感じでありました。

狭山事件の活動は次へ

しかしお祭り気分で自家中毒的に盛り上がるつもりはもちろん更々無く、狭山事件の活動は次のステージへ向うべく既に冷徹に考察中です。既に何名様かお問い合せも頂いている事もあり、差し当たっては現地調査をいつ組んで行くかに関し熟考のうえ善処する所存。

そう申せばフェースブックの頁で、フェースブックはご存知の通り流れていってしまうので、今あるイベント欄とは別に現地調査に特化した頁をこしらえて頂くと便利です。行事別にそう言う場所がありますと、当サイトにも転載したり等、有効性がいくぶん、また高まると思われる。


一雄さん早智子さんのアピール
狭山事件の再審を求める市民集会

愛媛の弓山さんから動画を報せて頂いたのと、他の狭山事件関係からの報告が出たので貼っておこう。そこでも話されてるようにともかく今年中くらいに裁判所の求意見が予想されるが、その後に再審の決定となるか否かは全く予断を許さない。これまでにも無罪や審理開始が期待された二審判決、上告、2度の再審請求に於てことごとく無期懲役や棄却で負けて来た40年ほどの歴史を思えば、支援者が単なる過程の中で舞い上がっておれない所以。

前例無き狭山事件活動

筆者は大体3年位前からどうも体調が悪く、いろいろ調べるとその原因もある程度解ったが、ともかくそう言う事で仕事も時々休業状態になるお陰で、以後は前例のないほど時間が使えるようになった。これが不幸中の幸いとでも申すものでありましょうや、だから平日昼間の狭山事件に関する集会とかいろいろの行事にも参加出来ているのにはそう言った事情もある。

前例と申せば、前例にとらわれていれば個人の人生も世の中一般も、沈滞し停滞すると言う事は一般論として良く知られている。その沈滞とか停滞から抜け出すにも、前例にとらわれない対策や政策が必要な事も、もう近年あちこちで書かれたり言われたりしている通り。

5月23日の集会後の要請行動に同行させて頂いた大阪・豊中市のストーンリバー様のブログに東京高検「前例がないから…」と言う記事があるので読んで頂くと解ると思うが、要請文を受け取りましたという受取書を出す事を「前例がないから」と言う理由でしないのだと言う。求められていたのは単なる「受取書」であって、要請に対する「回答書」でもない。受け取ったと言う書面すら出せないらしい。

そう言えば昔、政治活動をやっていた頃、要請行動ならぬ抗議街宣と称して、与党各党に「抗議文」を持参して集団で回った事があった。それの回答をその場か、それが無理なら後で書面でもいいから出せと言う事で、当時何らかの回答を頂けたのは社会党=今の社民、と公明党さんだけでしたね(当時細川連立政権だった。だから行かなければならぬ政党が沢山あった)それはそうと、

熱湯のような当日から少し経って、頭の冷えたところで、筆者自身も、どういう前例のないことをやれるかが問われている、と言う感想を持った。例えば筆者は部落解放同盟の同盟員ではない。だけど、ネット上などで参加を呼びかけている解放同盟各県連や支部主催の現地調査などに、こちらでも人を集めて行ったのは、今から考えると前例がなかったのだと思う。もちろんそこに至るまでには、自分個人で数年とか地道に現地へ行って、信頼関係なり人間関係を築いて行った過程があるのであって、急に出来た事ではない。

つまり、一人でも多くの人に狭山事件の真実を知って頂きたいという事が活動のひとつの目的であるけれども、それをやる中で既に狭山再審支援活動に取り組んでいる人や組織の人に認知され、繋がりを得て来たと言うことがあった。言いっぱなし、やりっぱなしでは駄目なのです、と言う豊中の方の言葉が思い出される。

前例のないことに取り組もう。
もっとも、筆者はその、性格的にか現在の運動の趣旨的にか、自分自身が前に出て目立ちたい気分は少しも無く、出来ればこういうインターネットの個人サイト上で、ごく地味に、ごくごくひっそりと、陰に隠れて励みたいものだ。……ト、申すのは、余り説得力ないですかネ(縮笑)

しかし実際、少なくとも心中そうして来たのは確かです。その理由は活動の趣旨の方にあるでしょう。政治活動や仕事であれば、いずれにせよ自分の為にやっている事柄ですから、まあ場面にもよりますが必要とあらば派手な立回りもしようと申すものです。

ところでストーンリバー様に、5・23集会で講談師の神田さんがやった一席が配信されてたので、おくればせながらこゝに於て紹介申し上げます。

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2013/05/25
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