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狭山事件現地調査2014年

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狭山事件現地調査、2014年の報告です。

狭山事件弁護団公開検証

狭山事件冤罪を証明する為、事件の発生から51年目の5月1日に当り、弁護団が狭山での現地調査と再審状況報告、現場検証を公開で行う事になった。内容と集合時間その他はトップ頁に記した通り。

弁護団サイドからの情報発信が希薄過ぎるのではとの指摘が再審支援の有志からつとになされて来たが、弁護団事務局も東京にあるから、狭山現地とも近いので、特に現場で実施可能で且つ一般も見分出来るこのような企画は大変有意義であるので、今後とも大いに拡大して欲しい。

最近の新証拠として、万年筆の書写実験と車走行と車の視認性の実験が伝えられていた。いずれも、秘密の暴露にかゝる実証として証拠提出された。

少し個人的に、石川一雄さんご本人と弁護士の先生かともかく専門で関わっている方に、ひとつふたつ質問をしたい事柄もあったので丁度良い機会だと思うから何とか是非参加したい。参加出来たらその有様は此の項で追記報告したい。

狭山事件現地調査3月16日

……は欠席。

この間、僕自身は急迫の事態が積み重なっていろんな所に参加出来ないでいる。後で気がついてみると、関西の同志で高裁高検への要請活動を募集していた方もあらしゃった様子、しかし終ってから気付いたので後の祭り。3月の現地調査も欠席してしまった。正直申してこの前の年末年始を病院で過ごしてしまい、それから絶不調が継続中である=が見分そのものは8人の参加者を得て実施された。自分が休んだら中止するような活動はしていない。ついでに言うと雨や槍が降ったら延期するような日和見もしない。

行けなかった3月16日の様子は、早智子さんと参加者のTさんが、報告を上げて下さっている。

狭山の活動は遠足や行楽では無い。根性と覚悟と、目的の問題である。どうやら今度の5月1日も雨のようだ。ところが、多少雨が降った方が、何しろやる事が駐車車両の視認実証なわけだから、狭山事件当日の天候と条件が同じになって良いのだ。どうか雨が降りますように(小笑)

狭山事件万年筆発見の鴨居模型

鴨居の模型設計図

と、ついでにと申しちゃ何ですが狭山パンフを読む会のY様から、お送り頂いた画像を貼っておきます。結構前に、受信してたのですがね。

石川さんの無実を一番分かりやすく説明できると思う鴨居の万年筆」。鴨居の模型の設計図です。倒れにくいように後ろに三角のつっかえ棒を置くとかの改良型も提案されています。とにかく、この鴨居を見れば、家宅捜索で万年筆を見落としていたなどということはありえないことは一目瞭然です。開示された証拠の中には、脚立まで写っている写真がありました。裁判官がひとりでも、現場検証をしていれば、有罪判決は出せなかったと思います。sayamaの上映運動とともに、鴨居の模型の日曜大工委員会を作って各地で作りましょう。警察のねつ造はあきらかです。

狭山事件の石川一雄さん宅の鴨居の模型を作りました。自白では、石川さんは女子高校生を殺害した後、万年筆を奪い、自宅に隠したことになっています。しかし、石川さん宅は2回の徹底的な家宅捜査を受けましたが、そのときは「狭山事件の万年筆」を見つけることができませんでした。3回目の家宅捜査でこの鴨居から、あっさり「発見」されます。判決では、自白通り発見されたから、これは石川さんが犯人であることの証拠だというのです。家宅捜査において、警察は鴨居も当然調べています。この発見された万年筆には被害者の指紋も石川さんの指紋もついていません。被害者が当日のペン習字の授業で書いた文字のインクの色と「発見」された万年筆の中にあるインクの色とは違っていました。この万年筆は被害者のものではありません。つまり、石川さんが鴨居に被害者の万年筆を隠したという自白は成立しないのです。万年筆は石川さんの有罪の証拠ではなく、無実の証拠なのです。この模型は、とてもシンプルな組み立て式です。不器用な僕でも作れました。みなさんも石川さんの無実を証明する道具として、鴨居の模型を作ってみてはどうでしょうか。

と、書いてありました。高裁前の狭山再審アピールでも活用されているようです。

2014/04/29

狭山事件現場検証

期待した降雨はなかったが。記者発表と現場検証

1年ぶりに狭山での野外活動に出向く事は出来た……。

写真-5/1狭山事件現地調査
最初に現地見分

記者発表
次に再審状況と証拠関係についての記者発表

現場検証
それから上赤坂に於ける現場検証。ついでに言っておくがこの辺を推理目的の者が遠足気分でうろつくのはやめるがいい。

狭山市上赤坂
日没後の7時半までそこに居り、最後に再び戻って記者説明会。まあ大体そういう順序で進行。

写真-狭山事件弁護団と
ついでに記せばそのあと弁護団と残ったメンバーと菅家さんとで余録の宴。

それで、今回良かった点は、マスコミ各社も含む一般の参加も許可した公開検証が実施された事。去年の5月1日からの流れで同じ担当記者を取材に出している報道機関もあると思われたから、個々のジャーナリストの狭山事件理解もこう言う機会が何度もあれば深まろう。個人的に見分した限りでは朝日新聞の女性記者は現地見分から参加して弁護団への質問の回数も含め熱心に感じられた。

今に始まったことじゃなく兎に角、狭山事件を知らない人に知らせてなお且つ知ってるか知らないかは別としてもその人たちも参加できる場を設ける事が必要。誰も其れをやらないなら自分がやる。其れをしない人たちもしたくない事はムリにやらなくてもいいが意見は聞かない。トいうのが僕の立場だったが、こういう現地検証は出来たらまた実施して欲しい。知る限り、過去の活動でも公開検証的なものはやっていたと思う。

良くなかった事のほうはもちろん雨が降らなかった事である。実験と言うものは、条件が同じでなければ本来的な実証力が無くなるか少なくともそれ也に減少する。

トいうようなことは前半に書いたし天候は人力で変更出来るものじゃないのでこれ以外に記すと、なにしろ折角公開検証をしても、そのニュースを事前に伝える媒体が知る限りでは狭山事件再審のフェイスブックと、それを殆ど直前になってから見て書いた此のサイトの表紙頁しか無かった事。これだと、いくらいろんな計画をしても誰もそれを知らないと言う結果になる。僕自身、何も知らなければ告知もしないし、当日の朝は脚に激痛があったから狭山どころか家から一歩も出なかった筈である。

以上をもう一度まとめると、誰でも行けるような機会と場を作る事と、その機会を設けたらそれを広く知らしめなければならない。

狭山事件の秘密の暴露は殆ど崩壊

  1. 鞄を自白に基づいて発見
  2. 万年筆を上同様
  3. 腕時計を上同様
  4. 脅迫状を届ける時に車に追い越された
  5. 同じく被害者方東方に車が駐車していた

今回の公開実証は5の狭山事件の冤罪自白に関係する。その他についても、鞄を捨てた場所の自白と実際の鞄発見状況は客観的に異なる、万年筆は発見の日まで鴨居に無かったし発見品は被害者の物では無い、腕時計も同様、追い越し車両はそれを運転していた人は誰かを追い越した事を覚えていないし、今は走行実験の証拠も出されている。車駐車は時間帯が脅迫状配達時よりもっと早かった。と、言う事で、秘密の暴露と呼ばれる5件は証拠能力を消失しつつある。そのほか筆跡も異なれば殺害方法も違えば脅迫状の作成過程も異なる。

有罪を判示した判決文や再審棄却をした過去の棄却決定は裁判官の推理だらけで話にならない。こうした事実を、証拠によって実証し、それをイデオロギーを超えて拡大しよう。但し、本気で政治的思想信条を超えたところでそれが実行されているかどうかは、またそのうちに。

2014/05/05

狭山事件現地調査6月7日

狭山事件事件現地調査記念写真撮影:桜泉氏

狭山事件を考える徳島の会の現地調査=2014年6月7日、今年3度目の現地調査に予定通り向いました。もっとも、3月の1回目には自分自身は欠席しちゃいましたけどネ。短期間で3回もやったので多少の増減はあるでしょうが、取り敢えず今回は4人で参加し、全部で15人位ですね。で行く時に車で送迎してもらったんですが、私近所の思わヌ渋滞にハマってしまって遅れてしまい、これは懸案事項として善処致します。

前回に引き続き、足利事件の菅家さんもいらしてました。それから、この日はこれも前回に続き朝日新聞と、新たに文化放送の記者の方も取材に来てあらしゃいました。普段の現地調査にもこのように、継続して報道各社の参加を求めたい所存です。継続してくれば、狭山事件の理解も高まるってもんです。特に若手記者の参加は狭山事件を知らない世代への良い刺激、ト申すか拡大にも繋がるでありましょう。報道各社の姿勢をこうした取材状況や最近の記事により概括的に観察すると、今や全社、狭山事件の再審を求める姿勢は確固たるものになったのが確実で酢。

画像-芋穴址にて

昨日からの雨が続き、まあ大体、51年前の事件当日の感じと似ていたでしょう。狭山事件当日の気象記録を見ると、気温は出てませんが、ほゞ昨日みたいな気候だったんではと思われます。つまり多少寒いぐらい。

先日5月23日の、石川一雄さんのメッセージには、現在の再審状況に鑑み「支援者各位を裏切ってしまったように思われ、大変申し訳ない気持ちで一杯です」とありますが、いや、それは石川さんが申し訳無いと思われることは、ありません。そうした事実があるとすれば、それはもっぱら、支援の拡大と盛り上がりを今(昔)以上に勝ち取れておらん我々支援活動者側の責務であります。

そう考えるにつけ、早智子さんと、それから徳島の皆様が、最大の支援者である事実を、確実に感じた次第であります。誰にも、とりわけ私のような者をも分け隔てなく接し迎え入れて下さる姿勢は、より一層の運動を拡張し勝利を確定する目的の為に、いくら取り入れても足らぬ程でござります。

徳島の皆様は狭山へ来た折りには毎回、一雄さんのご両親のお墓参りをされているので、私どもも同行させて頂きました。いやこれの前回にお会いした時にも、自分らも行こうと思っておりながら、集会所の前で立ち話をしている間に行きそびれてしまったもんで(あの辺は自分で行くと今でも道迷っちゃうんですよね)墓前にお参り出来てよろしう御座居ました。

此れ等の活動後、現地調査でお世話になっている中央本部のYさんと菅家さんや弁護団事務局のFさんたち6人ぐらいで例により、ビールと軽食をしておりました。其の場で刑訴法を体系的に勉学する事をお約束致しましたので、ソレなりに時間は要ると思われますがしかし早急にやりたいと存じます。夕刻には新狭山での勾留会もとい交流会にも親切なお誘いを頂いてたのですが、今回は後々の事柄を考慮して行けませんでしたが、次回はそちらへも必ずや参加のつもりで行きますので、当サイト関係各位も其のつもりでおって下さい。私はお会いしても基本無口なたちだもんで、あまりお話するって感じでもありませんのですが、私にとっては、徳島の皆様が貴重な同志でありますから。

狭山事件現場行き決定

狭山事件を体験的に知ってもらうために最も重要視している活動が現地見分です。かれこれ十年近く続けて参りましたが、畢竟、見ず知らずの人にも開放しておおやけな形で募集しているのはどうやらこの世に於いて、少なくとも自分自身が知る限りに於いては、私だけであることが大体解ったのが近ごろです。つまり他は本気で狭山事件を外に知ってもらったり運動を広げようとの意志の無きことが判明した次第です。やる気なき人と意見を交換するのはお互いに無駄だと思ったんでこないだの会議も行きませんでした。まあよそ様はよそ様でそれで結構であって自分は自分の出来ることをそのまま継続して行くだけでござんすね。何せ狭山事件についての身内的な話題や情報は別に急がんでもそのうちどこぞから入って来るでしょうが、いまだ知らぬ沢山の人に向ったアプローチの方は兎も角先決事項です。狭山事件再審運動の拡大と言う活動方針が示された上は、それの実地活動をやるだけです。尤も、現地調査については何しろ自身が利用可能な媒体がインターネットだけで就中此のサイトだけな点に限界がありますが、やれるだけの事はやって見る所存であります。

で、秋ごろにまた現地調査をやろうかいつやろうかと思っておったところ、折よく立教大学大学院の先生から今年も狭山行きのお申し込みがありましたから11月に実施となりました。3年前から毎年秋冬ごろ継続的に狭山へ来て下さっております。こちらは授業の一環として来られるので、一般募集はなしですが、毎回12、3人から20人近くの若い人たち、ト申すか社会人の方もおられるので年齢層も幅がありますがともかく毎度ほゞ違うメンバーで来て下さります。よって個人的にこの秋からそれ以降の狭山事件現地調査は11月で決まりです。

次いで気の早い話になりますがあとは来年の3月、その次が5月か6月ごろで、その間に機会があれば追加で実施致しますが取り敢えずこの程度です。

狭山事件現地11月22日

此のサイトを利用した現地調査を始めてからぼちぼち8年位経ちますが、此の事件と石川さんに関する何らかの行事がどこかでやってないかを求める人々に、多少ともお役に立てたかと存じます。そのようにして現地へ来て頂いている中に、立教大学大学院のI先生と生徒さん方があらしゃいます。2011年の狭山事件現地調査以来毎年一回、秋ごろに必ずお申し込みがあるようになりました。

2014-11-22/狭山事件現地調査

今年の参加者は自分含めて14名。直前ぐらいになってバタバタと声をかけたサイト経由の方2人を含む。うち初めて現地へ来た方々は11人。出来得る限り本件をまだ余り良くご存知でない人々に、最も直接的に知って頂く方法として、私が現地調査を最も有効な方法として重要視していることはいつも言っておりますが、I先生の団体現地見分は、その一番望んでいた参加者でもあります。

しかし私は近年、体調にさしつかえがござりますので集会等も含め、余り狭山事件の活動に出向けておりません。去年はI先生の現地見分にもナンと欠席して仕舞いました。なので、此の日はナンとかマジメに出席出来て、まことによろしゅうござりました。

2014-11-22/記念撮影

参加された方から、この日の石川さんの話に関連していくらか質問を承っておりましたから、此処にもあらためて石川さんの答えの要約と補足を書く事と致します。

石川一雄氏の字の練習

石川さんが拘置所に居た時、死刑判決がまだ維持されており、石川一雄被告にとっては、裁判が生きるか死ぬかの闘いであった頃、文字を教えてくれた看守が居た事は、以前の現地調査の時にも聞いた事がある。今回は更に詳しく伺う事が出来た。現地事務所の引き出しにあった獄中で見た映画の感想文などの文面も初めて見た。本当はもっとあったのだが、仮出所後に自宅が火災で燃えてしまった時に、それらも含め貴重な資料が全部焼失してしまった。

被告時代に、文字を教わったのは東京拘置所の看守からで、二審の裁判が始まって本格的に無罪を訴え始めた時だった。石川被告の事情を聞いた看守の一人が「このままでは君は死刑になる。無罪となって死刑から助かるために君に出来ることは、字を書く事を覚えて手紙を書いて無実を訴える事だ」と言われ、字をこの人から教わる事になった。この「授業」が本格的に始まったのが昭和42年ごろと言う事だ。

拘置所の収容者には固いちり紙が支給されていたので、最初はその紙に漢字を書いて練習をしていたが、それだけだと足りないので、看守の人が字の練習用の紙を、最終的には千枚とか差入れしてくれたのだ。死刑が執行されるのは午前中である。だから死刑囚には、午前中は房の中で比較的自由な時間があった。それで看守が石川被告に文字を教えるのは午前中だった。そのようにして、毎日必ずマンツーマンで勉強し、ちゃんと復習して練習しておかないと怒られるから、字の練習をさぼるわけにはいかなかった。結果として、未決勾留中の勉強時間を全部足すと、多分大学生とかより勉強していたと思う。

この人=看守は、私=石川一雄氏、が出所した後に、娘さんの結婚式にも招待してくれた。仮釈放になっているとは言え、いまだ懲役囚の身分でなお且つ部落出身の自分に対し、獄中では文字を教授してくれた上に、出所後もそうした事は何も差別せずに接してくれたその人には言葉では言い表せぬ感謝をしている

と、言う話を、以前聞いた事があった。


拘置所で字を教わった事について、手紙の見本について証言した狭山事件の裁判に出廷した看守の方と混同される方もおられると思うが、二審の公判で証言したのは浦和の拘置所の看守であって、且つ、この時はまだ字を教えてもらうのではなく、もっと単純に文字の手本を書いてもらって、それをそのまま真似して書き写していただけだった。

ついでに記せば、事件以前の勤務先で早退届を書いており、それは筆跡鑑定の対照資料にされているが、工場勤務時代は漢字など全く書けなく、早退届も手本を見て書いただけのものなので、筆跡を見る際の資料としては落第だ。つまり、狭山事件脅迫状の筆跡の対照資料として資格があるのは、逮捕の二日前と逮捕当日の狭山警察署で書いた上申書だけだ。要するに具体的な手本がなく石川一雄氏の元の筆跡が現れているのは、此の二枚の上申書だけである。

関源三氏への感情

石川一雄氏を知る者にとって、同じ町内の交通巡査であった関源三氏に対して狭山事件の最初の自白をした事は最も良く知られている。関源三氏とは町内の野球試合を通じて知り合い、逮捕されてからは、取調室に関巡査部長が入って来た時には「地獄に仏」の思いだったと語っている。

二審に入ってからも「今でも関さんだけはね、来たらおそらく俺のことを言ってくれると思います、ちゃんと」と、被告人質問で述べている=二審第3回公判。またこの間の事情については、次のようにも述べている。

たとえその目的が私をうまくだますための警察の手段であったとは申せ、私にとっては(関さんは)地獄で仏の顔を見たようになつかしいものとして映ったのでした。責めるだけ責められ、だれ一人としてやさしい言葉一つかけてくれるわけでないなかで、たった一人の関さんが私の身を案じ、家族のことを伝えてくれたりして私を励ましてくれるのでした。しかもその人が私と一緒に野球をしていた人ですから、どうして疑ったりできましょうか。私にはそれほど考える余裕も知恵も当時はありませんでした。

その関源三氏が、狭山事件公判中の手紙について取調べを受けた二審第54回公判の後、関さんにも嘘をつかれていたと解った時に

関巡査(しんゆう)と決めた心はくだかれて 思うは涕の寒夜は長し

と石川一雄被告は歌を詠んでいるけれども、此の現地調査を始めてからも、何度か、関源三氏に対する石川さんの思いを聞いた事があった。それは信頼とか言うよりも、或いは理屈の問題ではなく、石川さんにとっては数少ない楽しい思い出だったであろう町内の野球と、逮捕されたのちの取調べと裁判が始まった後も通じて、世話になった関源三氏に対する感情の問題なのだと思う。

関巡査部長の狭山事件報告書

関源三氏と言えば、最近開示された証拠の中に、「被疑者石川一雄が取調の合間に本職にたいして語った言動について」と題する捜査報告書がある。これは、単独犯行自白があったとされる6月23日に「皆とは用がないから向うへ行ってくれと言って(中略)私と石川君だけになったことがあります」と言う時に、「善枝ちゃんいかって(=埋められて)いたというのはどういうふうになっていたんだべ」と言って、要するに死体がどうなっていたのか解らないから教えてくれ、と聞いたのだった。

この捜査報告書の内容は、同じく開示された録音テープと、二審での関源三証言とも一致している:二審第5回公判。この二審公判の時、関源三氏は、石川一雄氏と二人だけになったことが6月23日頃にもあり、この時死体がどうなっていたかを聞かれたと証言している。証拠開示により、この証言の正確性が裏付けられると同時に、真犯人であれば不必要な死体の埋められ方を取調官に質問したことになる。

尚。自白についての意見書を作成しそれを一般にも解るよう平易に記述した書籍「狭山事件虚偽自白」の著書もある浜田寿美男氏が、自白関係のこれらの開示証拠を元に、年内にも新しい本を上梓されるとのこと。


此の現地調査の日は石川さんは風邪を引いてしまったとのことで、記念写真の時以外はずっとマスクをしておられました。しかし私など石川さんなどよりどうもめっきり体がヨワくなってしまい、万がいつにも務所暮らしなどになった暁には、きっと一週間で死んでしまうであらう(笑)そして石川さんが獄中で書いた膨大な文章を見るにつけ、パソコンばかり使って手で文字を書かないでおるト、すっかり漢字を忘れてしまって読めても書けぬ有様でもあらうと思えば、かえすがえすも情けありませぬ。

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2014/11/26
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