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狭山事件サイトのつくり方 2015年版

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狭山事件は第三次再審請求の申立から9年、事件自体の発生からはもう本年で52年経つことになります。今後とも、自分の出来ること=たぶん自分しかやっておらんこと=を続けて参る所存です。けっこう前から、体が不自由なもんで以前のようにはあちこち行けなくなっておりますが、しかしたぶん自分にしか出来ぬであらう事柄はやって来た次第ですから、同じ様に今年前半に於いては、3月、及び5月か6月ごろに狭山事件の現地調査を実施する所存です。

2015-年賀状の画像

狭山事件のサイト制作法2015年版

今の時代、狭山事件についての此のサイト自体も含めて、皆がインターネットを見るようになった結果、それで世の中の全てとか、あるいはそこまで行かなくとも此の世に於ける個別の事象が解ったように錯覚している例を良く見かけるようになりました。簡単に言うときちんと原書や原資料を読まずに解ったような事を言われる場合が増えました。(そして其れを聞いても、次第にか瞬時にかは別として、心ひそかに相手を軽く見るだけで、別にわたくしは何の反論やら注意もしてあげません。なぜならそれはその人自身が解決すべき問題だからです)

ですがものごとが解るとか、解らぬことを調べるとか言うのは、本当はそんな甘いもんじゃありません。早い話が、ある事柄を調べるのにインターネットで検索をして出て来た1頁か2頁を読んでそれで解ったふうなことが言える位なら、大学だの学校も不要で、それどころかノーベル賞など簡単に取れるでしょうよ。ある物事に精通ししかもそれが正確な知識として身につき、知識に基づいて自身の深遠な見解を述べられるようになるまでには、最低数冊以上のそれについて書かれた専門書及び原典・原資料を読みこなす必要があるし、原典を理解するための基礎用語や基礎事実を知る必要もあります。後者については最近は検索でも調べられると思いますがね。こうしたことを実行しないでお手軽なネットだけで全部を済ましているかどうかは、ある話題について少し突っ込んで話をしてみるとスグ解ります。

検索して仕入れる知識は殆ど、狭く浅い雑学程度だと思ったほうがよろしい。

文字で書かれた情報によって物事を体系的に理解する為には、別々の観点から書かれた書物を読まねばなりません。ネットでそれをやる事も不可能ではありませんが、そのためには学術論文や原典に当たる事は必須です。そうしたものがネット上にあればの話ですが。早い話が、狭山事件の筆跡や法医学関係について何ごとかを記すには少なくともそれらの鑑定書の解説書ぐらいは読む必要がありますが、ネット上にそれはありません。いわんや鑑定書自体をや。

本題には関係ありませんが実はわたくしが、政治的の右とか左とかの話を野方図にやったりするのを忌避している理由は、まあまさに此所の目的に無関係だからなのもありますが、記紀はもちろんのこと神皇正統記すら一度も読まぬくせに「國體」を云々したり、マルクスやレーニンの原典を、別に邦訳でも良いが一冊も読んだことないのに革命だの史的弁証法を騙ったり、或いはそのどちらかを表層的に批判していたりするのに体験的にウンザリしたせいです。

是等の書物は両者ともに、盛んに称揚された時代もあれば、逆に禁書の憂き目にあった時もあり、歴史の運命に翻弄されたものですが、まさにそれゆえに、如何なる思想信条を有するにせよ、こうした歴史の淘汰に耐えて残ったあらゆる原典を自分の力で読みこなすことは真の知識と理解の源泉です。後世、時代を超えた古典として語り継がれる書物とは、インターネットにある情報の殆ど全部に当てはまるような刹那的なその時限りの、長く見積もってもせいぜい百年程度の価値しか持たぬ、しかし殆どは論証皆無の記述など及びもつかぬ人類普遍の価値を認められたものを言うのです。

無論こう申すからには、わたくし自身がそれらの原典を少なくとも一度はちゃんと、過去に自分なりには読み解き向き合っておるのは申す迄もありません。

で、話を本題の結論へ持って行けば、ある事象についての知識を得、理解を深める為に文字情報以外に実地体験又は実験的な行動が必要になる場合があります。狭山事件についての現地調査も、それが為にさせて頂いて来たことを、此処にあらためて申し添えておきましょう。


尚、此所から下の文面は、以前に書いた文章をいくつか合体して多少加筆しただけのものです。よって、何処かで読んだなと思う方には、重複となりますからわざわざ目を通して頂くまでもござりません。

狭山事件の実用的サイト制作法

狭山事件自体を名前程度しか知らぬ人はともかく、ある程度知ってはいても再審の情報や証拠関係の情報が拡大せぬ理由は、それらの情報が書いてあるサイト自体が検索に引っかからぬからです。検索行動も、たとえば「狭山事件第〇〇回三者協議」其の他の複合的な単語の組み合わせで検索する場合はともかく、普通の人はそこまで詳しい語句では検索しません。せいぜい「狭山事件再審」とか、通常は「狭山事件」単体=こう言うのをビッグキーワードと言うのですよ=でしかしません。

一般的な基準で言えば、たとえ「狭山事件」のビッグキーワード(当然期間限定なしで)でもせいぜい30位以内、極限まで譲っても最悪50位以内で出て来なければ問題外。そういうサイトは誰にも見られてないと言う事です。

先日のテレビ放送は深夜でしたが、一過性のものと言えど此の狭山事件サイトも極度のアクセス増がありました。此のサイトは常に、こうした時に備え、狭山事件の極々一般的語句で検索しても上位に出るべく努力しております(テレビや何らかのニュースがあった時は、それを見て狭山事件に興味を持った人に此処を見てもらう良いチャンスです)。インターネットを利用した拡大とか言ったところで、こうした検索にフィットする技術に無知ならばそもそも誰の目にもとまりません。ただ書いて発表すれば多くの人の目につくと思ったら大間違い。ましてスクレイピングだらけの「狭山事件サイト」が検索による接続を受ける道理はなく、そうした場所を見るのはそこを直接知っている少数の人だけです。これは、証拠裁判主義の法理と同じように冷厳な検索と視聴の原理です。

今や誰でもお手軽に無料ホームページや無料ブログあるいは出来合いのSNSなどで簡単に情報を発信出来る時代となりましたが、「発信」することと、それが「読まれる」こととは、全く別のことです。ちなみに、先日のテレビの時は、ページビューで2400、純粋な視聴者数で988人、12月22日のこれが正確な数値です。本体=sayama-case.org=のほうね。

狭山事件サイトのアクセス数

過去のデータですが、時たまテレビ報道なんかがあると、上のような具合になるわけです。

ネットで狭山事件発信する方法

狭山事件の再審では何度か百万人署名が実施されました。この数値から考えて、仮にこの事件の名前だけでなくある程度の知識を以て知っていると言える人の人口を5倍とすると、五百万人になりますが、それでもこの國の全人口のおよそ5%しかありません。消費税の税率より低い数値では、少なくとも私個人は満足しておりません。大袈裟に言うと、残りの95%全員に広げる事が私の目標ですよ。これは事実上、不可能かも知れませんが、目標設定は高ければ高いほど良いのです。この目標を設けそれが為の手段のひとつとしてのネット利用が決まった瞬間に、自分のところを見てもらうべきターゲットユーザー層も自動的に決まるのです。それが決まると、書いたり載せたりする内容もまた、自動的に決定致します。

よって、この目標と手段を達成するためのサイトの作り方は、どなたが読んでも一応狭山事件とは何かが解る頁を設けておき、次いでもう少し詳しいのを設けておき、更には個別の事実関係について圧倒的に詳細でその上正確無比の内容を有する頁、及び時事的な話題や其の都度の活動の告知や報告の頁とかも随時つくります。そして究極的にこれらの全ての頁が、本件に関する特定のクエリで検索した場合に、必ず1頁目に出現しなければなりません。

本件に特化したモノづくりを地道に継続して初めて、これらが達成されます。目的と手段が明確になったなら、これに反する自らの他の欲求などは、二の次三の次どころか少なくとも此のサイト上に於いては、おのれ自ら無視するだけの根性無くば、結局そのサイトは誰にも顧みられぬハメになります。インターネットを利用して何らかの目標や目的の役に立てようとするからには、インターネットの性質と検索の仕組みをよおく知っておき且つそれに基づいた実行が必要となるのです。

狭山事件再審支持を拡大しない方法

こうした目的や手段の追求をする為に、逆にこれらをダメにするケースを考えてみるのも一興です。上の事柄とチョット重複になりますが、以下はそう言った事実について記したものです。

既に狭山事件真犯人説とかの駄目出しは嘗てそれを率先してやっていたおのれの責任に於いてやりましたので、更に制作面で駄目な狭山事件サイト、と申すより再審支持をこれ以上拡大しないどころか減らす方法をザクっと考えてみようってわけです。此処で駄目とかナンとかの基準はある種の技術的な問題と、視聴者のメンタリティーに及ぼす内容面のことですね。じゃあ早速検証開始です。

此のサイトをこしらえて、まああれですよ、目的が狭山事件の真犯人を探す?ことであろうとそれをヤメにした他のなんであろうと、目的が明確となった以上、まず出来得る限り多数の視聴者の目にとまらなければ手段として駄目なわけです。それは即ち検索で上位を占めることであり、狭山事件関連の何らかのクエリで検索をした際、ずばり1頁目の1番上か2、3番目には出現したいもんです。せめて1頁目つまり10番目以内の幕内クラスにはありたいもんです。これは技術的側面です。

検索クエリはズバリ「狭山事件」あるいは我々の活動に関係する処だと「狭山事件再審」「狭山事件証拠開示」その他、冤罪とか無罪との組み合わせです。これでワンページ目に出現しなけりゃ通常の視聴者はまずクリックしません。

次に目的が明確化されたならば、その手段の内実が担保されてなくてはなりません。こちらは内容面、つまり実体的側面と申せましょう。

狭山事件ダメサイトのつくりかた

この実現を阻止してサイトをダメにし、これ以上狭山事件再審支持を拡大せず、願わくば縮小さえする施策に、何も特別な努力は必要ありません。何しろ、何も努力はしないことがそれのための努力ですから。でもソレにはちょっとしたコツもあるんですよね。

狭山事件に無関係事項を掲載

まず、狭山事件以外の事柄をことあるごとに記載しましょう。例えば日常のささいなこと、あるいは自分にとっては重大なことでもよろしいのですがとにかく狭山事件には縁もユカリも無い感想文や愚痴を書きまくり、中でも政治のニュースなんか見て頭に来たらその都度その国会議員でも大臣でも秘書でも党員でも支持者でも、イデオロギー全開で持てる限りの語彙を駆使して罵倒しまくるなんてのは最高な傾向です。これをやれば副次的に、確実にそれに該当する政治家か政党の支持者かあるいは積極的な支持者じゃなくても前の選挙なんかで投票した人はほゞ確実にこちらの支持者にはならないと言う効果が望めまして、むしろこっちの効果のほうが支持離散に絶大な威力を発揮します。うまくすると少しばかり迷っているような現在の半支持者の離反も望めます。

狭山事件関連でも広告をベタベタと

次に全部の頁に、ベタベタと広告の類を貼付け面積的にブラウザで見た時の全体の3分の1以上出来たらもう80%以上とかになってればオンの字です。主要コンテンツの量なんかもテキストがせいぜい8行ぐらいとか、出来たら1行、究極的には俳句か川柳っぽいのを1コだけならもう最高ですね。えーッそれだけじゃ画面がさみしすぎるじゃん、この向きには、之又無関係な画像の2、3枚(もっと多くても良い)も貼付けて済ますのもオススメです。とにかく文章はひかえめにしましょう。画像も狭山事件ネタでいきたいならばそこらにある新聞や告知書の画像をなんの芸もなくたゞ張っつけとけばヨロシイ。

どうしても文章を長く見せる手として、一行ごとに改行を三つ以上、書いちゃ改行書いちゃ改行ってのがあります。芸能人のアメーバブログとかに良くある傾向ですね。但し文面の内容は、少しでも気に食わない奴は徹底的に罵倒したり揶揄し、ついでに新参者の狭山活動者をナマイキ扱いしてヴァカにするのも効果絶大ですよ。兎に角やるなら超過激にすることが大切ですね。

狭山事件関連でコピペを活用

更に、どうしても何か長文を載せたいなら、よそからコピペとかで引っ張ってきた自作でないスクレイピングコンテンツ多数をサイト内に抱えると万全です。狭山事件のフェイスブックとかウィキペディアとかそのほか匿名掲示板のたぐいを覗いてれば盗作のネタに困ることはありゃしません。これだけのことを毎日実行すれば、検索上位にしゃっしゃり出るなんて夢のまたユメ、そっち経由の真面目なアクセスは望めないという素敵な成果が待ち受けてますよ。

あと、自分のサイトがそうなると、リンクしている他人のサイトもソレに引っ張られて番付低下と、願ってもないご利益も予定されております。これは、主としてGoogleのアルゴリズムのなせるスゴ技なんですよね。

もう出来うる限り、気分次第で適当なことをやっておれば自然と散漫なサイトが出来上がり、どこに何が書いてあるのかゞ解らなくなります。テーマごとに目次頁を作るなどもってのほかです。

アレもこれもと主張をてんこもりしたらば、結果、「狭山事件」で検索した時に引っかかって来なくなること、体系的なサイト内容構築をしていなくていきあたりばったりで書きなぐり、内容散漫になることが大切です。たとえ毎日更新していても、ひとつ一つの記事が薄っぺらいものでありさえすれば、まして目的とするテーマに関係性の薄いか全然無関係の事柄を記し続けてますと、あるいは自分的に多少関係があっても常に政治的な敵を完膚無きまでにコキおろし、自身の政治思想にホンの少しでも悖るものは徹底的に排除する姿勢を鮮明にしますと、もうこれ以上狭山再審支援が拡大することは無くなるでしょう。

視聴者の減退、仮に見ル人がいたとしても共感を買わない作戦が、再審運動の退潮という終局の成果をもたらすことを忘れないようにしてください。

僕は推理マニアについて、明確な排斥の意志を露骨に示してますが、そりゃ彼らは煮ても焼いても再審活動なんかやる気は無く、役に立たないどころか却って邪魔になることが体験によって完全に立証されているからであって、たゞ単に野方図な好き嫌いで言ってるわけじゃあ、アリマセンよ。しかしこう言っちゃあ、まあなんですが、再審活動にもマニア風味の人もいることが、今ごろやっと、僕なんかにもよぅく解ったんですね。マニアだから、非常に狭い仲間内だけに見てもらえてここちよいおつきあいを出来てれば良くって、だから上に記したようなことになって、アクセスが殆どなくなったり(ト言うか自分のトコがいつどの頁がドレぐらい見られてるか、解ってます?トか申す以上打ち明けますと、此のサイトは直近一週間では純粋な人数にして一日平均たったの276人にしか!見られておりません。つまり電車一両分かそこら程度ってこと)仮に見る人があっても一緒にやってく気を削いで逝くわけです。しかしこれは、何も狭山事件と言うテーマに限った話では、無いわけですけどねえ。

狭山事件拡大とイデオロギーの関係性

そうならんよう、僕自身は一応、多少はいや相当に注意しておりますとも。注意どころかいつでも何処でも、我慢しっぱなしでしたとも。ちょっと書かせていただきますが、ひとりでも、狭山事件を知らないどころかお互いに一面識も無い人が、石川一雄さんにお会いする機会を作ったりとかそう言う事を、本気でやったことありますかねえ。そうやってそれまで一面識も無くて又は狭山事件なんてよくも知らないで来た人の中から、ある県では初めて石川一雄さんの講演会を企画してくれたりとか、あるいは、大学の授業の一環として毎年学生さんがたと現地調査に来てくださるようになった先生とか、更には又、インターネットを駆使して活動を開始し今じゃ僕以上にやってる人とかもあらしゃるんですが、こういうことをひとつでも実現しましたかねぇ。そうゆーのを本気でやるにはイデオロギーを本気で超える覚悟が必要ってのが、ホント、解ってますかねー。口先でイデオロギー抜きってんじゃ、ないんですよ。

イデオロギー全開の方が良いか?

但し逆にこうも思うのは、イデオロギー全開の方が、もしかして大動員を勝ち取れるのかなあってのもありますね。寺尾判決の時には何しろ、日比谷公園に11万人も集まったと言うじゃあ、ありませんか。もしかしてそれ狙いなのかなあと考えたりもします。ですがあの頃はそうした事が可能な時代であったからだし、今日の現実問題として、当時より明らかに縮小してるのは事実でしょう。無論これには半世紀と言う時の経過も大いに関係しております。これを拡大に転じる方策のひとつがイデオロギー対策にあることは全員ほとんど一致の認識であるのも事実と思ってましたが。

世の中に起る様々な事象の原因や対策について、合法則性を求めそれを規定するのがイデオロギーと申せましょう。狭山事件や、狭山事件に深く関係する部落差別についても同様に、ある特定の思想的立場や理論で説明可能ではあります。

もし、狭山事件の発生や冤罪の構造、捜査や裁判の在り方に合法則性を求めた結果、特定のイデオロギー的立場から完全にこれを説明出来、且つその説明が大多数の支持を得る事が出来るならば、むしろイデオロギーに準拠した運動の方が支持拡大に効果的であるとすら言えます。ですがこれも但し、あくまで理論上の問題であって、実際は、過去の歴史を観察すれば良く解る通り、世の中に起る様々な事象や特定の事件等を、特定の方向からだけ説明し更にこれに基づいて実践をなす事が、常に誤りを招いたのはまさに歴史的事実であるし、私流に申せば左右を問わず、既にイデオロギッシュな思潮は時代遅れと言って良いでしょう。そう考えたればこそ、狭山事件再審の方法論に於いて部落解放同盟もいわば公式に、イデオロギーを超えた運動の展開を表明したのでしょう。

足ひっぱらないでね

ですから、自分的には言われなくも最初から、政治的なものであろうが経済理論的なものであろうが自らの狭山事件に関する活動に於いては一切、そうした思想は排除して来たし、今やこれは再審活動全体に求められているのだと思いますがまあしかし、あんまり否定的になるのもなんですが近ごろの結論として、そうしたことつまり狭山事件の活動渦中に於ける政治的情欲露出の自粛を求めること、はもうどうでもいいです。どうでもいゝってより、ムリだからヤメました。であるから、やりたいように、やって下さいよ。そのかわり僕は僕で、いま迄どーりのことを(出来たら一層)やるだけで、お互い自由ってことで、いゝでしょう。

ト申して、もう全然期待を喪失したってわけでもありませんが、要するに自分サイドから此の件に関し何らかの新たな仕掛けをやるのはヤメるって意味です。はっきり覚えてるんですが、自分が言った事ですからね、2005年に、狭山事件再審実現の為にすべての力をひとつにする事を、ある意味やろうと決意し、でそれから既に8年以上が経過しました。まだ当時と同じテーマが云々されてると言う事は、その間、全然前進が無かった事の、立証が為されたのです。ごく少数の個人やグループの間を除いてはね。

そのような私共ですので、爾後も最低でも今まで通りか、出来得るならばソレ以上に出来る事を拡大して行きますが、その気の無いひとは私らの足を引っぱらんようにしてくりゃれよ。

再審活動の拡張を阻むものは、いつかフェースブックの掲示板でどなたかゞ質問をされてたような差別者が書いた石川犯人説かなんかの推理サイト、そんなの真に受けるほどマヌケな人間など今どき一人も居なくって、むしろ獅子身中の虫とでも言うべき言動にあるんですよ。

そうしたわけで、支持の拡大を既存の活動者にも呼びかけて一緒にやるのは多分コレ以上は到底ムリだしその努力そのものがムダであることが判明しました(こゝで拡大と言ってるのは何千とか何万人単位のことです)。もしかすると、目的そのものが違ったのかも知れませんね。

ただそうかと申して、全員が全員こうなのでは無くてまあ全国で、そうですねぇ4人か、7人ぐらいは志を同じうして本気の方も存じ上げておりますし、もとより僕自身はいま迄通り、一人でも多くの人に拡大する努力を続けて行く所存です。たゞ要するに、個人でひとりでやることですから、そう大々的に人数が増えることは常識的且つ科学的及び経験則的に考察すれば不可能でしょうし、それは現地調査後に積極的に活動を展開して下さっている何人かの方々も同じで、尚且つその結果、狭山事件再審運動全体として、いま迄以上に人口と申すか人数がものすごく増えなくても、其れドコロか万がいち縮小したとしても、それは僕の責任ではぜんっぜん、アリマセンって。じゃあ誰の責任かって、そう、こうしたことを、みなまで言わない自制心の、問題。

以上、当問題は終結致しました。

真の狭山事件支持拡大とは

先日の記事に追記致しますが、私は本音の処で何処の政党も支持しておりません。たゞ次善の策として選挙の時に何処かの政党や候補者に投票する事は有り得ます。しかしそれはあくまで次善の策でしかあり得ません。例えば前回の参議院議員選挙の際は選挙区投票に於いては原発停止を求めるある無所属候補に投票しました。

自分の中である目的を人生の第一に置いた場合、他の全ては二の次三の次以下、場合により他は全部諦める覚悟も必要です。よって、狭山事件再審、正確に言えば再審活動の拡大を現在の目的にしたからには、そこへ全力を集中する為、それと無関係な事柄は無論のこと、むしろ反するようなものは当然、自ら排除しているわけです。だから、もち論、思想信条・政治的選択の自由は当然です。但し要するに何に優先順位を置くか、そしてある事柄を優先すると決めたならば他を犠牲にする場合も有り得ると言う事です。世の中のあるものを変えようとする場合、自己犠牲は必須となるでしょう。私の場合、その犠牲とするものは目的と無関係及び目的を阻害する、自らに内在する要因の一切です。そして使い古された言葉で申せば二兎を追うものは一兎をも得ずと申します。

大目的の為には無関係若しくは関係性希薄な小目的=自らが所持する偏狭なイデオロギーとを量りにかけ、軽い方を破棄する程度の自己犠牲すら払わぬならば、おのれの欲得を統御するスベを持たんたゞの小人です(わたくしはかつて、『歴史の終わり』に書かれてあるようなことが果たしてあるのかどうだか、いたく疑問に思っておったのですが、現在ではこの見方に可也な程度賛同しております。従って、旧式なイデオロギーはそれが保守的なものであろうが右だろうが左だろうが、もはや歴史や世界をそれだけで説明したり、ましてや一国をそれで支配出来たりする可能性など多分もうないでしょう)。

斯くして思想信条が純化され、純化された信念に忠実であればあるほど、これに基づく行動は可及的速やかに急進化を遂げるものです。1920年、内戦続行中のレーニン宛、古参アナーキスト、П.А.クロポトキンの手紙。

本当に君の周囲にはそのような手段が不可避的に中世や宗教戦争の最悪の時代にわれわれをひき戻すのだということ_それは、共産主義の基礎のうえに未来の社会を建設しようとしている人びとに似つかわしくない_を想起させてくれる人はいないのだろうか。本当に君らのなかには人質というものがいったい何であるのか、人間を牢に入れるのはその人間がなんらかの罪を犯したからではなく、単に反対派を死で脅迫するためだということを理解している人は誰もいないのだろうか。『われわれの一人を殺せば、おまえたちをもっと殺すぞ』こうした冷淡さは投獄されたものやその身内のものにとって拷問以外の何ものでもないことを、君の同志たちは本当にわかっていないのだろうか

この手紙にはレーニンの「要保管」と書いた筆跡が残っている。思想の内実はどうあれ、実務上、レーニンの「階級の絶滅」と、ヒトラーの「ユダヤ人の絶滅」は、指向性に於いて同一だったわけです。

要するに、イデオロギーに基づく行動と言うものは、その行動を純化させればさせるだけ、意図するとせざるとに関わらず、必ず、排外主義に向って陥没し、少しでも異なるものを排除するようになり、終いには、異分子にあらざるものまでも敵として排撃する結果となるのです。

かつて捜査段階から二審判決後に至るまでの十年以上、狭山事件の主任弁護人を務めた中田直人弁護士は、その遺稿集「国民のための刑事法学その理論と闘い」
の中で、広汎な国民参加による裁判闘争の重要性について述べ、そこへ石川一雄氏の無罪奪還に直接に無関係且つ場合によっては有害ですらある各種の政治的課題や対立を持ち出し又煽動することによって、運動の結集を阻害する事を戒めています。


狭山事件以外の他の事柄に就いて、口を慎んでいるのにはもうひとつ、他の活動を現在、何もやっていないせいもあります。私は過去は兎も角、現在何ら政治活動をやっておりません。投票行動は、活動では無く単なる最低限の権利行使なだけであって、私の申す処の活動ではありません。一票を投じたらそれで終りです(自ら先頭に立って選挙活動をやるとか、又は自分自身が立候補するなら話は別です)。口から出た以上は目的を達成するべく実効性を有する行動が伴うべきです。つまり口舌の徒にはなりたくないものです。

Google モバイル対応アルゴリズムを導入

2015年3月26日、グーグルはサイトがモバイル対応しているかどうかをモバイル検索に於ける検索結果のランキング要因とするアルゴリズムを4月21日から稼働することを発表しました。よってその日以降、スマホでの検索結果はPCと異なるようになります。検索サイトでいずれモバイル端末への対応度が検索結果に反映されるであろう事は予想されていましたが、遂に正式導入となったものです。端的にはスマートフォン未対応のサイトは順位下落します。「狭山事件」の検索結果の1頁目=10位迄でも半数がモバイル未対応になっています。

狭山事件サイトも改造の必要が

これが此処のテーマにどう関係するかと言えば、ネット検索によって狭山事件と再審の活動を拡大する目的で、此のサイトのように手書きでHTMLを書いて作っている場所は、モバイル対応が必須となる事です。既に当サイトは2012年11月にそっちの作業を完了しました。

SNSは無論として一般的な無料ブログはスマホ対応されていますから問題ないとして、自分でHTMLを書いていて未対応な所は急いでスマホ対応の作業をする必要が生じました。当サイトのデータによると、接続の約半数程度が携帯端末です。従って広く発信しようとすればモバイル対応は既に必要でした。これに追い打ちをかけるように、検索結果への影響が確実となりました。

モバイル対策の方法

モバイル=スマホ対応には一般的に次の方法があります。

  1. レスポンシブデザイン
  2. ダイナミックサービング
  3. モバイルURL

1は同じHTML&CSSでPCとモバイルの両方に対応、2は同じURLで別HTML&別CSSを配信、3は別URLで別HTML&CSS。此の狭山事件サイトは2でやっています。しかしこれらは何れも、ソレ也の知識を仕入れる必要があり又、既にPC版の頁数が多いサイトだと量的にも大変な作業となります。

なので、面倒な場合の選択肢として「何も対応しない」と言うのがあります。そのかわり、モバイル視聴者は切り捨てる事になっちゃいます。それもイヤだ、の人には、既存の頁を全部無料ブログに移転する策があります。又は移転しなくても、同じ内容でブログを作っておいて、PC頁に「携帯の人はこちらをどうぞ」的なリンクを張る手があります。そうすれば大概のブログは携帯対応してるのでまあ楽です(但し重複コンテンツ対策は必要)。

但しこの話は、今まで上にあったサイトが携帯端末未対応だと落ちるのであって、もともと5頁も6頁もめくっても出て来ないような所がモバイル対応してるからと言うだけの理由で上に上がってくるのではありません。上位表示され従って多くの視聴者に良く読まれる場所は、あくまで地道に質を高めている常日ごろの努力が必須です。稀にウィキペディアのようにあらかじめ異常に高いドメインオーソリティーを付与されているサイトは、内容が低品質でも中身が嘘でも、大概は一等賞を取れますけど。しかし、それは例外中の例外です。

現に狭山事件に特化したサイトをお持ちの方でこの際対応策を講じたい方があらしゃれば、解る範囲のことはお教え致します。

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2015/01/02
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