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狭山事件足跡鑑定

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狭山事件無罪の説明をする良質なコンテンツを作るため、仮に今現在日本に居なくても、たまにはそれなりの努力をしております。それの数年間にわたる積み重ねが此のサイトですが、それをやる為には過去の判決文や決定文をもう一度読み、そこで言及されている証拠が何かを調べ、二審までの狭山事件裁判のどの公判で提出若しくは証人尋問がなされ何がどう証言されていたのかを読み、そして一番難しいのが鑑定書の解読です。


狭山事件の現場足跡


狭山事件確定判決や棄却決定の事実認定とそこで説示された証拠関係を、網羅的に解説する頁を作成しようと思い、実地活動のヒマを見てぼちぼちと作業を進めて参りましたが、判決文では脅迫状と筆跡に次いで足跡の話が出てくるので、それについて鑑定資料を見たり参考書を読んだりした結果を記していくうちに、「判決」のくくりではどうも収まりきらぬ感じがして来ました。よって足跡の狭山事件鑑定として、それ自体で一頁としてHTML化したものです。

まあ、狭山事件の判決文で取り上げられている証拠をそれぞれ検討して行けば、ひとつひとつが一頁を費やせる(いやソレでは足らん)分量になります。それなので、既に脅迫状・鞄・腕時計・万年筆などの物証や、佐野屋の張込みの件などの個別項目は既にそれぞれ項目別の頁になっています。足跡も、結局そうなったわけです。


狭山事件足跡の論点


狭山事件で証拠とされている足跡とは、佐野屋に犯人が現われた際に畑に残したとされる現場足跡のことです。これと、逮捕当日に石川宅から押収した兄の地下足袋の底の長さと特徴が合っているとされ、有力な有罪証拠のひとつとなっています。確定判決では「自白を離れて客観的に存在する証拠」として、脅迫状等、七つの証拠のひとつとされているものです。


足跡採取


長谷部警視は二審第8回の狭山事件公判に出廷して次のように証言している。

問:(犯人が来たであろうと思われる)その地点に何か、変ったことがございましたか。

答:時間の点は、はっきりしませんが、夜が明けるのを待ってやったわけです。白々と明けてからです。どうしてはっきり言えるかというと、犯人が逃げたとすれば足跡があるだろう。また遺留品がありゃしないか、あわてて逃げたから、あそこへ自動車が入ることはないから、自転車でも置いて逃げたんじゃないかと。早く見つけなければ、工場へでも行く者にうっかり拾われたら大変だと、しかし、まっ暗ではあるし、その逃げられたという報告をした指揮者は、犯人が、この畑から逃げ出せないんだだから、こういうふうにしてるんだと、白々と明るくなるのを待って、それから遺留品、足跡を捜すべく始めました。

問:足跡を石膏で取るために、その地点に案内したのは、あなたであると、(一審で)飯野(巡査)は述べてますが。

答:間違いありません。

問:で飯野証言によりますと、足跡は二十個から二十五個くらいあったということですが。

答:ええ、もっとありました。ただ、鮮明なやつは、そうなかったんです。

と、言うような成り行きで犯人のものと思われる足跡に石膏を流し込んで採取された3個が、現場足跡として証拠提出された。そもそもこの現場足跡なるものが本当に犯人のものだったのかどうか、それを証明する証拠はどこにもなく、一審当時から異議もあったのだが、それはおいて次の論点に移る。

画像-足跡-地下足袋

左から対照足跡・押収地下足袋・三号現場足跡


狭山事件の押収地下足袋と足跡


一般論として、ある足跡と、もうひとつの足跡が同じ人物、或いは同じ履き物によって印象されたものか否かを決める場合には、足跡の大きさ=足長が違えば、両者は一義的に別ものと言って良い。実は狭山事件の初期の捜査を良く観察すると、捜査本部が両者を別ものと見ていた事実が伺える。5月23日に石川一雄氏を逮捕した後、続けざまに他の養豚場関係者3名が逮捕されているが、この逮捕の被疑事実は窃盗や暴行など別件容疑ではあったものの、内実は殺人等狭山事件本件を調べる為に身柄を押えたのであって、それは当然、捜査当局が狭山事件を複数犯と見ていた事実の証でもあった。

犯行を複数犯と見た事の根拠のひとつが、実に佐野屋から採取された現場足跡の大きさにあったのだ。つまり採取足跡の足長は十文余りだった。これは石川宅から押収された九文七分の地下足袋とは異なる。だから、石川被告以外に、十文から十文半の履き物を使う共犯が居るのだと。

足跡が争点となったのは裁判が控訴審に入ってからだった。狭山事件の捜査を仕切っていた捜査幹部達が続々と証人喚問を受けたのも二審に入ってからだった。だから、二審公判での捜査員達の答弁は、既に一審で出されていた単独犯行の事実認定に沿ったものとなったが、足跡と複数犯説の関係について、はしなくも語るに落ちた供述があった。それは、二審第39回公判に出廷した埼玉県警刑事部長・狭山事件特捜本部長だった中勲警視正(役職階級は捜査当時)の概略次のような答弁だった。

即ち『自殺した奥富玄二を犯人と見なかった理由のひとつに、奥富が「十文半」の地下足袋を持っておらぬ事実があった』旨の法廷供述である。つまり捜査当時、そして二審公判当時になっても、すくなくとも中刑事部長は、佐野屋で採取された足跡は十文半の地下足袋によって印象された、との認識を持っていた事実を示す。特別捜査本部のトップがそう証言したのであるから、本部長以下の捜査幹部、或いは検察庁をも含めた捜査当局が、足跡の違いも大きな理由のひとつとなって、共犯説を描いていたことを示唆している。

足長


足跡が、有罪証拠としての証明力を持つかどうかは、まず大きさが一致するかどうかにかかっている。そもそも大きさ=足長が不一致なら、一義的に両者は別ものと言うことになる。足跡を採取した翌日の5月4日に、埼玉県警鑑識課の関根技師が提出した報告書には、現場足跡は「十文乃至十文半」と書かれていた。複数犯説の認識もこれに基づいている。それが石川一雄氏逮捕後に同技師と岸田技師が作った鑑定書では「九文七分」つまり石川宅から押収した地下足袋と同じ文数になっていた。これを見ると、犯人の目星が誰ともつかぬ事件直後には「十文云々」と書いて、「犯人」が逮捕され犯人の自宅から取って来たタビが九文七分と解ると、現場足跡のほうも「九文七分」にした、と勘ぐられても当然な「鑑定」の仕上がり具合だ。

兎も角も、狭山事件の現場足跡と押収地下足袋の大きさが一致する、それが関根・岸田鑑定書と呼ばれる警察鑑定の結論だった。これに対して、二審判決後の最高裁への上告で本格的な反証として井野鑑定が出された。結論としては、現場足跡と押収地下足袋の足長は一致せず、念のため、四種類の大きさの地下足袋で対照足跡を作って現場足跡と比較したところ、最も近いのは十文三分の地下足袋と出た。

井野鑑定は更に、地下足袋の甲布(足の甲を覆う布地部分)が地面に付いて足跡が大きく印象されたり、九文七分の地下足袋を履いて何百回と歩いた場合に十文以上の足跡が出来る確率を、統計学を駆使した計算で数値化した。

1980年の狭山事件第一次再審棄却決定は足跡について次のように言っていた。

実際に人が地下足袋をはいて不規則な移動をした場合においては、一般的な数値にあらわしえない甲布部分の広がりや移行によるずれのあることを考慮すると、右(井野鑑定)の見解は本件について十分の具体性をもつものとはいいがたい。

あなた、鑑定書をちゃんと読んでませんね。井野鑑定は「甲布部分の広がりや移行によるずれ」も想定内にして鑑定している。それに第一、歩いたときの移行やずれによって、有意と認められるほどの大きさの違いが出てしまうのなら、そこらの足跡と特定の履き物の同一不同一を論じること自体が初めから無意味ですよ。

足跡が地下足袋よりも大ければそれだけで当然、足長測定が無意味ならなおさら、足跡に証拠能力は皆無となる。尚、ことのついでに記すと、狭山事件の四方山話でたまに名前が出ていたある人物について、石川氏の兄から「九文七分」の地下足袋を借り返却しなかったから、だからこの人が犯人だと言っている者を見た事がある。井野鑑定は上に述べたように既に上告審(1974年〜1977年)に提出されていた証拠だ。証拠を知らぬと、風評(被害)を流すようになる、と、言うひとつの例だ。


固有特徴


押収された地下足袋には固有の特徴として、「あ号破損」と呼ばれることになるゴム底の破損があった。この破損の痕跡が、現場足跡に明確に残っていることが証明されれば、足長以外に足跡とタビが一致することになる。警察鑑定は、現場足跡に残っていた三本の横線(地下足袋の底にあるすべり止めの線)の横に印象の「乱れ」を見つけ出し、これを押収地下足袋にある破損が印象されたものだとした。これは「あ号破損痕」と呼ばれている。

現場・三号足跡の「あ号破損痕」

押収地下足袋足跡の「あ号破損」

現場足跡のあ号破損痕と、押収地下足袋のあ号破損を比較した鑑定が、第二次再審で山口・鈴木鑑定書として出された。これは、両者を三次元スキャナで撮影して比較したもので、この結果、両者の「破損」の同一性は否定された。ところが、狭山事件について裁判所の出した直近の決定である2005年の第二次再審の特別抗告棄却決定では次のように言い逃れをしている。

3号足跡の写真のみならず,同足跡の石膏の実物を見ても,印象状態が粗いにもかかわらず,竹の葉型模様後部の3本の横線を明瞭に見て取ることができるから,山口・鈴木鑑定書の指摘は当たらない上,同足跡の「あ号破損痕」と本件地下足袋の「あ号破損」の類似性も十分に肯定できるところであって,同鑑定書は,関根・岸田鑑定書の信用性を左右するものとは認められない。

これによると、上にも書いた三本の横線が両者に明瞭に見られるから、あ号破損痕も明瞭で、地下足袋の破損とも一致しているのだそうだ。地下足袋は量産品で、裏にある横線の幅や長さなど、同じものなどいくらでもあるのだから、これを以て特定の地下足袋で出来た足跡とは証明できぬばかりか、そもそも、三本線の存在が明瞭だと何故、山口・鈴木鑑定の指摘が失当になるのか、その説明は皆無であるし、三本線など全然、全く、破損痕とは無関係だ。

棄却決定を出した裁判官がちゃんと読んでいるのかどうか疑問なのは鑑定書だけではなく、裁判所自身の過去の決定文をきちんと読んでいるのかどうかすら怪しい。たとえば、1980年の第一次再審請求異議申立棄却決定にはこうあった。

ゴム底の最外側に当る部分の位置は明確にはわからないものであるから、もともと厳密には測定できない

ゴム底の最外側、つまりは足跡の外周のりんかくが不明確なのだからもともと厳密な測定が不可能と言っているのだが、もしそうなら、もともと足跡の破損痕などは厳密にあるともないとも言えぬことになるが、どうか。押収地下足袋の破損は当然、固有特徴として明確である。だが、足跡の方の外周部がはっきりせぬとあれば、そこに押収地下足袋の破損に該当する「破損痕」があるかどうかなど、そもそも確認不能なことになる。何故ならば、タビの破損は、外周部分に存在するからだ。

下級審が書いたこうした決定文を、特別抗告を取扱う最高裁判所が読んでおれば、仮に棄却するにしても、上のような棄却決定文は書き得ない。


狭山事件足跡証言


狭山事件の捜査で警察の足跡鑑定書を作ったひとりである岸田技師は、二審の裁判に出廷して証言している。まず、鑑定書に現場の土を採取して来て、その上に警察技師が押収地下タビによる足跡を作った点については次のように述べた。

問:現場の土を持って来てそれから足跡を採取したがそのときは加藤技師に地下足袋をはかせて採取した、となっているが現場の土で採取実験をしたなら現場の土を使い被告人に地下足袋をはかせて採取実験をすればなお一層真実に近いものが発見できたのではないか。石川被告に地下足袋をはかせて砂土の上を歩かせているのだから、それならついでに現場の土で採取実験をしてもよさそうなものだろう。


答:現場の土で足跡を取る場合でも、本人にやってもらわないで加藤技師にはかせてやっても大体同じような傾向が出るだろうということで、本人にはかせて採取しなかったことについては何の意味もありません。本人にやらせることは考えていませんでした。

石川一雄宅から押収した地下足袋を本人に履かせて、砂の上は歩かせているのに現場から持ってきた土の上ではそれをやらなかった。やらせなかったのには特に理由もなかったらしい。足袋で作られる足跡にはそれを履く人間の履き癖のようなものも現れると思うのだが、何故か肝心の現場の土では足跡印象をさせなかったのだ。更に足跡の長さを測る時の誤差については次のように言っている。

問:誤差をどのくらい認めるのですか。

答:ほんのわずかなものと思います。

問:一センチぐらいのくい違いということはありますか。

答:一センチくい違っては駄目ですよ、こういうものは

問:五ミリぐらいは。

答:五ミリ程度でしょうね。足長の場合と足幅の場合はちょっと違います。足長の場合は長いし足幅の場合は狭いですから。

足長を測った時の誤差の許容範囲は5ミリぐらいとのことだ。現場足跡と地下足袋で作った足跡は井野鑑定で1センチもの差があった。だから、岸田証人の証言を受入れるなら両者の差は許容範囲の倍もの差が生じ、別ものということになる。

ところが先に引用した狭山事件棄却決定では、足跡が作られる際の踏み具合などによって足長には有意な差が生じるし、もともと厳密には測定出来ないそうだ。だとすると、有罪の証拠のひとつとしている関根岸田鑑定は最初から無意味どころか間違っていた事になる。足跡の件に限らぬのだが、狭山事件の判決や棄却決定には、このように自己矛盾を来している例が多過ぎる。

狭山事件と科学鑑定


これまでの狭山事件の判決や決定には共通したある言い方がある。それは「肉眼で見ても」とか「実物を見ても」と、言うものだ。たとえば脅迫状を鑑定した齋藤・柳田鑑定書に対して同じく特別抗告棄却決定は

「少時様」の3文字を肉眼で観察したところでは,「少時」と「様」の文字が別異の筆記用具で書かれているとは認め難い。

のであるそうだが、裁判官室で判事が「肉眼」で観察しても認め難いものを、専門家が発見するのが科学鑑定なのであって、裁判官の肉眼で認め難いものは全部却下するのであれば、裁判官が肉眼で観察して容易に認められるものだけを証拠とすることになり、たとえばDNA鑑定など初めから証拠能力皆無、と、言うことになる。塩基配列を、肉眼で見れる人間が、おるかね。

こうした馬鹿げたことが刑事訴訟の場で起こる原因は、自然科学の各分野の専門知識と専門技術を駆使した鑑定について、裁判官が、当の専門家に話を聴いておらぬからだ。おのれの専門外については完全な素人であることは、裁判官であっても弁護士であっても検事であっても同じで、たとえば私は、狭山事件については殆ど専門外の事柄ばかりであるから、自分で勉強しただけでは間に合わぬ部分は全部専門家やそれに準じる人の教示を得、決して自宅の机上(のパソコンの中)でだけ判断したりはしておらん。又それでこそ、見ず知らずの第三者が視聴するネット上に於いてもささやかながら、記載内容について信頼性を認められ得るのだ。

狭山事件のように、これが刑事訴訟事案ともなれば、このサイトをも含むインターネットのそこらのどうでも良い記載内容とは比べ物にならぬ程の厳密な方法を取ることが必須とされている。これは精神論や道徳論ではなく、刑事訴訟では法と判例から作られる法理によって、全てが規定されて来る。それに加えて更に、前述の通り「科学鑑定」をも判断する機会が、時代の変遷と科学の進歩とともに増大する。法律家である裁判官にとっても、専門外の事柄については(おのれが此の世の全部を知る事など出来ぬのであるから)専門家の意見聴取は必須だ。別にその際、訴訟の一方の当事者である弁護側の意見だけを聴けと言っているのではなく、検察側も含め双方の鑑定人尋問をすれば良い。

再審で求められて来た「事実調べ」と言われるものはこのことであって、事実に関する鑑定分野が多岐にわたり、高度になればなるほど、絶対的に必須と言って良い。刑事裁判では裁判官に現場を見てもらうことも重要だ。こちらは、もう50年以上も経ってしまった結果、狭山事件の現場が大幅に変化してしまったが、現在の風景からでも実地に見て理解出来る事実もある。「事実調べ」にはこうした事柄も含まれるが、まずは鑑定人尋問が先決だ。

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2016/08/07
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