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狭山事件容疑者候補

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狭山事件の真相を「推理」したアゲク、容疑者についてまことしやかに囁かれてきたあれこれを記しておこう。

狭山事件の容疑者

狭山事件真犯人の捜査が終ったことは、今や常識だが、本件は再審事案として現在も進行中であるから、容疑者の立候補はいつでも受け付け中らしい。

新聞紙面に踊る狭山事件

朝日新聞5月6日には容疑者としてABCの3名が報道され、週刊新潮5月27日号ではABCそしてDと記されている。27日付と言えば石川氏逮捕が23日なので、内容からするとその直前に書かれた記事だ(23日以前に記事を書き、27日発売。または、発行日が27日であっても、実際に売り場に並んだのはもっと早いとか、良くある事)。

6日の朝日記事~13日の読売迄の新聞報道がまず引用されている。この間の状況を後付けで書くと

  6日 被害者葬儀、OG自殺
  7日 OG白と発表
  8日 鞄の品ぶれを配布
 11日 スコップ発見、TN自殺
 12日 捜査員減員
 15日 養豚場兄弟を近日逮捕とリーク
 17日 狭山事件奥富調書=「山学校東方で石川とT島を見た」
つまりOGの自殺と白発表の6、7日以降は、いよいよ被差別部落への見込み捜査を強化して行く時期。週刊新潮の記事の時点ではだから、ここにあるABCDは明らかに被差別部落・養豚場関係者とその周辺の事を指していると考えて良い。

狭山事件と養豚場 変死者の関係

なお、堀兼近辺の被害者方に近い周辺住民が、捜査に全く非協力的で、貝のように口が固く、更には狭山署糾弾大会まで開く寸前になっていたが、狭山事件の捜査が養豚場に集中すると、てのひらを返すように捜査本部への炊き出しを始めたことは良く知られた事実。石田養豚場と言えば、狭山事件では石田登利造が容疑者候補の一人として取り上げられる例が多い。登利造氏は推理本以外ではあまり表に出されておらぬように見えるが、一審の検察官が請求した捜査資料の中に、石田登利造関係の捜査報告書などが入っている。勿論これは登利造氏に限らず、養豚場関係の者は殆ど全員捜査対象になっていた。

事件発生直後に変死したOGについて早々にシロとして捜査を打ち切ったり=但し筆跡は脅迫状と別もの、脅迫状の少時様に該当する実際に少時と言う名前の人物が居たにも関わらず、その方面の捜査がされた形跡が無いなど、当時の捜査には杜撰と言わざるを得ない点が多い。

その一方では佐野屋での容疑者取り逃がしによって、早期解決を否応無く求められた結果としての焦りが、被差別部落への見込み捜査に走らせた印象は拭えない。もう少し、冷静で丁寧な捜査を継続していれば、犯人に辿り着けたのでは無かったか。

画像-佐野屋 二審検証写真
佐野屋

朝日新聞昭和38年5月6日付夕刊の記事は過去にあった掲示板の投稿者によって次のようなフィクションにつくり変えられた。

5月5日朝特捜本部より重要容疑者が発表(計3人、この日より市民による通報が増え出す)追って捜査方針が検討され実行に移される

5月6日午前重要参考人が一名追加され四名とされ任意による聴取が始まるが、その中の一名が特捜部の監視をのがれ自殺。重要参考人の四名のうち三名はすべて被害者家族および親類からの聴取による参考人であった、自殺した人物はその三名の中のひとりであった。所沢署ではその内のひとり17歳の無職の少年を聴取、結果シロ

即ち少年A、B、Cの事を書いた件だが、これは記事の『被害者と顔見知り』と言う要素、仕事に車を使用しており時々佐野屋の前を通っていた=これはBの事かも知れない、AB共に後でアリバイにより釈放されたと言う。そのアリバイとは議員Uが実質経営している酒場の改装を手伝っていたと言うもの、Bは釈放後(逮捕されたのでは無く任意の参考人聴取だったろう)姿をくらましたと言う。くだらん。

いいかげんにせい

狭山事件の嘘

それら少年が当時「逮捕された」との事だが、全くのガセネタ。石川一雄氏以外に逮捕された人々は本件を調べた事のある人ならもう誰でも名前を知っており、任意事情聴取や身辺捜査の対象になっていた人達は当然ほかにもいたが、狭山事件で別件逮捕されたのは石川氏を含めて4人だけである。それ以外に、養豚場関係者20数名の捜査をしこれらの人々が住んでいる被差別部落から120人位の筆跡を取ったと言う=弁護人調査による。

従って、捜査の可也早い時期から容疑者を被差別部落住民に絞り込み、相当大々的な集中捜査を行なっていたと見られる。そうした面を見ると、最初に書いたABCと言う新聞に出た容疑者は、やはり養豚場関係とも考えられる。

尚念のため記しておくと、こゝでは狭山事件当時の新聞記事を取り上げたが、基本的に、当サイトに於いて新聞報道や雑誌記事は検証の対象外とする。インターネット上の掲示板情報も当然にもってのほか。

狭山事件 真の容疑者情報

そんな事より、容疑者の点で考える時、自殺したTN氏の目撃情報の方が重要だったと思われる。TN氏は部落の人で、目撃談を通報したのは恐らく5月の8日頃の事である。結局、警察で犯人扱いされて責められた揚句亡くなってしまった。長谷部警視は狭山事件当時の自分の職務内容について「県下に変死体があれば私に通報が来る」(二審8回公判)と述べておきながら、

「田中と言う人は記憶ありません」(狭山事件変死者=二審51回公判)とも供述した。中勲捜査本部長の方は「自殺した田中昇の事は全然知らない。捜査中も報告を受けた事は無い」(狭山事件部落差別=二審39回)

のだそうで、裁判に出廷した他の警察関係者からもこのTN氏の供述は無い。

つまり当時、社会的にも大きく取り上げられた事件の捜査の渦中でありながら、TN氏の自殺について答弁を避けていた。この事が、TN氏が善意の情報提供者であって既に始まっていた被差別部落への見込み捜査の犠牲者だと思われる根拠だが、同時にもし、この目撃情報をもう少しきちんと捜査していたならば、狭山事件の本来の容疑者に辿り着けたのではと考えられるのだ。

尚、TN氏の目撃供述が犯行者側からの何らかの「かく乱情報」だったような推理もあったが、何ら証拠は存在せずそれ自体がいわばかく乱推理なだけだ。このように、いかようにも変形可能な説だの推理やらを駆使するならば、狭山事件の真犯人などたちどころに判明し、石川一雄氏は直ちに再審無罪となり、それどころかそもそも冤罪になどなっていなかったであろう。しかしその「判明した真犯人」とやらも必ずや冤罪だろう。

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2005/01/31
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