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狭山事件 資料性の問題

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狭山事件無罪の論証を為し、真相を解くには、元となる資料をしっかりと選定することが肝心です。これを誤ると、過程も結論も全部ダメになってしまいますから。

狭山事件検証の元とすべき資料

狭山事件の資料として、検証の際に何を原典とするかの問題です。これの選択を誤りますと元資料がそもそも正確性に欠けている為に、検証の結果もまた全く妥当性を欠く結果となるのです。「狭山事件Wikipedia」の内容がこれの良い例です。なにせ、あのサイトはなんと、推理本を「資料」と言ってる有様ですからね。ほかにも、其の手の書籍名を挙げて『何何(本の題名)のような資料もありますが云々』とか平気で書いている個人ヴログとかもあります。どうも、「資料」と呼んでいるものの意味が全然違うようです。

当サイトではこのような知的没落を防止する為、元資料の選択からして徹底した吟味を実施し、狭山事件裁判の記録をはじめとする証拠能力を有する資料しか採用しておりません。採用時に厳選した資料を更に厳密に検討し、以て内容の信頼性を最大限に確保しているわけです。

又、これらの原資料に書かれてある事柄を正確に理解する為には、資料を精査する以前に、刑事訴訟手続の中で用いられる基礎用語の意味を解らなきゃ話になりません。その為、こうした用語の解説が書かれた参考書を読むのも不可欠です。更に六法全書を傍らに置いておくのなど当然過ぎて言うまでもありません。

狭山事件掲示板の資料性

本件に関する、かつて存在した掲示板での投稿に就いては、その資料性に疑義も呈されていた。要するに信頼に足るものかどうかと言う事である。

有り体に言ってしまえば「作り噺」かも知れないと言う事になるが、筆者自身は当時はそうは思えなかった。それはその前後のその人の書き方、文体、流れから判断してのものである。しかし明らかに事実に反する話もある事から現在では全くの作り話として処理して良い。ネット掲示板など所詮そんなもので、こういう事もその後全く掲示板など相手にしなくなった理由のひとつだ。仮に作り話ではなかったとしても、相当な事実誤認が含まれている事は否定出来ない。

但し読んだ当時は筆者もそれに気が付かなかったほど無知だった事及びネットリテラシーが著しく欠如していた事を反省を込めてここで明確に記しておこう。しかし何時までも無知では無いという事である。

ただ、この投稿に対する次のような反論は当らない事はこの際記しておこう。それはこの投稿に登場していた語り手の刑事が警備課の警察官だから、警備課が刑事部の捜査にかかわるのがそもそもおかしい、と言うものだ。しかし狭山事件の捜査では、手が足らないから畑違いの部署からも沢山の捜査員が動員されていた事実がある。例をあげれば関巡査部長がそうだし、青木警部は当時少年防犯課だった。この件はこれ位にして本文に入る。

狭山事件のネット風説について

この投稿に見られる要素は思い付く限りで挙げて見ても、
 *所沢署で6時半頃捜査指示があった事
 *捜査過程で怨恨の線も捜査されていた事
 *動機には利権絡みの背景もあった事
 *被害者家族にはある秘密があったらしい事
 等がある。

で、仮に投稿自体フィクションだから初めから無かった事にして見よう。それでも、所沢署での捜査開始時刻に就いては、既に細田証言がある為、この投稿が無くても材料が既に出ている。

事件が起これば怨恨の線も取り敢えず捜査する事も、この投稿が無くても普通に考えられる事だ。現に「近所からの聞込みなどから被害者の一家をめぐる複雑な事情もある模様なので一応、怨恨説も並行して捜査を進めている」(5月4日朝日新聞)の様な記事もあった。

利権絡みに就いては当時の一般状況からして充分に有り得る話だ。治水、宅地造成、道路設置等、昭和30年代後半以降の農村地域では様々な思惑があったとしても別に不思議では無い。そこには当然カネが動く。そうした状況を想定し、それを事件の背景として仮定する事はそれほど荒唐無稽な推理では無い。

*ただし、今ではもう、事件発覚が早かったような事実は明確に否定された。利権や家族の秘密については証拠が不十分どころか皆無である。

被害者家族の複雑な事情に就いては、それこそ家族側が口を開かない限り明確な情報を得る事は不可能だが、婚礼の翌日の墓石投込みや母親の死、長女の家出同然のいなくなり方、事件後の次姉、次兄の死、長兄の手記その他から、そうした背景を推定する事も出来る。

要するに、普通に考えてもそれらの要素をある「仮定」として推理を進める事は不可能では無いと言う事である。

しかし更に混同してはならない事には、こうした作業が「推理」であると言う事だ。推理である以上、たんに既に明確になっている「事実」の積上げだけには、残念な事にはと言うべきか、どうしてもならないのである。当然そこには、どの要素をどれだけ重視した上で仮定を立てるか、と言った論者の主観に基づいた論説が入って来るのであって、これが説の分かれる所以である。

勿論その際、「仮定」の立て方にはある限度があり、仮定であるからと言って荒唐無稽に流れる事は避けるべきであり、蓋然性の高低を厳密に検討するべきで、簡単に言えば何でもありと言った「推理」は避けるべきである。そして今や筆者は、推理自体を全てフィクションと見なしている。冷静に考えれば、そう見ざるを得ないだろう。

結論として、狭山事件の検証にあたり、過去のものか現在はては未来のものかを問わず、新聞、雑誌、そして市販の本のうち特に推理物の記述は、対照資料としては無価値と断定する。ましてネット上の匿名記載は申すまでもなく当然のことであろう。

そんな事よりも、現在、狭山事件の現地事務所へアポを取って行き現地調査を実施する計画を実施中だ。これが何を意味するかと言えば、ぼちぼち「推理」から手を引くことになろう。


狭山事件サイト更新

ついでながら更新情報。被害者を狭山事件当日に第1ガードや第2ガードそのほかで見かけたと言う目撃証言は公判で明らかになっていましたが、それらの狭山事件の目撃者情報について簡単にまとめて見ました。こうして検討してみても正直、どの人が先でどの人が後なのかは、確たる証拠が無い限りは全くわからないと言うほかないのですが、とりあえず現時点での妥当な解釈を示したつもりです。

ただ、後先は解らなくとも、三人の目撃者の供述は調書に取られているし、ほかに堀兼中学校の生徒少なくとも4人が、調書を取ったかどうかは不明ですが警察から事情は聞かれていたのは確かです。

いわゆる「狭山事件石川真犯人」説の推理が、推理ではなく法理によって排除されました。この石川一雄犯人説と称するものは、推理マニアが唯一生息可能なネット上でのみ騙られる愚説で、他の全ての説とともに刑事裁判の法の原理を知らずに行われているものです。具体的には、一事不再理の原理を知らずに騙られています。狭山事件では確定判決が出ています。つまり石川一雄有罪説を検討するとすれば、確定判決の事実認定以外には検討材料は皆無なのです。これは当たり前の事ですから、これ以上は当該頁を見て下さい。此処での主題に則して言えば、推理は全て最初から、資料の選定を誤っています。

狭山事件との出会い

それはもう何年前かも忘れた程の昔。兎に角十数年は昔だった。当時、或る政治団体の裏の情報係の様な事をしていた。東京・水道橋の駅前では仕事帰り、たびたび新左翼の中核派がビラ配りをしていた。そこでわざとそのビラを受け取り、署名をし、次に行われる日比谷公会堂での集会に行くアポをした。その時のビラの内容の一部が「狭山差別裁判の反動策謀」と言ったものだったのである。

それからこのセクトの色んな集会、会合、はては三里塚でのデモ行進に迄参加すると言う熱の入り様。勿論筆者の思想内容は内実、彼らとは正反対のモノであった事は言う迄も無い。そこで縁あって、「造化の判決」と言う狭山事件の映画を見る機会があった事がそもそもの出会いであった。もとよりこの時点では事件に関する知識などほとんど皆無に近かった。関心もあまりなかったから、映画の内容もすっかり忘れてしまった。正直言って上映の最中居眠りしていた。

しかしそれが多少の切っ掛けとなった。更に個人的に決定的な契機となったのは1990年に発行された殿岡駿星氏の「犯人 狭山事件より」を読んだ事だった。これにより本件に関心を深めて行く事となった。折を見ては単独で、現地を歩いて見たりもした。当時(初期の頃)やはり左系統だが現地調査をやっている数人の人達と多少の交流もあった。

その過程で印象に残っていた狭山事件の長兄疑惑を、甲斐・殿岡両説をMIXした様な形で考えていた。この時点ではまだ亀井本の「無罪の新事実」は手に入っていなかった。

あれこれと推理をしているうちにその「無罪」を手に入れた。冷静に考えて、この本の推理部分は兎も角例の所沢署長であった人物の証言は到底無視出来ないものと考えるに至った。

長兄疑惑には相当長い間洗脳を受けていた。やはり焦点は犯人がどうやって長兄に見つからずに、自転車と脅迫状を届けたのかと言う状況への疑問だ。その疑惑をはっきりと推理したものが殿岡本であった。つまり甲斐本での「犯人X」を長兄にすれば易々とこの状況がクリア出来るではないか、と言うわけだ。

事件発覚時刻への疑惑を推理としてはっきりと書いているのは亀井本だけだ。と言うよりこれはもう、推理以前にまさにその「新事実」を、実名の事件捜査関係者の証言として、出してしまっていた。どう検討を加えても、この証言自体の信憑性は極めて高かった。この事実を引き出したのは亀井の言わばスクープであって、この件では独壇場だ。だから、他の類書にこの件がほとんど取り上げられて無い事も当然の結果だった。

こう言う、明確な証言を引き出されてしまえば、あとは謙虚にその証言を自説に取り入れて行くしか無い(但し前述の通り、現在では完全に否定された)。

雑駁に言ってこんな経緯で、本件に頭を突っ込む事となった。現地調査では被害者とその姉の墓前に焼香をさせて頂く事を欠かしたく無い。先日も事件当日午後の様な雨の中、苦心して線香に火を灯した(その後これも遠慮することにした)。

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2005/01/18
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