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狭山事件狂言説

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狭山事件を推理する「ためにする議論」とかに関係して、ちょっと思ったことには。

狭山事件議論と匿名性の幻想

野嵜健秀氏のHTMLに就いての持論は今時、頭の固い御仁と言った感じで、さしずめ、tableタグをサイトのレイアウトに流用し、それどころかswfファイルなぞを多用するわたしの様な制作者は『國賊』と言う事になるのだろう。しかし、2ちゃんねる媒体への論評は面白い。

>文章を書くとはどう云ふ事か、について、

自覺的でない人間に、文章を書く媒體を與へるとどうなるか──その結果が「2ちゃんねる」なのだと思ふ。

匿名批評に要請される覺悟なんてものを書いてみても、無駄である。ただ惡口を言つてストレスを發散したいだけの人間が、覺悟なるものを好む筈があるか。だから、今のウェブは駄目なのである。

2板に限らず一般的に、ネット上では匿名性がその特性と認識されている。ハンドルネィムなどと言った処で、所詮は『偽名』に過ぎないのだから。それに輪をかけたのが勿論2板で、ここでは偽名さえ使用する事を怖がる「名無し」が徘徊する。

もっとも、偽名だろうが名無しだろうが、ひとたび言論と言う事になれば、その評価は「内容の質」だけに集約される。

実はネットの「匿名性」なぞと言う物はある種の錯覚に基づく幻想に過ぎなく、匿名どころか、これが電話回線を通じた通信であって見れば、それなりのスキルと「組織の力」さえあれば、個人の特定など実に他愛も無く簡単に出来る(その「組織」ってモノが公権力に基づく物で無くてもね)。ネット上での発言よりも、ちょっと前にわたしがやっていたみたいに池袋の駅前で姿を曝して街宣をやる事の方が、よっぽど匿名性が高いと言う、所以である。

であって見れば増々、ネット言論の要点がその「内容」に集約される、と言うさっきの結論となって来る。

何故か。
何らかの理由での個人特定を発動する以前の段階としては、要するに顔も名前も解らぬと言う事は、その発言者が、どんなにお偉い個人なのか、或いは実生活では誰からも相手にされぬ惨めな人間なのかと言った発言者固有の属性抜きに、発言した内容「それ自体」でもって評価される、ト言う訳だ。

つまり。匿名性が高ければ高い程に、個人の属性などは当然ながらどうでも良くなり発言の内容だけが、おのれの「人物像」を形作ると言う事になる。逆に言えば、全ての世間的な属性が取り除かれた場所では、発言者の頭や習癖の程度具合マル出しと言う結果に。

何しろ、実生活では多少馬鹿でも許されている者でも、外見や地位その他の後光を取り去ってみれば、残るのはその「馬鹿さ加減」だけと言う事になるのだからね。

自分(の意見)を、文章だけによって表現すると言う事は、実はとてつもなく困難な事だ。その困難な事を、一見安直そうに見える2板などの様な他人から与えられた媒体でやる事は、自分がやろうとしている困難さを充分に意識しないうちは、やらない方が身の為だろう。

そう言う甘ったれがネット上では通用すると思うのは錯覚で、実はそれは逆なのだ。世の中、それでもレスを付けてくれる優しい御仁やオノレの同類と言った手合いは、実は極僅かしかいないし、進歩が無ければ全然居なくなる。

甘ッたれるな

今に始まった事でもありませんが、またゾロネットで知り合った自殺志願者が集団自殺を挙行したらしい。筑紫哲也は「若者達は何故こうも死に急ぐのでしょうか」ナゾと例によって解ったような(解らないような?)受け答えをしているヨ。自殺者は睡眠薬を摂取した上、車中で練炭を炊いたらしい。

わたしは筑紫の如き綺麗ごとを言って、「自殺」する事或いは者自体に、批判めいた事を言うつもりは全然無い。人間、他人には計り知れない様々な理由から、自らの意志で死を選ぶ事があり得、それを「自殺する理由を持たざる者」の側から安易(低レベル)な批判を加える事の方が愚劣です。

自殺者にはそれぞれきっと、深刻な事情があり、それはそれこそその当人にしか解らぬ事があったのしょう。

但し。
コレらの自殺者(集団)が情けない事には、なにしろ「ネット」で同志を募って、「集団」をこしらえなければ、「自殺」さえ出来ないと言う甘ッたれさ加減。
所詮は極めて個人的な営為(或いは運命)である自らの「死」を、ネット上に垂れ流した揚句に仲間?を募ってまでしないと自己のモノと出来ぬ者とは何者か。

ここには二つの顕著な習性が見て取れる。
一つには、自分では何も出来ない(しない)。
も一つには、インターネット(の掲示板)で事を済ます。
この二つが相まって、自分一人では自殺(すら)出来ぬ者が、ネット上で仲間を募り集団で連れ死にをコクと言う、ミットも無い行状がメディアで垂れ流されるって事になる。

自殺なぞと言わずとも、こう言う甘ッタレは掲示板に多いぞ。手に入る資料は蒐集するなり、図書館に行くなり、それこそネット上を検索するなりト言った、誰にでも出来る努力は何もして見ないうちから「質問」だの「解りません」だのと称して、誰ゾに回答を求める御仁がござっしゃる(まぁ初心者なのか釣りなのかは別として)。
ソレにまた、ご親切にもト言うべきか、わざわざウ゛ァカ丁寧に解り切ッた解説をホドコすのが得意な御仁もおらっしゃって、実に藁えるんだ、コレが。

他方。
アイニクと当方は、そう言う御仁には少しも優しくも親切でも無いもんで、先方にとっては喰えぬ事この上なからうが、これは仕方が無い。
わたしにしても、初めは何事につけ、誰かに質問をしたい位な初心者であった時期もあった訳だが、質問は程度モン。オノレで調べられる事程度は、一応調べて見るモンだ。勿論その上で、法医学者や民俗学者などの専門家に質問をぶつけた事は多々ある。むしろこちらが門外漢である以上、今後共折に触れてそれらの質問は実施して行くであらう。

インターネットと言う媒体が、ある種「質問と回答」の程度を何やら甘ったれた、劣悪なものにしている側面が目立つ様に思える昨今だ。その行き着く処に、「ネットで仲間を募って連れ死に」と言う現象があると感じたものである。

狭山事件狂言誘拐説

狭山事件の真相は被害者とその同世代の知り合いが、家族をちょっと困らせようという計画から始まり、結果的に死んでしまったといういわゆる狂言だったという推理を提案された方がいました。その説をわたしなりにまとめたものです。狭山事件は物証や関係する人物たち、自殺した人の多さなど、多数の複雑な要素が含まれた事件ですから、推理者はその全てを考える必要があります。すると考え過ぎて、事件の背景に黒幕が居たとか、被害者家庭にある秘密があるとか(それを匂わせるような報道も狭山事件当時あったようですが、決定的な事実は皆無です)事件の謎を解くために仮説を積み重ねた結果、自分で謎を多くしてしまうことも多々あります。

この狂言誘拐説は、そのあたりをシンプルに考えた結果との事でした。ユニークな推理であると思いましたから、特に1頁を割かせて頂きました。

狭山事件狂言のような推理が出てくる背景として被害者一家になにか秘密であるとかあるいは家族関係又は姉妹の仲が悪かったとの想定があるでしょう。特に一審裁判での証言(の一部)から、姉と妹との間がある程度険悪なものだったとの想像もありました。しかし現在では、姉妹の間に、事件の原因や動機となる何らかの確執や諍いがあった事実はありません。*むろん現在ではこうした推理はもう結構ですが、これもひとつの思い出です。

狭山事件発覚と脅迫状

事件当時に所沢警察署の署長だった細田行義氏と言うひとが居ます。1977年に出版された亀井トム氏の「無罪の新事実」で、この細田氏が、脅迫状が着いた筈の午後7時半過ぎよりも前に、誘拐事件発生により西武園の捜索を県警本部長から直々に命ぜられた、と言う証言をしています。

狭山事件の脅迫状と筆跡の問題とはまた別に、この証言に着目して、現在迄に明かになっている事実と付合わせを行い「狭山事件脅迫状の謎」としてまとめてあります。

細田氏自身は、この取材の後になって、どうも証言(取材結果)を否定されたようです。77年当時の狭山事件裁判の状況は、上告と判決確定に至る段階でした。弁護団として正式に証言を得たものではありません。

もし細田証言どおりだとすると、脅迫状を発見した時の状況を被害者の父と兄が供述調書と法廷証言で詳しく述べているのに、それは全部嘘と言う事になりますが、何故でしょうね。この動機とメリットについて、いま迄もいろいろ推理されていましたが、相当な無理があります。

ですが今回はとりあえず、この細田証言を前提とした狭山事件の発生時刻を考え直して見ましたが、やはり可也無茶な推理のようです。 2004-10-2

原資料による狭山事件検証

既に行って来たように、推理の余地つまり不確かな要素の入らぬ着実な方法論として、狭山事件被害者の死体が語る現象とそこから認定出来る犯行実体を追求すべく、法医学的考察を実施し、今後も試みて行きます。他にも、一審二審の裁判で明かにされた各種証拠類に直接当った検証をも考えています。それを進めた結果、今後狭山事件検証の方法論としての推理と推理する事自体の扱い方を、再考する場合も十二分にあるでしょう。

狭山事件議論はそろそろ終り

そして。特にネット上の掲示板、その他を通じた狭山事件(の真犯人推理)の議論をやって来たが、おそらくもうじき終りな気がする。本やネットで調べられることにも当らず、また当ったとしてもその理解が稚拙で、且つ金を出せば手に入る市販の本やこのサイトのようにたゞで手に入るネット上の情報を頭の中と口先でいぢくるだけで、自ら動こうとしない連中におつきあいするのは無駄だから。多分極めて近い将来、議論をもうやめ、議論をする者を置き去りにし、狭山事件については自分だけで勝手にやる日が訪れる。*なお、この後、最終的に、2005年5月をもちまして、真犯人の議論は、完全に終了致しました。

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2004/07/25
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