切り裂きジャックの正体←移転先

切り裂きジャックの正体

We are currently doing server relocation.

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--/--/--

We are currently doing server relocation.

狭山事件の真相と同様、切り裂きジャックの真相は、百年以上が経過した現在でも不明だ。いやむしろ狭山事件の場合はまだ十分な証拠が残っているが、切り裂きジャック事件では余りの歳月が経ってしまった結果、証拠も散逸しますます迷宮を深めたと言っていいだろう。2014年には新たなDNA鑑定も行われ真相判明が伝えられたが、直ぐさま鑑定は誤りだったことが明かとなった。

切り裂きジャックの真相

狭山事件は冤罪であることをさておいて、極少数の推理マニアによって一時期さかんに詮索され、一部では「猟奇事件」扱いをされてきた。しかし、猟奇事件と言うならば、切り裂きジャックのような事例を挙げるほうが適切だろう。

解決-切り裂きジャック事件:表紙画像

切り裂きジャック」日本語版:パトリシア・コーンウェル
Portrait of a Killer Jack the Ripper Case Closed
November 11, 2002 - Patricia Cornwell

を、遅ればせながら読んでみた。たまたま別の本を探していると、ハードカバーの元々の定価の十分の一以下の価格で古書が出ている事に気がついたので。但しあらかじめお断りしておけば、かつて見られた狭山事件真犯人の推理のように、別にこの事件の真犯人が誰かに興味があったのではなく、むしろ19世紀末のロンドンの捜査事情と、日本では専門家以外に余りよく知られない画家シッカートの生涯のほうに関心があった。

切り裂きジャックと画家シッカート

"Jack the Ripper"
を名乗る手紙と、英国の画家
Walter Richard Sickert
が記した現存している手紙類から、ミトコンドリアDNAを抽出して検査した。その結果「Jack the Ripperの手紙」2通と、シッカートの手紙2通に、同一の塩基配列が見られた。

「Jack the Ripperの手紙」
とシッカートの書いた手紙の便箋に、同じ「A Pirie and Sons」(製紙会社名)の透かしが入った品物が見られる。

シッカートは時々、W、R、St、W.St.などのサインを使用していたが、
「Jack the Ripperの手紙」
の中にも「R.St.W」と言うイニシャルを記したものがある。

シッカートは後年、ジャック・ザ・リッパー事件を題材にしたと思われる絵を描いている。その中のひとつは題名そのものが「切り裂きジャックの寝室」となっている。

切り裂きジャック 手紙の真相

著者が「ジャック・ザ・リッパーの手紙」と呼ばれる書面を真相解明の突破口とし、重要な遺留品であり資料と見ている事は明かだ。当サイトのテーマでも狭山事件と手紙の問題があったのが思い出されるが、切り裂きジャックの手紙なるものは少し意味が違う。誰が書いたのかはもとより、同一人物なのか、ましてや本当に切り裂きジャックの手紙なのかが不明だからだ。もっと正確に言うと「ジャック・ザ・リッパー」は手紙に書かれた差出人の自称であって、手紙が全部いたずらで犯人が手紙の差出人とは別人であるのなら、これらの書簡を元にこの事件の真相や犯人の正体を探ることは無意味なものとなるし、この場合にはそもそもこの事件自体「切り裂きジャック事件」とは呼べないことになるのを、一応頭に入れておく必要はある。

切り裂きジャックの一番最初の手紙と呼ばれているものの文面を掲げよう。

Dear Boss,
I keep on hearing the police have caught me but they wont fix me just yet. I have laughed when they look so clever and talk about being on the right track. That joke about Leather Apron gave me real fits. I am down on whores and I shant quit ripping them till I do get buckled. Grand work the last job was. I gave the lady no time to squeal. How can they catch me now. I love my work and want to start again. You will soon hear of me with my funny little games. I saved some of the proper red stuff in a ginger beer bottle over the last job to write with but it went thick like glue and I cant use it. Red ink is fit enough I hope ha. ha. The next job I do I shall clip the ladys ears off and send to the police officers just for jolly wouldn’t you. Keep this letter back till I do a bit more work, then give it out straight. My knife’s so nice and sharp I want to get to work right away if I get a chance. Good Luck.

Yours truly

Jack the Ripper

Dont mind me giving the trade name

PS Wasnt good enough to post this before I got all the red ink off my hands curse it No luck yet. They say I’m a doctor now. ha ha

有名な文句「やあ、ボス」で始まるこの手紙以外にも、切り裂きジャックを名乗る手紙は多数あり、それぞれに筆跡が異なるので、やはり当時のいたずらだろうと見られているのだが、コーンウェルによると、画家のシッカートは筆跡をいつわるのは容易かった筈と推測する。なるほど画家であれば、筆の使い方には習熟しているだろうから、いろんな筆跡を使い分けるのも可能とも推測出来よう。例えば手本や見本を見てそれを真似ると、絵描きなら見本どおりの字が再現出来るのかも知れない。こうしたことは、狭山事件でも脅迫文を雑誌から漢字を拾って書いたとされており筆跡が重要問題となっている。狭山事件の場合には、シッカート真相説とは逆に、犯人とされた書き手が文字を書く事に慣れてなくだから本を辞書代わりにしたと(判決で)されているのだが。だが「ジャックザリッパー」を名乗る手紙は全ていたずらと看做された結果、筆跡が真剣に捜査された形跡は無かった。

切り裂きジャック シッカート真相説

上に挙げた事実等々の、多数の事柄が調査の結果として記され、ジャック・ザ・リッパー=ウォルター・シッカートとほぼ断定していると言うのがこの本の(既に良く知られた)内容。

切り裂きジャックの真相とDNA鑑定

狭山事件のDNA鑑定は資料が破損・散逸してしまっていてムリだが、コーンウェルは百年以上も前のこの事件の調査でそれをやった。検体総数は55点で、ジャック・ザ・リッパーを名乗る手紙の封筒と切手、シッカートの封筒と切手、彼の使っていたカバーオール(エプロン)、エレン・シッカート(妻)の封筒。これらから分析感度の高いミトコンドリアゲノムを抽出して実施した。

ミトコンドリアDNAの検査結果に関しては、シッカート自身のDNAサンプルが無い為に、これだけで犯人と断定する事は出来ないと著者も認めている。尚このミトコンドリアDNAの採取元のひとつには、シッカートが絵を描く時に使っていたエプロンがある。数十年も前のもので、当然、洗濯してあるやつだ。つまり、ミトコンドリアDNAはお洗濯をしても検出可能ということだ。このことから、狭山事件でもDNA鑑定が可能なのではと思って弁護団に近い人に聞いてみたのだが、残念ながら現在では不可能だった。それに、この切り裂きジャックに関するDNA検査も、時代が経過し過ぎてサンプル自体が著しく破損していた可能性が高い上、そもそも手紙から検出したDNAをジャックザリッパーのものと断定することは出来ない。手紙そのものを切り裂きジャック事件の犯人が書いたとは断定出来かねるからだ。

ミトコンドリアDNAを採取した「Jack the Ripperの手紙」と呼ばれるものは、事件当時は一般市民によるいたずらと見られていた。犯人と名乗ったり、警察やお偉方や有名人を匿名や偽名でからかうと言う低級な憂さ晴らしは、当時としてもおおいに有り得る事で、インターネットが普及した現在の状況と比較すると、パソコンもネットも匿名掲示板も無い時代には、こうした投書がそれだったのだろう。このさまを知って、狭山事件でもDNA検査が出来るんじゃなかろうかと、つい思ってしまったのであった。

でこの本を読んだ後も、それらの手紙類が当時からそう見られていた通りのいたずらなのか、中には本物の犯人からのものもあったのかは解らんのですがね。

写真-カムデンタウンの殺人
"The Camden Town Murder or What Shall We Do about the Rent?"写真-ジャックザリッパーの寝室
"Jack the Ripper's Bedroom"

切り裂きジャック動機の真相

この本はある意味で、画家ウォルター・シッカートの幼少期からの私生活や絵画論の詳細にわたる伝記にもなっている。そこから、シッカートがジャックザリッパーだったとして、では動機は何だったのかについても導き出されている。シッカートの性器には瘻孔=ろうこう、異常な開口部があった。原因は先天的な奇形のほか、炎症により器官や組織と体表との間に通路が出来、そこから尿や糞便、膿が排泄され、膀胱と腸あるいは子宮などが繋がってしまい、非常な苦痛を伴う悲惨な場合がある。シッカートはこれを治すための手術を5才までに3回も受けたことから、この奇形が重篤な障害で場合によっては生命の危険に関わるものだったと推測される。

手術が行われた19世紀当時、施術の際の麻酔法は確立されていなかった。だから、子供が生殖器に受ける外科的処置は、悲惨な苦痛を伴い、生涯その恐怖が記憶に留まることが推測される。

著者はこのことから、手術の後も、シッカートが勃起不全か非常な痛みを伴うことになった可能性を指摘し、又、彼の絵からも性的不能が象徴的に表現されたような痕跡を指摘している。

切り裂きジャックの犠牲者、少なくとも公式に被害者と認められている5人は全員、売春婦だった。この著作以前にも、このような女性達に対する深層心理的な憎悪が動機として取りざたされた事があった。シッカートの動機もこの面で説明されている。

更に著者は、ジャックザリッパー事件が公式認定通りの5人だけでなく、その前後の殺人事件をも含めて、切り裂きジャックの犯行と推定している。5人とされる切り裂きジャックの被害者の前後の殺人事件は、手口の違いから別の事件とされているものだ。その中にトルソキラーとかトルソミステリーとか、或いは現場の名前からホワイトホールミステリーとかピンチン通りの殺人とか言ったと思うが、女性の胴体が発見された事件もあった。

切り裂きジャックの真相仮説

切り裂きジャックの真相を推理した諸説に於いて、シッカートの名が現れたのは本書が始めてではない。1976年にイギリスのジャーナリスト、スティーブン・ナイトの著作
「切り裂きジャック最終結論」"Jack the Ripper. The Final Solution"
が上梓されこの中で、シッカートの庶子と称するジョセフ・シッカートなる人物の告白が紹介され、それによると、1880年代半ば、ウォルター・シッカートはロンドンの繁華街で皇太子クラレンス公エドワードと知り合った。クラレンス公はシッカートに紹介された巷の女性と秘密結婚し二人の間に娘が生まれたが、結婚の時の立会人が、切り裂きジャック5人目の犠牲者となるメアリー・ケリーで、皇太子のこのスキャンダルを隠蔽する為、セシル首相が王室の侍医ガル医師に処置を命じ、ガル医師は御者を実行犯としてケリーやそのほか事情を知り得る娼婦達を亡き者にした。この話は切り裂きジャック事件に関するいわゆる「王室陰謀説」の最も有力な出所になったと思われる。

しかし、この本がベストセラーになると、事実関係について厳しい批判に見舞われ、結局、シッカートの庶子を名乗っていたジョセフは全部嘘だったと白状するハメになった。

画家シッカートと切り裂きジャック事件の関係性は、このように間接的なものだったのだが、コーンウェルの著書では、シッカートの私的生活と画家としての伝記的個人史・絵画の分析、広汎な資料蒐集と、冒頭で取り上げたDNA鑑定などの科学調査を駆使し、これまでに出たたんなる風聞と伝聞及び著者自身の推理だけに基づく似非研究とは、完全な一線を画している。

少なくとも、狭山事件の犯行の真相について日本で出版されて来た凡百の推理書籍と比較した場合、数億円と言われる巨額の調査費はさておいても、芸術論から科学分野に及ぶ視野の広さと、緻密な論考とに於いて、本書の足許にも及ばぬ。

DNA鑑定で切り裂きジャックの真相判明?

2014年の秋、切り裂きジャック事件に関してひとつの進展が見られた。それは、被害者の一人キャサリン・エドウズの所有物だったとされるショールに、精液が付着していたのでこのDNAと、事件当時首都警察=スコットランドヤードも有力容疑者のひとりとして目をつけていたユダヤ系ポーランド人アーロン・コスミンスキのそれとが一致したとされた。より正確に記せば、まずエドウズの持ち物とされるショールとエドウズの子孫のDNA鑑定の結果、ショールが真実に被害者キャサリン・エドウズの物である可能性が高まった。更にショールに付着していた精液とコスミンスキの子孫とのDNA比較により、ジャックザリッパー=アーロン・コスミンスキの結論となった。

ところが、このDNA鑑定自体が全くのミスに基づくもので、この結論は早急に否定されてしまった。狭山事件でもそうだが、調査や鑑定の元となる資料の選定と、対照資料の選定、及びこれらの取り扱いを誤ると、全く別の結論に達してしまうのだ。

但し、エドウズのショールに付着していたとされる精液が本当に存在するならば、例えば、このDNAとコーンウェルが検査したDNA検体とを比較することにより、コーンウェルの論考の是非をある程度、確認することは出来る。

切り裂きジャック現場地図
ジャックザリッパー事件地図=拡大可
  1. バックスロウ=メアリ・アン・ニコルズ
  2. ハンバリーストリート29=アニー・チャプマン
  3. バーナーストリート=エリザベス・ストライド
  4. マイタースクエア=キャサリン・エドウズ
  5. ミラーズコート=メアリー・ケリー
  1. グールストンストリート=落書きがあった場所

切り裂きジャック二重殺人事件

なお、キャサリン・エドウズは一般に言われている切り裂きジャックによる4人目の犠牲者で、この殺人はその前、第3の殺人であるエリザベス・ストライド殺害の約40分後に発生した。この二つの犯行が時間的に近接している為、二重殺人事件と呼ばれている。ここで「一応定説」となっている切り裂きジャック事件の5件の殺人について簡単に示しておこう。

切り裂きジャックの真相 5件の殺人

第1の殺人=1888年8月31日。現場はホワイトチャペルの路地裏「バックスロウ」。被害者は娼婦メアリー・アン・ニコルズ(42歳)。頸部・腹・陰部が切られており、内蔵が露出。

第2の殺人=9月8日。ハンバリーストリート29番。犠牲者は娼婦アニー・チャップマン(45歳)。喉を切り裂かれ腸が肩に引きずり出されていた。子宮と膀胱は持ち去られていた。そしてこの後の殺人事件が、DNA鑑定で話題になった事件だ。

切り裂きジャック第3事件

第3の殺人はバーナーストリートで行われた。殺害方法は他と同様に頸動脈切断によるものだったが、これまた同様に死者の腹部を切開しようとしていたところに、発見者の露天商がやって来たので犯人は犯行を中止して逃走していた。

この第3の事件では犯行直前に現場付近に居た犯人と被害者と目される男女が目撃され目撃者は6人いる。しかし、6件の目撃談には差異があるため容疑者を一人に絞り込むことは出来なかった。被害者と見られる女と一緒にいたと言う男の人相と服装の特徴が、それぞれの証言によってばらばらだったのだ。

切り裂きジャック第4事件

DNA鑑定で犯人特定とのニュースで話題にのぼった切り裂きジャック4人目(とされる)の犠牲者キャサリン・エドウズは、第3の殺人が起きたバーナーストリートから徒歩15分程度の処にあるマイタースクエアなる四方百メートル程度の小広場で殺害された。遺体は、第3の事件で実行出来なかった鬱憤を晴らすが如く、喉を切ったあと腹部が切開され内蔵が引き出され、顔面を切り刻まれていた。

第5の殺人=現場はミラーズコート。殺害されたのはは売春婦のメアリー・ジェーン・ケリー。この犠牲者だけは25歳と若かった。切り裂かれ具合は最もひどく惨い。首と左腕は胴体と離れんばかりに切り裂かれている。両乳房・鼻・額の皮は剥がされていた。大腿は脛まで裂かれ腹部は縦に切り裂かれて臓器が抜かれて空洞になっている。肝臓は両脚の間、剥がされた皮膚・乳房・鼻などはテーブルの上に積み上げられ左腕が腹部の侵襲箇所に押し込まれていた。

写真:メアリー・ケリー、死体の惨状

メアリー・ケリー、死体の惨状

切り裂きジャック捜査の混乱

DNA鑑定の元になった切り裂きジャックの第4の殺人には二つの要素がある。一つは、殺害現場がそれまでの事件が起きたヤード=首都警察の管轄区ではなく、特別行政区シティの警察組織であるシティ警察の管轄であったことだ。これにより、同一犯人の犯罪が二つの警察組織にまたがる事になり、縄張り争いや面子の為、捜査が混乱する原因となった。

切り裂きジャックが残した証拠

二つ目の要素は、犯人が遺留品と痕跡(らしきもの)を残していたことだ。遺留品は被害者の白いエプロンで、犯人はこれを切り取ってドーセットストリートへ逃げた後そこの水道で血液を洗い流しエプロンの切れ端で手を拭ったらしい。「痕跡らしきもの」の方は、この血まみれのエプロンが落ちていた真上に『ユダヤ人になにか文句があるか』若しくは別の翻訳では「ユダヤ人は何をやってもお咎めなし」と言う意味の白いチョークの落書きだった。和訳がいろいろになるのはこの落書きの文法が間違っているからだ。このあたり、狭山事件の脅迫状にどこやら似てなくもない。それは兎も角、この落書きが本当に切り裂きジャックが残したものかどうかは確定出来ぬが、いずれにせよこの地点を管轄していたスコットランドヤードのウォーレン総監は、ユダヤ人に対するあらぬ感情を刺激し不測の事態を招く恐れがあるとして、落書きを直ちに拭き消してしまった。シティ警察の捜査員は抗議したが、ヤードの管轄地であるとして受入れられなかった。従って、この落書きの筆跡が如何なるものであったか、永久に不明だ。

第3第4の殺人の間にはもうひとつの要素として特筆される出来事があった。9月30日の二重殺人事件の前、9月27日に、ジャックザリッパーを名乗る最初の投書が通信社に送られて来た。これによって、今日に至る迄、この事件と犯人がジャックザリッパーの称号を得ることになった。

切り裂きジャックの真相は永遠に謎

19世紀当時の捜査体制や捜査技術が今日の基準で見れば不満足なものであったが為に、切り裂きジャック事件が迷宮入りしてしまったことはやむを得ぬこととしても、このように証拠が破棄されてしまったことは、後世のリッパロロジストにとっては極めて遺憾なこととなった。よって、犯人の正体と事件の真相は永久に謎として残ることだろう。但し、DNAの検出などによって、過去に推理されたある容疑者が犯人に非ざることを立証し、以て消去法的に犯人候補の幅を狭めて行くことは出来よう。このようにしてあらゆる説や推理をひとつずつ排除して犯行像を確定する手法は、此のサイトの検証でもある時期から用いて来た手法だ。おぼつかない証拠や証拠とも言えぬ風聞やあらぬ想像から犯人は誰かを言うのではなく、逆に誰が犯人の容疑から外されるかを立証する方が、はるかに確実だ。

2013年で狭山事件も半世紀を経過したが、もはや百年以上も経ってしまった切り裂きジャックの場合には、厳密な意味で証明力を持つ証拠は完全に散逸したものと見られる。これは永遠の謎と化したことを意味する。逆に謎だからこそ、推理の余地があるとも言えよう。しかも一世紀も前の事件では、狭山事件真犯人の推理の如き無実の人に対する被害の懸念は僅少だ。

バラバラ殺人と切り裂きジャックの真相

一般に切り裂きジャックの犯した犯罪は、1888年8月31日から11月9日の間に発生した5件の殺人事件とされている。しかしその前後にも首を切られたり腹部をメッタ刺しにされたりした殺人が何件もあった。切り裂きジャックの犯行とされる9月30日夜の1時間足らずの間に起った第3第4の殺人から二日後、10月2日火曜日、ホワイトホール近くのスコットランドヤード新庁舎建設現場で、首と手足が切り取られ蛆のたかった女性の胴体が発見された。発見された時、胴体は古い布で包まれいろんな古いヒモでぐるぐる巻きにしてあり、発見者の大工は「てっきり古いベーコンか何かだと思った」。更に、切り裂きジャックの興奮が既に忘れられようとしていた翌年の1889年9月10日には、ピンチンストリートのガード下で頭と脚を切断された女性の死体が見つかった。

これらはホワイトホールミステリー、及びピンチン通りの殺人などと呼ばれている。このほかにも小指がなかったり、喉を切り裂かれたり、バラバラに切断されたりした死体が、1902年までに発見されそれぞれ迷宮入りしている。手口の違いから、切り裂きジャックの犯行とは別と看做されているが、パトリシア・コーンウェルはこれらの殺人事件も、一連の犯行と見ている。

切り裂きジャックと狭山事件推理の類似性

これほど迄に膨大な資料と広範な取材、科学鑑定を基礎に構築された著作を読んでいると、シッカートが怪しく思えてくる(少なくとも、過去に提出された他の様々な説よりは格段にまともな調査を行なっている)が、読んでいてやはり目につくのは「何々かも知れない」と言う言葉の多発だ。

「かも知れない」
この言葉は本書に於いては、シッカートが犯人である可能性を高める方向で使用されるが、逆に「ではないかも知れない」と言う可能性も否定出来ぬのは当然だ。

かも知れないという仮説を重ねて行くと、とんでもない方向へ行きついてしまうのでは、と言う思いが、このサイト(当サイト)を作り続けて次第に厳密さを追求するようになってから次第に強まり、狭山事件推理の字句は取り下げ、たんに推理を終了しただけでなく、何ゆえそれが無効であるかをも、完膚無き迄に提示した。

推理なるものが、結局確たる証拠に基づかず、むしろ証拠を恣意的に解釈し、時には証拠に非ざるものを証拠として誰彼構わず犯人扱いして来た厳然たる事実を、この本を読むにつけてもあらためてまざまざと思い知らされる。こんな行為と言動にホトホト嫌気がさしたから、此のサイトでも狭山事件裁判に提出されたような証拠能力を最初から備えた資料を検証の元にしている。

差別問題と切り裂きジャック捜査

ある種の人間、或いはある特定の人物を、曖昧でどちらとも取れる根拠で犯人に仕立て上げるのは誰にとっても容易な事で、結局それは警察が犯した誤りを自分自身が行ない、またしても犯人をでっち上げる事になりはしないか、と言う思い。「殺人事件は謎解きではなく、私の仕事はそれと闘う事にある」と著者は本の初めのほうで記している。「殺人事件の検証などを続けて行くのが、少々イヤになった」と言うのが読後感で、それでも続けるとしたら、それはやはり狭山事件の場合には冤罪被害者の存在と言う重い事実だけが理由として残る。

念の為重ねて記しておくと、この本はこの事件を扱った過去の書物と比較すると、格段に精密且つ広範囲及び科学的な調査をした結果となっている。過去に出た他の全ての真相と称するものは、結局薄弱な根拠しか無かった。例えば「王室陰謀」等は、現在では、上に書いたように山師の大嘘が元になっていた事が判明している。面白い映画のストーリーに採用されていたせいか、これが「定説」だと思い込んでいる人も少なくないようだ。

それ以外であると、「レザーエプロン」(屠畜場勤務者の意)「ユダヤ人」等、要するに「あんな事をするのはそう言う連中に決まっている」と言う「推理」が、事件当時から出回っていた。厳密な証拠に依らないで犯人扱いにするという差別の構造は、今昔、国柄を問わず存在するものである。

英国には既に、この事件から77年も前に、ラトクリフ街道の殺人と呼ばれる残虐な猟奇事件があった。これの時も、犯人は外国人即ちよそものに決まっていると言われたものだ。切り裂きジャックに関する本書は、このラトクリフ殺人事件の著作とともに、殺人の手口そのものの猟奇性への単なる悪趣味な嗜好でなくて、19世紀の時代背景と当時の捜査のあり方、そして現代にも基底部で共通するある種の深層意識を知る為の著作として読むのが良かろう。

スポンサーサイト
2011/01/19
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。