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狭山事件遺体と手紙

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狭山事件遺体の真相

狭山事件の遺体に関する新たな鑑定書と、石川一雄氏が書いた手紙に関係した頁を更新しましたからまとめてお知らせするとともに、関係頁をリンクしておきます。

遺体が語る狭山事件

狭山事件の遺体発見は、脅迫状が発見されて被害者の父兄がこれを駐在所に届け出た時点から捜査が始まり、脅迫文に書かれていた佐野屋での狭山事件の犯人取り逃がしによって、翌日から公開捜査となり山狩り捜索が行われた事件の経過の中で、いわば第三の山場です。

被害者の遺体は、本件の犯行様態を最も端的に示した最大の証拠と言って良いでしょう。遺体の解剖と鑑定から、犯人の行動を客観的に示す事実が多数発見される事になりました。同時にそれは、石川さん無罪の事実をも示しており、有罪を主張する検察官と、有罪の判決を下した裁判所との攻防の主要な論点ともなった点です。

狭山事件遺体の新鑑定

殺害方法を中心とする遺体に関する新鑑定のお知らせ。

2008年5月23日、弁護団は関西医科大学の赤根教授による法医学関係の新鑑定書を提出した。赤根鑑定は確定判決と第2次再審の特別抗告棄却決定が認定する殺害方法と、死体の芋穴への逆さ吊りを否定する法医学鑑定である。

狭山事件では二審の確定判決迄、捜査段階の五十嵐勝爾鑑定による扼殺と、検察官が主張した芋穴への死体隠蔽の為の逆さ吊りをそのまま採用して有罪認定の根拠としていた。再審請求段階に入ると、弁護側の重ねての新証拠提出により、裁判所は扼殺に加えて絞殺の可能性を言うようになり、検察側も殺害方法については絞頸=索条物による首絞めの可能性を考慮せざるを得なくなった。手で首を絞めたと言う「扼頸」と「絞頸」を併用した殺害方法を主張し始めたのである。これが第2次再審で検察側が提出した石山鑑定書である。

死体所見によって、確定判決迄の殺害方法であった扼殺では説明不可能な疑問が生じた結果、それを説明するために扼殺絞殺の併用論を取り入れて来たものである。このように、検察側は殺害方法に於いて主張を後退させた。

この石山鑑定に言わば追い打ちをかけるものが今回の赤根鑑定で、これによって、狭山事件に於ける殺害方法の謎が大々的に解明されたと言って良い。この鑑定では、被害者の首にあった線条痕と蒼白帯の分析と、背中と体の正面に見られた両側性死斑の分析によって、自白と判決認定のような殺害方法が問題外であることを明快に否定した。

狭山事件と死斑の問題については、此のサイトでも既に初期の検証として「狭山事件死体現象」の頁で、客観的事実関係を追求した最初の試みとして自分なりの考察を加えてみたが、これが専門家の鑑定によって明かとなった。

今後これらの法医学問題は、此の狭山事件サイト本体で詳しく検討する必要がある。法医学分野は(に限らず狭山事件の鑑定に関わる分野は全て)専門外の者には難しい部分が多々あるから、場合によっては数年の時間はかかると思うがいずれ、法医学検証としてまとめて紹介したい。

上に述べた法医学鑑定についてまとめてあります。内容は確定判決から現在に至るまでの裁判所の認定と、二審以来争点となって来た弁護・検察双方の鑑定書、特に五十嵐鑑定及び石山・赤根両鑑定の論点、加えて狭山事件推理で行われて来た言説を取り上げました。

狭山事件と遺体の論点

狭山事件トマト小豆=法医学関係の頁に、両側性死斑・石川さん無罪の絶対的論証、と題した一文を追加しました。狭山事件に於ける法医学方面に関心を持ち、それについて調べていた頃より頭の中にあったお題ですが、「誰がどう反論しても、もうどうしようもない断言」として、掲載しておくものです。これはもちろん、推理などと言うモノではありません。お題どおりの絶対の事実です。

こう見て来ますと、当時の警察、検察並びに当該裁判所は、石川さんを犯人としてでッちあげた事は勿論ですが、石川さんのみならず、地上のなんぴとたりとも犯行不可能な作文をも作り上げた、としか言いようがありません。

この「死斑の事実」を覆すためには、これは半分は冗談ですが「ニュートンの法則」を覆す事が必要です。即ち、地球上のある場所では重力の作用が大幅に異なる事、及びその場所と日時が昭和38年5月1日の狭山市であった事を証明しなければなりません。なぜなら死斑と言うものは重力の作用によって出来上がるからです。それにより、本件被害者に於ける死斑形成及び定着のあり方が変化し、ことによったら上記「死斑の事実」を打破する事が可能となります。筆者が敢えて「絶対的」と断言出来る理由がそこにあるわけです。

狭山事件遺体関係頁

既に「狭山事件遺体埋没」と題して、死体そのものとは別に、発掘時に発見された荒縄・タオル・手拭いなどの遺留品について、確定判決での判断も参照しながら検討しました。死体を埋設する時に発生する残土の問題、埋め方そのものの論点も検証しています。

これらの、法医学的観点と埋没状況から更に「狭山事件公判調書」に現れた法廷に於ける各証拠関係の検討によって、「狭山事件目撃情報と遺体発見場所」の頁を設置しました。実況見分調書と、二審第44回公判で取り調べられた遺体発見現場の証言から、例えば玉石は発見場所には普通には無かったものであるがゆえに領置された等が明かとなりました。同時に、被害者のYさんを事件当日に目撃した奥富少年を捜査したとの供述もあります。よってこの機会に、中学校の担任だったA先生の目撃談も含めて被害者の目撃情報を総合的に検証してあります。

狭山事件手紙の真相

先に狭山事件手紙の手本と題して、浦和拘置所看守の証言を検討しました。石川一雄氏が起訴されてから一審の裁判を経て死刑判決を受け、控訴して東京拘置所へ移監されるまでの間、浦和拘置所に在監中に書いた手紙類の全部について、この看守が手本を書いていた事実が明かとなっています。

東京拘置所へ移ってからは、やはりそこの看守に字を教わっていて、やがてこれが本格的な「授業」になります。

関源三への手紙

このようにして書かれた手紙類の中に、関源三宛の手紙もありました。石川一雄氏が狭山事件前から知り合いで逮捕後も=と申すより逮捕されたからかも知れぬが、絶大な信頼を寄せていた関源三氏へ起訴後から二審にかけて宛てた手紙が二審53回公判で検察官により証拠提出された。これの立証趣旨は石川一雄被告が関源三氏に対し狭山事件の犯行をしてしまった真犯人として手紙を書いているから真犯人であるというもの。しかし同時にこの信頼があったればこそ、犯行をしていなくとも自白をしてしまったとも取れる証拠でもある。「狭山事件手紙」に於いて、この手紙について検討してみた。下に書いた鞄発見もこの頁(の前)にあります。

其処での論点は、狭山事件の自白と自白維持には関巡査部長への絶大な信頼が背景としてあったこと、その信頼は自白撤回後にまで及んでいること、これらの関源三宛手紙は脅迫状を書けたことの証拠にはならぬこと、むしろ手紙が書かれた時期から見てその逆の証拠になっていること、である。

このうち脅迫状との関係については、もしそうでなければそもそもこの手紙類は検察官としても筆跡関係の証拠として提出した筈だが実際にそうはしなかったし、確定判決も特に漢字を良く知らなかったと認定したからこそ、狭山事件の脅迫文執筆には雑誌=「りぼん」を見る必要性をも認定している。そして、此の「りぼん」は、判決後になってからの証拠開示で、当時石川宅にはなかった事が明かとなっている。


話は変わりますが、昨日よりサイトのコンテンツ(頁)の7、8割がたの部分を、新規フォルダ(ディレクトリ)に入れてアップし直しました。当サイトはそれほど頁数の規模が大きいサイトではありませんが、それでも、数年間継続しているうちにそれなりに頁数も増え、それと共にファイルが煩雑になって来たせいです。別にトップ頁のアドレスが変わるわけではありませんので、これによる読者への支障は全く無いと申し上げてよろしいかと存じます。

狭山事件現地調査日程

現地調査ですが、5月にかけて石川さんは集会などで大変ご多忙で連休は不在との事でした。他の団体の方が現地に来られる日であれば確実に石川さんもいらっしゃるだろうと思い、日程を検討した結果、次回現地調査を6月5日土曜日に行なう事に決定しました。集合時刻その他の詳細要項はまた発表しますが、参加御希望の方はいつもの通りメールで申込をして下さい。

狭山現地調査要項6月5日

6月5日(土曜日)に狭山事件現地調査を実施致します。申込はいつもの通り、メールにてお願い致します。通常3日以内には返信致します。

☆参加御希望の方はトップ頁よりメールにて申込んで下さい。
☆申込受付は見分前日迄。
☆当サイトからの返信を以て受付完了と致します。
☆集合場所及び時刻は返信メールに記載致します。
☆申込時の氏名で参加者の到着確認後に出発。メール記載の時刻厳守をお願いします。
☆雨天決行(激甚災害発生等非常時を除く)

その他の実施内容は概ね現地見分一般要項とほぼ同様ですので是非その頁も良く読んでおいて下さりますと幸いです。

また現地見分一般論に就いて「SITE PROFILE」にも記しましたのでこの際参照を願います。

ほか狭山事件更新情報

話は違いますが先日、特に狭山市駅西口の再開発状態が日々進捗しつつある為、現地調査時の下見と言う意味もあり、少し現地を巡りました。また、狭山現地からの調査結果として、佐野屋の建物が無くなっているとのお報せを頂きましたので、そのあたりも見て来ました。その際の映像を、少ないですが「現地変遷写真集」の頁に追加しておきました。

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第二ガード下に猫(AII氏撮影)

まあ何にしましても、歳月の経過に伴う現地の変遷と言う厳然たる事実を感じるものです。たかだかこゝ10年以内に狭山事件に関わるようになった自分ですらそう感じるのですから、古くからの活動者や、もちろん逮捕され勾留懲役を経てご両親の没後に狭山へ帰って来た石川さんご本人の思いは推して知るべしでしょう。そして、幾多の歳月が流れた現在も、冤罪を被り続けていることを忘れる事は出来ぬ次第です。

狭山事件鞄発見

かつて亀井トム氏の著作に登場し、最近また取材を受けた広澤某氏の証言について当サイトに於て精査し、鞄発見として検証しました。遺体発見の方も終了とします。広澤氏は、被害者の鞄は芋穴の中、若しくは被害者の遺体が発見された穴のかたわらに置いてあった、遺体を最初に発見したのは自分である旨を述べています。その蓋然性と真偽につき、公判証言、過去の書籍等の記述、当時の捜査状況、等の資料を精査の上、検証した結果です。

はっきり言って、結果としてこの程度の材料はわざわざ検討するまでも無かったし、迷惑なので今後はこうした四方山話はヨソへ持って行ってもらいたい。本件に関し「驚愕の新事実」と銘打ったものは殆ど必ずや役に立たぬうわ言であることの好例となっている。

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2010/03/18
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