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推理小説と狭山事件

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狭山事件を推理しなくなったサイトで、推理することについて語ってみよう。

狭山事件と下山事件

当サイトリンク先の「全研究下山事件」を久しぶりに拝読した。最新記事には「小説家による推理」と言う事で、下山事件発生当時に探偵小説(推理小説)家の面々が各々の考えを述べたものが若干ではあるが掲載されている。

小説家による推理

江戸川乱歩、横溝正史、木々高太郎、坂口安吾、高木彬光各氏が当時さまざまの意見を言っていたらしい。筆者が中学生ぐらいの頃にはここに出ている各氏の探偵小説(坂口安吾氏の場合には普通の小説の方が多い)を多読していたので、懐かしいものがあったと同時に、此のサイトをやっている関係上、あらためて考えさせられることもあった。

「陰獣」「夜歩く」「不連続殺人事件」「刺青殺人事件」等々題名を挙げると切りが無くなるが、勉学の息抜きに貪るように読んだものである。江戸川乱歩の作品に「蟲」(虫)と言うものがある。探偵小説と言うより怪奇小説に近いものだが、ふと、それを読んだ時の不気味さ加減を思い出してしまった。

その頁に掲載された各氏が述べている内容そのものは断片的なものであるし、作家ならではの想像力逞しい(悪く言うと厳密さに欠ける)ものがあるけれども、当時世情騒がしく喧伝された事件を「推理」する姿には、現在では当たり前の事となった自由な雰囲気が感じられる。昔読んだ記憶によると横溝正史氏は岡山疎開中の終戦時「これでやっと書きたいものが書けるようになった」と思ったとの事であった。申す迄も無く戦時中に於いては同胞が同胞を殺すような「小説」は戦意高揚の為にならないからタブーであるのだ。下山事件発生当時が実に、本格探偵小説の黄金期を迎えていた事を、錚々たる顔ぶれとその発言から、あらためて彷彿とさせられた。

狭山事件を研究する?

仮に当サイトが「全研究狭山事件」と言う事になると、これはとても筆者の手に余る仕事になる。既に本件に就いては様々なサイトや書籍があって(その主要な処は当サイトからリンクさせて頂いている)出来るだけ重複競合を避けるよう、当サイトでは内容を絞り込んだつもりでありますが。

それに、狭山事件を研究しているつもりなどそもそも全然ありませんね。当サイトに書いてあるような内容は推理は除くとして、再審の活動者ならば、少なくとも大まかなところは誰でも当たり前に知っている事実ばかりです。

その点「全研究下山事件」サイトは下山事件の出来得る限りの全てを網羅すべく「全研究」と名付けられていて、現在も構築途上でこれを完成するのは大変な事だと思うが、しかし今後とも、ライフワークとして年月をかけて充実されて行く事を期待しております。

ところで、狭山事件に関しては、かつては推理と名のつくサイトを制作していて(現在は名がつかんが)こう申すのもなんであるが、結局の処、狭山事件の真犯人を断定出来るような厳密且つ決定的な新事実の類が全く無い現在、既出の「推理」(何とか説その他)の蓋然性をあれこれ検討して見ても今更始まらない。極個人的に申せば自分が二十歳代前半位の頃ならいざ知らず、いい齢をした今となってはそんな遊びは人生の無駄なだけだ。

推理小説家と狭山事件推理人の違い

思えば「推理」と言う言葉ほど軽いものは無い。殺人の被害が発生したその上に三十年以上の獄中生活を強いられた冤罪被害者の存在という重い現実を対比して見ると、尚更そのように思えて来る。現実の事件に於いては真犯人探しの推理など言ってしまえば所詮は作り話。それは狭山事件で真犯人を求めて推理するのも同じこと。今多少とも可能な事は個別事象の再検討だけと言う当サイトの方向性の所以である。それよりも再審の扉が開くならば、真相究明にとっても多少とも今よりは確実な証拠類が出て来ようと言うものである。

但し、先に名前をあげた錚々たる面々は、世にあまねく認められた厳然たるプロの推理小説家であって、狭山事件をいじくりまわしてあらぬ想像をふりまくいわゆるカッコつき『推理作家』とは、目的もレヴェルも異なる。推理小説家は純粋なエンターティンメントとしての推理小説を創作する。しかるに狭山事件の推理人は、現実のしかも冤罪の事件をただ自らの欲望に従って面白がる不埒ものだ。

…と、思うので、当サイトもその何とか説とやらを並べた頁を消してしまおうかと思った事もある。だが結論として残してあるのにはそれなりの明確な理由がある。まず第一にせっかくのページランクを生かすためだ。どういうことかと言えば、あれらの頁は此のサイト内でも最も古い頁に当たり、検索サイトからそれ相当の評価を受けている。よってこれを残して他の頁にリンクを張る事により、サイト全体のランク向上に貢献させるのである。消してしまうのは簡単だが使い道があるものはとことん搾取し尽くすのが利口なサイト運営法だ。

第二には、このような「狭山事件推理」の頁を見に来る者がまだどれだけ居るのか、それを記録して観察することだ。此のサイトはもはやそのタグイの視聴者を相手にしておらぬが、自サイトをめぐるこうした社会状勢と言おうか視聴環境を知るのもまたサイト制作者が自らの究極の目的の為に利用可能なものは利用する、手段の一つだ。そして自動的に集計されるそこばかりを見る者を規制する時の材料にもなる。

狭山事件に関係なく帰宅

写真-パリ-オペラ座の朝

Les yeux de déesse

Je me perdais à chuchoter un rouge murmure 
Lorsqu'une bouche, magnifique, m'ôta tous mes problèmes, 
Des yeux gris, défiant toute nature, 
Des cheveux blonds, comme je les aime, 
Vinrent tous ensembles m'éblouir 
Me transformant en étincelle, 
Tel un faucon, un oiseau-lyre, 
Sifflant un songe presque réel. 
L'oiseau ardent, Marguerite, c'est moi 
Et cette belle princesse, qui passe avec légèreté, 
Ecoute-moi, Marguerite, car c'est toi. 
Laisse-moi à ton âme m'abandonner.   
T.ONISHI, ton ami et plus que ça... 

仕事の用で、出かけておりました。
夏時分、たっぷり休んでしまいましたので、いわば出稼ぎと言った処です。例年年末年始の短期間に行く事が多かったのでありますが、10月21日夜、突如として連絡を受け、約3分ほど考慮の上、翌々日には急遽高飛びしたものです。ここに漸く、帰朝致しましたので各位に告知致します。

少々当サイトに関連のある事柄としましては、フランスの雑誌「PARIS MATCH」を読んだ事です。これに関しては当事件に関心のある方ならば既に良く御存知の事と思いますので詳細内容は省略しますが、昨年末、狭山事件と石川さんの取材記事が掲載されたものです。

paris-m-c.jpg

事件経緯を既に有る程度知っている者にとっては、特筆すべき事はありませんでしたが、典型的な冤罪事件であると同時に、現在も継続中である事、及び日本特有の差別問題が背景にある事、等、海外でも紹介される事は歓迎すべき事とあらためて思う次第です。

ちょっと風邪を持って帰って来てしまいました。しかし、調子が悪化しなければ13日に狭山市へ行く所存です。その場合、菌が国産とは異なる様子ですので、関係者の方は感染にご注意下さい。

狭山事件筆跡の新証拠

狭山事件脅迫状筆跡の鑑定として2010年12月14日、先だって5月に高検から開示された逮捕当日の上申書と狭山事件本件起訴当日の領収書など筆跡資料を元に、日本語学者の遠藤織枝もと文教大学教授の第二鑑定、魚住和晃神戸大学名誉教授の第二鑑定が作成・提出された。

筆跡鑑定は鑑定文書=脅迫状と、対照文書=今回の上申書等が書かれた時期が、近いものでなければ有効性が疑わしくなる。何故ならば確定判決となった寺尾判決でさえも、石川一雄氏が事件当時、文字を書く事、特に漢字の知識や書いた経験を著しく欠いていた事実を認定し、それがために家にあった少女雑誌を手本にしながら脅迫状を作成したと認めているからだ。

文字を書く能力が低かった人が逮捕された場合(この点は確定判決でも事実として認定されており、だからこそ狭山事件の脅迫文を書くには妹が友達から借りた雑誌を見たとしている)犯人であるか否かは別にしても、取り調べなどを通じて字を書く事に慣れ、筆跡が異なって行くと推測されるがゆえに、脅迫状との比較資料はその脅迫状が書かれた日に近いものでなければならぬわけだ。それゆえ、狭山事件の手紙、すなわち一審か二審の裁判中に書かれた関源三宛の封書や葉書は、筆跡の対照資料とはされなかった。

狭山事件と荻原佑介

荻原佑介氏の狭山事件と捜査当局への告発文の検証と狭山事件の被害者が血縁的に腹違い・種違いと称されて来た事に就き、新規検討頁及び項目を追加しました。

荻原佑介氏が記した文書のうち、これまで真相推理と称するものの根拠とされて来た部分に就き、検証を施した頁です。最近、被害者宅近隣に住む人の「証言」として、「あの家は血縁関係複雑」「あの家はいろいろ因縁があった」等、思わせぶりな話がありましたが、具体的な内容は全く無く、そのようなものは当サイトに於いては採用するに値しません。血縁関係複雑に就いては、親戚間で養子縁組や嫁入りなどした結果を複雑と言う事も出来ます。血縁とは少し違うかも知れませんが、例えば被害者宅墓所にある登美恵さんの墓に刻まれた姓が嫁ぎ先の姓である事も、事情を全く知らない人から見れば極めて奇異に見えたりしますが、現在では殊更騒ぎ立てるほどの事実ではありません。因縁の方は、どんな因縁があるのか語られないのであれば、厳密な検証には耐えません。荻原氏の記した被害者宅に関わる部分にもそのような傾向があります。

狭山事件推理は雲散霧消

ネット上に於いても、何らの検証無く荻原文書のその部分を引用した上、お粗末な事には2ちゃんねるでの無価値な書込みをそのあとに引用して狭山事件の背景と称し日本の農村は怖いなどと知ったかぶった(且つある種の差別意識を助長してさえいる)文面も見受けられました。

荻原文書から派生した、墓石と卒塔婆投げ込み事件とか、あの家では女の子は育たないとかの風聞も、事実関係自体が不確実情報でありむしろ情報源が現在に於いても不明であり、ましてそれらが狭山事件そのものに関係あるか否かは当然、全然空中楼閣的な話です。

今やそうした推理も雲散霧消しましたが、ある時期にはある場所で、瑣細な根拠を思いっきり膨らませた狭山事件推理が続々と発生しておりましたが、あれから数年、十歩も百歩も引いて考えて見れば、ことごとく霞を食ったような話でした。そうした井戸端会議のひとつには、例えば狭山事件の被害者は他の兄弟姉妹と母親だか父親だかが違うというのもありました。何でも、名前の系統が長兄や姉と異なるからだとか言っていましたが、これなども、狭山事件の周囲にたむろする極々少数の推理マニアの想像力のなせるわざです。そしてこうした話も、荻原佑介氏が書いた書面の内容から出ているのは明かです。

当サイトではそのような傾向を今後とも完膚無き迄に排除し、筆者が個別に検証出来る事柄に就いてはその都度、厳格な調査とその結果報告を記して行く所存です。それによって将来に於いて、世上、特にネット上に蔓延する噂話と正確な情報の選別を視聴者に可能にし、信頼性が担保された事実の提供が可能となるものと考えます。

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2010/12/10
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